映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「密やかな結晶」 小川洋子 

2008年05月10日 | 本(その他)

「密やかな結晶」 小川洋子 講談社文庫

さて、これはちょっと難物ですよ。
とある島が舞台。
その島では「記憶狩り」というものが行われていて、
ときおり、あるものの記憶が島のすべての人の記憶から抜け落ちてしまう。

たとえば、鳥。
ある朝、突然に「鳥」についての記憶がなくなってしまう。
それは鳥がいなくなるのとは違うのです。
鳥は変わらずにそこにいるのに、人々の記憶の中から、鳥に関する部分が消え去ってしまう。
だからなにか生き物がいる、と思うだけで、
それがどんな風に空を飛ぶのか、どんな色をしているのか、どんな鳴き方をするのか、そして、なんという名前の鳥なのか、
そのようなことは興味の対象にもならない。
つまり、いないことと同じなのです。

そんな風に、時折、何かの消失が起こる。
ところが、中には特異体質の人がいて、その人に記憶の消失は起こらない。
しかし、そのような人物は、秘密警察によって捕らえられ、どこかへ連れ去られ戻ってこない。
一体誰が何の目的で、そんなことを行っているのか、それは一切語られないのです。
これは一見、ナチスドイツのユダヤ人狩りのような、巨大な権力の弾圧をたとえているようであり、
でも、その周辺を掠めつつ、もっと別のことを言おうとしているようにも思います。

こんな風に、一つまた一つと、何かが消滅していく。
主人公の「私」は、小説家なのですが、
その、編集者であるR氏が、記憶を持ち続けた人で、
彼女は、彼を家に匿い、秘密警察から守り通す決意をします。
日も当たらない小さな部屋に閉じ込められたも同然のR氏と、「私」の、
なにやらひめやかで、怪しくさえもある日常・・・。

しかしある日とうとう、「小説」が消失してしまうのです。
さまざまな消失に伴いどんどん空洞化していく私。
しかし、事態はそのような物体にとどまらず、ついには肉体にまで及んできます。
まずは左足。
足は変わらずそこにあるのに、ある日から急に、腰からのびているただのジャマな肉塊としか、認識できなくなってしまう。
しかし「私」はそのような出来事さえ、淡々と受け入れ、
他の肉体も少しずつ失っていっく。

人間の存在って、結局は肉体でなく「記憶」なんですね。
すべて消失した、「私」の肉体はちゃんとそこに横たわっているのに、それはもう、ただの人形と変わらない。
なにやらはがゆくもあり、悲しくもある、不思議なストーリーでありました。

中の、劇中劇ならぬ、小説中小説も、ちょっぴり隠微でありつつ、消失を歌っています。

満足度★★★★



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (CD)
2008-05-12 10:59:19
たんぽぽさん、こんにちは!
なかなか面白そうな物語ですね。
すごく興味アリです。
小川洋子って「博士の愛した数式」を書いた人ですよね。
映画だけ観たんですが、すごく好きな作品なんです。
人間の存在と記憶との関わりについて、色々なことを考える人ですね。

不思議な世界 (たんぽぽ)
2008-05-12 19:59:12
>CDさま
はい。私も、「博士の愛した数式」が好きで、それで小川洋子作品にチャレンジしたわけです。
この物語は全くの虚構の中にありまして、それだけにいろいろなイメージが膨らみます。

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