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国連人権理事会”性的指向、性自認に基づく人権侵害非難声明”に日本は不賛同

2006年12月10日 07時45分01秒 | セクシュアリティと社会ニュース
GayJapanNewsにこんな記事が出てました。



***以下、抜粋****************

(スイス)スイス・ジュネーブで開催されている国連人権理事会において、12月1日、ノルウェーが、LGBTの人権に関する声明を発表した。

声明の内容は、世界各地でのLGBTへの深刻な人権侵害の事例に対し深い懸念を表し、今後、国連人権理事会等の国際機関がこの問題をきちんと取り上げるべきだというもの。
この声明には、人権理事会の理事国18カ国を含む54カ国が賛同したが、アジアで賛同に加わったのは韓国、東ティモールのみで、日本は加わっていない。

人権理事会の前身である人権委員会でのLGBTに関する動きは、2003年のブラジルの決議案、2005年のニュージーランド等による声明などがあるが、ここまで大規模な賛同が得られた声明は今回が初めてとなる。

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アジアでは東チモールと韓国が賛同しているのだそうです。
ぼくも、尾辻さんのブログでこの動きを知ったときには、ときすでに遅しだったんですよね。

 現在、日本ではこうした世界の動きには逆行する政策を取ろうとしています。日本の政治においては、再配分に重きを置くリベラリズムの動きはすべからく<赤>のレッテルを貼られ、ないがしろにしていく。団塊の世代のみなさんも、多少、暴れてはみたけれど、法律一つ残せなかったわけです。一方で、政治家たちは地元の票を集めるために、中央集権的に税金を集めては地方にばら撒くという再配分政策をとることで、擬似的な社会主義ともいわれるような政策展開をしてきた。そこには、高級官僚と政治家、企業の癒着といった問題もでてきました。このごろ大量に報道される談合事件は、再配分政策を是とするリベラリズムは悪だという印象を国民に日々植え付けているかのようです。
 そうこうしているうちに、自民党はネオリベラリズムの立場を明確にしていく。地域や徳目を重視する教育も行われようとしています。国家が国家に都合のいい人間を育てていく基盤を作ろうとしています。個性や多様性を唱えると、それだけで<赤>のレッテルを貼られかねない情勢で、多くの人が危機感を持っていると思います。

 たしかに、私たちゲイが解放されていった過程には、地域共同体の空洞化が関与している。地域から離れてインターネットがダイレクトに人びとを結びつける時代に、マイノリティは地域の中では得られなかった同朋を得るチャンスを圧倒的に増やしました。これは、子どもも簡単に性に踏み込んでしまうなどの問題もあり、性感染症の拡大などには負の局面も持っているのですが、マイノリティが連帯していくために大きなツールを用意したわけです。
 こうしてブログでコミュニケーションが図れるのも、インターネットの動きなくしてはありえない。
 一旦、共同体を廃棄処分にして、同性愛者などのマイノリティは、再びコミュニティなるものを作れるのかどうかというのが、試されているわけです。実際には、あまり表立ったコミュニティの動きはないのが現状といわざるを得ない。アクティビストと呼ばれる多くの人が、夢想し、そういうものがあると幻視しているようなものになっている。
 アメリカなんかでは、まだしも、ゲイというアイデンティティを持った人は、できるだけゲイ・フレンドリーな企業の商品を買うようにしたりといった、帰属意識がある。そこには「ゲイ・マーケット」なるものの試算が示され、それを狙った企業の広告戦略が展開されたりもする。日本では、「ゲイ・フレンドリー」であることは、ゲイにとっても大した魅力とは映らず、それよりは「身の回りの人がよいと思うもの」をよいと思う「世間」的な商品選択をする傾向が強いですよね。そのなかでも、ある程度、ゲイに支持される商品やサービス--パンツとディズニーランドと……くらいか--はなくはないけれども、それ以外のゲイ・フレンドリーな戦略を持つ企業は、外資系で本国でゲイ・フレンドリーであることで売っている会社が日本にもそれを持ち込んでみたっていうに過ぎない。トヨタやホンダなど日本を代表するような企業も、アメリカのゲイ雑誌やフリーペーパーには広告をガンガン打っているわけですが、日本ではそういうことはないわけです。そこに広告費を投入しても、うまみがない。
 アメリカではカミングアウトした議員が中心になって、初めは今回の宣言に賛同するのを渋っていた国務省を動かしたという経緯もあります。ブッシュ共和党が中間選挙で大敗を喫して、リベラリズムとの関連が強い同性愛にも目を向けざるを得ない状況が発生していたことも追い風になったでしょう。
 ヨーロッパは、同性婚法、PACS法など法的な裏づけを取れるような状況を、実際に議員がカミングアウトして作っていっている。日本では、そういった動きはことごとくないものにされているのが現状です。
 台湾が同性婚を認める方向に動いたり、韓国が今回の宣言に賛同したりと、日本はアジアの中でも遅れをとってきています。

 教育基本法の議論では、共同体の復活の音頭を取ろうとしているように見えるわけです。教育再生会議は、「徳目」を子どもに教えなければならないといい、ほとんど国粋主義的な教育基本法を作ろうとしています。
 地域に縛られ、世間に埋没して生きるしかなかった日本人の同性愛者は、結婚して子どもを作っていたわけですが、90年代に「ゲイライフ」なるものを喧伝して、「自分らしく」生きようとし始めた。これは画期的だったんですが、そうした動きがでてきただけで、ぼくたちは満足をしてしまったんですよね。
 よく、江戸時代には、同性愛にも寛容だったといわれたりしますが、90年代も同性愛に寛容な時代だった。しかし、なんとなく寛容な空気が醸成されたとはいえ、法制度に結びつけたりすることはなかったわけです。そこがこれからの問題点としてでてくる。

 そのために、僕たちはどういう動きをとっていけばいいのか。
 今回の宣言について、気付くのが遅すぎたという面もありますが、ともかく同性愛者の側から組織的な動きは現れなかった。
 教育基本法、共謀罪なんかでは、それを止めようとする動きがかなり大きな勢力として動いています。反対集会、12000人の国会前座り込み、署名活動、関係議員や省庁へのファックス攻撃などなどみなさん行っておられます。それでもおそらく自民党はすき放題できる情勢なのですが、8日に採択という予定を首相の外遊後に持ち越すことくらいはできた。障害者自立支援法のときも、当事者は国会に連日駆けつけていました。そういう動きもほとんど報道されていない。
 同性愛の問題は、都城市の条例改正で一敗しているわけです。同性愛に関心がある人は少ないかもしれないし、当事者ですらカミングアウトのハードルは高く大きな動きにはなりにくい。あれだけの人数が動いている、教育基本法、共謀罪、障害者自立支援法でもマスコミは取り上げようとしないのですから(もうその時点で、第4の権力、中央権力の監視者としてのマスコミは死んでいるわけです)、ゲイ・パレードに目もくれないのは普通のことでしょう。それでも、地道にこうした問題にどれだけ取り組んでいけるかというのが、同性愛者に課された喫緊の課題でしょう。

 はてさて、どうやってこの件について考えて、動いていけばいけばいいんでしょうかね?

 

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