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戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」

2022-05-14 08:04:57 | Weblog




戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」―二段階革命理論と憲法 ...

https://www.amazon.co.jp/戦後日本を狂わせたOSS...

2011/07/01 · OSS日本計画 田中英道著大変ショッキングな本です。これまでの常識は一挙に覆されます。今までの報道、常識は何だったと思わざるを得ません。フランクリン・ルーズベルト大統領は社会主義者であった。アメリカ大統領が社会主義者と言われてもピンとこないですね。


文化を左翼が論じ始めたときから、彼らは、文化を現在の社会を否定する表現として使いはじめ、歴史を破壞する方向に向かったのである。



OSS日本計画 田中英道著
大変ショッキングな本です。
これまでの常識は一挙に覆されます。
今までの報道、常識は何だったと思わざるを得ません。

フランクリン・ルーズベルト大統領は社会主義者であった。
アメリカ大統領が社会主義者と言われてもピンとこないですね。
それは冷戦時代を経た現在だから、そう思えるのです。

自由主義VS社会主義となったのは戦後冷戦時代に入ったのちクリアになった図式です。
冷戦時代になるまでは共産主義、社会主義は民主主義の形態の一部だったのです。
封建制度に対峙する民主主義です。
共産主義、社会主義は民主主義の進化系で、より進んだ政治形態と捉えられていました。

Amazon カスタマー
5つ星のうち5.0 フランクフルト学派が仕掛けた2段階革命が、現在も実際に行われている事を実感しました。
2021年9月12日に日本でレビュー済み
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全体的には既知の事が多かったので、すらすら読めましたが、9章、10章、11章等の後半では未知の内容も多く難読でした。OSSが行った日本政策はGHQを包含するものであったことが印象的でした。
私は、開戦前にアメリカ側と海軍との間で、何らかの密約があったのではないかと感じております。
今後先生に期待するのは、山本五十六や長野修身、米内光正等が日本軍が企てていた方針になぜ逆らい、真珠湾を攻撃し、その後も日本軍が不利になるよう事あるごとに進めた海軍に合点がゆきません。その辺のところを書いていただけると、愛国者の私としてはすっきりするのですが。

ほつまザブデイエル
5つ星のうち5.0 マルクス主義の2つの潮流
2016年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前は、左翼の政治運動をしていたので、その視点から感想を述べます。

「マルクス主義」に2つの潮流があったのですね!
この本を読んで初めて知りました。
日本人の多くは、「サヨク」と呼んで、そこを混同しているのです。
2つの潮流とは、日本共産党に代表される、労働者階級を中心とした革命思想と、多くのマスコミ、教育機関等に代表される(当人たちは、そうは思わないだろうが)、「中産階級」を中心とした革命思想(フランクフルト学派)を、指しています。
世界中において、後者の影響力が大きいと思います。
伝統的文化を否定する思想はフランクフルト学派の考え方です。

一部の保守系の雑誌には、「共産党に騙されるな」という特集が組まれていますが。
それらの論調に"騙されるな"と言いたくなります。
これは、保守派の人に対しても日本共産党の人に対しても、当てはまると思います。
目に見えている共産党だけにとらわれていると、その背後にある思想・推進力を見過ごしがちになってしまいます。
他方では、日本共産党も世界の「フランクフルト学派」に踊らされているのかもしれません。

大切なのは、日本の伝統的文化なのです。
政治・経済だけに目を奪われてしまっては、敵を見誤ります。
「日本の真の敵」が誰であるかをしっかり見定めていないと、日本が混乱させられてしまいます。
この本は、戦後の日本の思想構造を考える上で、的確な材料を提供してくれています。
戦後の「隠れマルクス主義者・隠れフランクフルト学派」という言葉も人々の耳目をひくのですが、実は、この本は、案外「文化論・思想書」という面が大きい、のではないでしょうか。

twindragon
5つ星のうち4.0 この本を読んで次に読む本が決まった!!
2017年1月8日に日本でレビュー済み
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読んでショックを受けた!!
日本人が絡んでいるとは、実名であるから真実味がある!!
共産化されなくて良かった!!
32人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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メリッサ
5つ星のうち5.0 日本人皆が
2015年10月17日に日本でレビュー済み
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読むべき本だと思います。戦後史がこれを知ると知らないので、おそらく
百八十度異なると思います。田中英道さんの文章が、この手の本の著者にしては
読みやすいのも利点です。
34人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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チキンカレー
5つ星のうち5.0 本当かどうかわからない
2016年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
と思う人も読んで損はありません。
朝日新聞を読んだあとに読み返すとこの本の価値がわかるんじゃないでしょうか。
33人のお客様がこれが役に立ったと考えています

