MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『母よ、』

2016-07-07 22:08:52 | goo映画レビュー

原題:『Mia Madre』 英題・『My Mother』
監督:ナンニ・モレッティ
脚本:ナンニ・モレッティ/フランチェスコ・ピッコロ/ ヴァリア・サンテッラ
撮影:アルナルド・カティナーリ
出演:マルゲリータ・ブイ/ジュリア・ラッツァリーニ/ジョン・タトゥーロ
2015年/イタリア・フランス

ぶち切れる主人公と言葉の問題について

 主人公がぶち切れるところなどはいつものナンニ・モレッティ監督作品らしいのであるが、本作で注目されるべき点は言葉の問題であろう。
 主人公で映画監督のマルゲリータは会社と労働組合の諍いを舞台とした新作の社会主義リアリズム映画の制作中である。演出を巡るカメラマンとの意見の対立程度ならばまだ簡単に解決できるのであるが、一番の問題は主人公の会社オーナー演じるアメリカ人のバリー・ハギンスである。かつてはスタンリー・キューブリックと仕事をするつもりだったが、都合が悪くて自分から断ったとうそぶくほどプライドだけは高いこの俳優は、なかなかイタリア語のセリフが上手く言えないため、度々撮影が中断してしまう。
 マルゲリータは仕事だけではなく、プライベートにおいても母親のアーダが重篤な病で入院しており、兄のジョヴァンニと手分けをして看病しているのであるが、さらに娘のリヴィアが反抗期の最中でなかなか思うようにならない。しかしここではアーダがルクレティウスやタキトゥスなどを研究していた古典文献学者だったことと、リヴィアがラテン語を勉強中であることに注目するべきであろう。
 アーダが危篤であるという報に接しながらマルゲリータは撮影を続ける。その時、バリーはイタリア語で迫真の演技を披露する。同じ頃、リヴィアはラテン語で文章を作れるようになり、アーダが亡くなった後に、彼女のかつての教え子たちが次々と弔問に訪れてアーダに感謝の言葉を述べる。この時、マルゲリータは全ての問題は言葉の稚拙が生み出すことに気がつくのであるが、これはマルゲリータのみならず、ナンニ・モレッティ監督作品の全ての主人公が抱える問題であろう。


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