バッファー
5つ星のうち2.0 とにかく読みにくい
2020年5月1日に日本でレビュー済み
本書は著者が『正論』などの雑誌に発表してきた論考を収録したものだが、とにかく読みにくい。もともと美術史が専門とのことだが、濃淡ある文章ではない。日本国憲法制定も含め、GHQ民政局の思想はフランクフルト学派=共産主義という論旨に貫かれている。しかし、GHQ内部の対立にはほとんど言及しておらず、日米関係史の面での研究成果がほとんど反映されていない。その結果、単なるGHQ批判、共産主義批判に終わっている。




出版社 ‏ : ‎ 展転社 (2011/7/1)
発売日 ‏ : ‎ 2011/7/1
言語 ‏ : ‎ 日本語
単行本 ‏ : ‎ 265ページ
ISBN-10 ‏ : ‎ 4886563619
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4886563613



田中/英道
評論家、文化史家、東北大学名誉教授。昭和17年東京生。東大フランス文学科、美学・美術史学科卒業、ストラスブール大学Phd。ローマ大学、ボローニャ大学客員教授、国際教養大学前特任教授、歴史教科書をつくる会元会長



4.5/5(43)
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戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」
二段階革命理論と憲法
田中英道 著



四六上製  268頁
定価:2000円+税

平成23年7月25日発行


ISBN978-4-88656-361-3
C0036
戦後日本を荒廃させたのはアメリカ左翼だった!アメリカ公文書館から発見されたOSSの「日本計画」により、隠れマルクス主義フランクフルト学派の日本支配構想が明らかになった。

【推薦の辞】
民主主義化の名で呼ばれ、国民の大半がそれと信じてゐた日本の戦後改革は、実は隠れ共産主義者F・D・ルーズベルトを淵源とする米国戦略情報局の、日本改造計画の実現だつた。その真相をつきとめた本書により、戦後史の根本的書換へが始まる。
東京大学名誉教授 小堀桂一郎

近年、日本の近代史を書き換える新事実が世界中で続々と公表されはじめ、古い東京裁判史観やGHQ史観を清算すべき時が来ている。本書は戦後史の根源に遡り、なぜ日本が今のような「おかしな国」になったか、その原因を大胆に探る。
京都大学教授 中西輝政

いわゆる昭和史家の昭和史はダメである。それは日本の敵が何を考え、何をやっていたか考慮しないからだ。田中英道氏はアメリカのOSS文書を解き明して昭和史の深相=真相を示してくれた。
上智大学名誉教授 渡部昇一
第一章 現代史はルーズベルトの隠れ「共産主義」からはじまった
第二章 アメリカOSSの「日本計画」
第三章 「日本国憲法」は共産革命の第一段階としてつくられた
第四章 日本国憲法は社会主義憲法である
第五章 GHQの占領政策をお膳立てした容共工作集団「OSS」
第六章 マッカーサーはOSSによって操られた
第七章 ケーディスが導いた社会主義日本
第八章 「戦争犯罪人」という烙印
第九章 東京裁判とOSS「日本計画」
第十章 世界のメディアを支配するフランクフルト学派
第十一章 二十世紀を荒廃させたユダヤ・マルクス主義
《著者履歴》
田中英道(たなか ひでみち)
評論家、文化史家、東北大学名誉教授。
昭和17年東京生。東大フランス文学科、美学・美術史学科卒業、ストラスブール大学Phd。ローマ大学、ボローニャ大学客員教授、国際教養大学前特任教授、歴史教科書をつくる会元会長。
主要著書:『ルネサンス像の転換』『光は東方より』『日本美術全史』『国民の芸術』、『聖徳太子虚構説を排す』『新しい日本史観の確立』『やまとごころとは何か』『日本と西洋の対話』他多数。
関連書籍
『戦後日本を狂わせた反日的歴史認識を撃つ』
『戦後日本を狂わせた左翼思想の正体』

「ルーズベルトの戦争責任とOSS」、「GHQ日本改造計画と戦後左翼の正体」と、二回続けて田中英道氏(東北大学名誉教授)に講演していただいた。

なんとルーズベルト大統領は社会主義者であり、スターリンの友人でもあった。そしてそのルーズベルトが創設したOSS(戦略情報局)の構成要員のほとんどが米国共産党、フランクフルト学派(名乗らない共産主義者)であった。そのOSSで1942年前半に日本に対する二段階(共産主義)革命を計画していたこともOSS文書で分かった。かつまたOSS、フランクフルト学派の多くがユダヤ人であった。日本国憲法の草案にもっとも大きくかかわったGHQ民政局次長ケーディスもバリバリの共産主義者でありユダヤ人でもあった。1945年から2年間はGHQ内部の共産主義者たちがあらゆる日本の精神的、制度的解体を策略した期間でもあった。後にレッドパージされるまで日本国憲法をはじめ、ほとんどの諸改革が断行されてしまった。すべては二段階革命の布石(特に憲法九条)であったのだ。結果的に革命は行われなかったが、そのつけは大きく、戦後左翼の台頭、あらゆる階層にフランクフルト学派が跋扈し、日本を蝕んできた。

ルーズベルトは、1945年4月に急死した。急遽、大統領に昇格したトルーマンはOSSの存在をまったく知らされておらず、驚愕した彼はこれを廃止した。やがて蜜月時代は終り、米ソ冷戦の時代となった。それとともに赤狩りが始まった。

フランクフルト学派は、名乗らないが共産主義である。文化的共産主義だと言ってもいいだろう。体制を批判するためにあらゆる社会矛盾を糾弾し、攻撃してくる。個人の人権を主張し、封建的だとして家族制度や、ひいては国家の弱体、解体まで展開してくる。しかし、そこからは生まれてくるものは自己中心であり、なんら建設的なものはない。ジェンダーフリーを展開し、家族制度を否定する。愛国心を削ぎ落とし、国家の弱体を図ってきた。伝統や秩序の破壊はあっても人間の不幸を助長するだけである。左翼思想の本質とはそういうものであろう。虚偽意識である。

それにしても、体制としての共産主義は崩壊してきたが、ユダヤ人たちが考え作り出したフランクフルト学派理論の脅威は戦後70年経っても続いている。ディアスポラのユダヤ人たちは世界でもっとも嫌われた民族として生きてきた。その人々が味わった苦難の中から、国を持たないが故に金融や経済で、思想の世界で隠然たる力を持ち続けてきた。田中英道氏は歴史から見た視点から、こういう世界との思想的闘いを展開してこられた。

以下、田中英道氏のまとめられた文章である。二回の講演にかかわる内容を踏まえたものであるので皆様に一読していただきたい。歴史の真実は本当に思わぬところに隠れている。驚くべきことである。

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月刊BAN2015年8月号より転載

「戦後、なぜ日本で左翼運動が活発になったのか」(東北大学名誉教授 田中英道氏)

「日本国憲法」は「共産主義革命」の第一段階だった

日本人が戦争の贖罪意識を持つ理由
つい最近の産経新聞は、一面トップで「GHQ工作 贖罪意識植え付け」と題して、「英公文書館所蔵 秘密文書で判明」と大々的に伝えました。このニュースに対する世間の反応があまりないように見えるのは、「中共の日本捕虜『洗脳』が原点」という見出しが、読む人々にあまりピンとこなかったからでしょう。「中国共産党の日本捕虜」など本当にいたのだろうか、という疑問もあるでしょうし、日本共産党の重鎮だった野坂参三がそんな役割を担っていたとは思えない、と考えた人もいたことでしょう。

この文書のもっとも重要な点は、アメリカGHQが戦後、日本を明確に左翼共産主義へ導こうとしていたことを明らかにしていることなのです。その思想改造を中国延安で、野坂参三を通じて日本捕虜に対して行っていたように、戦後の日本でもやろうとしたことを暴露したのです。それにまんまと多くの人々、特に学界、官僚、ジャーナリストが引っかかり、彼らの意図をある程度成功させてしまいました。もっとも、決して社会主義国家にもならなかったし、いまだに左翼は少数派にすぎないことは、逆に、日本人がいかに強固に保守であるかを証明したということでもあります。

実を言うと、ここ20年ほど前に米公文書館から解禁となって出た新しい対日記録文書は、同じことを言っていたのです。私はすでに『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』及び『戦後日本を狂わせた佐用区思想の正体』(展転社)により、あの「太平洋戦争」と、世界の戦後史の見方を決定的に変えざるを得ない分析をしています。それは戦後すぐ、アメリカGHQ自身が露骨に社会主義の日本をつくろうとしていたことが分かったからです。つまり、戦後は「民主主義化」ではなく、「共産主義化」だったのです。

日本を共産化に導いたOSS「日本計画」
まずこのOSS「日本計画」というものが、一体どんなものか説明しておきましょう。OSSとは「Office of Strategic Service(戦略情報局)」の略称で、これ自体、第二次世界大戦に際して、ルーズベルト大統領の下でつくられ、戦略分析と政策提言を行う役割を担っていました。これが最後に、有名なCIA(中央情報局)となる組織の前身です。

この「日本計画」は、昭和17年6月の段階で、3回も案が練られた上で提出されました。計画では、始まった戦争をどう処理するかだけなく、さらに戦後どう変革するかを構想していたのです。天皇を国民の象徴として残す、という大方針を決めていたばかりではなく、戦争で人々の心理をどう変えるか、という問題を中心に捉えていました。

このように、敵国に対する戦いを「心理戦」に置いたことは、日本人のような「戦争は武器の戦いそのものを第一とする」という、単純な戦争観とは異なり、より高度な内容であると言えるでしょう。それは戦後、日本人、特に知識人が完全に敗北意識、贖罪意識を持ってしまったことでも分かります。天皇の「終戦の詔勅」がいつの間にか「敗戦の詔勅」となり、ポツダム宣言で軍隊だけが降伏したことを、日本国家そのものが無条件降伏してしまったと思い込んだことでも分かります。

OSSの文書には、次のように日本人を変えようという計画が書かれていました。
①「日本人に、彼らの政府や日本国内のその他合法的情報源の公式の言明への不信を増大させること」。つまり、政府が国民に言うことは嘘であると、不信感を煽ることです。
②「日本と米国の間に、戦争行動の文明的基準を保持すること」。すなわち、日本文明は程度が低いのだと、言い立てることです。
③「日本の民衆に、彼らの現在の政府は彼らの利益には役に立っていないと確信させ、普通の人々が、政府の敗北が彼ら自身の敗北であるとはみなさないようにすること」。政府と民衆とは別で、彼らは敵であるという認識をさせることです。
④「日本の指導者と民衆に、永続的勝利は達成できないこと、日本は、ほかのアジア民衆の必要な援助を得ることも保持することもできないと確信させること」。これは、日本がアジアの中で孤立しているという認識を与えることです。
⑤「日本の諸階級・諸集団間の亀裂を促すこと」。なにげなく言っていますが、これこそ社会主義者が言う「日本国内に階級対立、内部分裂を起こさせ、革命を起こさせる方向にもって行くこと」を言っているのです。
⑥「内部の反逆、破壊活動、日本国内のマイノリティ集団による暴力事件・隠密事件への不安をかき立て、それによって日本人のスパイ活動対策の負担を増大させること」。常に少数の反逆者を育て、破壊活動させ、暴力、陰謀事件を起こさせて、スパイ活動を助長させ人々を混乱させることです。
⑦「日本とその枢軸国とを分裂させ、日本と中立諸国との間の困難を促進すること」。
⑧「日本の現在の経済的困難を利用し、戦争続行による日本経済の悪化を強調すること」。これは、経済的混乱をさらに悪化させて、人々の不安を煽り立てることです。一見、もっともらしい宣伝戦のように聞こえますが、日本を混乱させ、「革命」に持って行かせる算段と言って良いでしょう。ソ連以外、どの国でも失敗した社会主義革命を、遅まきながら日本で成功させようとしたのです(「日本計画」草案、加藤哲弘訳)。

日本内部の分裂と混乱を狙った行動指針
以上の8項目を見ると、日本人間の相互不信、政府と民衆の分離、日本の他国からの孤立、諸階級、諸集団の分裂、内部の反逆、破壊、少数集団の暴力、陰謀への不安の増長、その対策への負担の増大、経済悪化の宣伝といった、かつての労働者の組織的暴力によるストライキ、デモなどの「暴力革命」の煽動ではなく、ひたすら心理的な不安を与えるという、精神的な混乱に重点を置いていることが分かります。つまり、日本内部の分裂と混乱を狙った行動指針なのです。おそらくこうした煽動は、日本人には軽いものに思えたことでしょう。

いま、共産党も民主党も一切、労働者の組織的蜂起など言わず、ただ政府への批判、孤立化だけを述べているのも、このOSSの方針に沿っています。彼らは、労働者革命は不可能だという認識を持っています。これが、OSSに入り込んだフランクフルト学派の「批判理論」の考え方なのです。日本人には、あたかもそれが意図的ではなく、成り行きでそうなったように思えて、そうした困難は自ら招いた姿であると、自然に洗脳されてしまうのです。

またこの段階で「日本の天皇を(慎重に、名前を挙げずに)平和のシンボルとして利用すること」として天皇を戦後温存し、利用することを決めています。しかし、決して肯定的にではなく、「今日の軍部政権の正当性の欠如と独断性、この政府が天皇と皇室を含む日本全体を気まぐれに危機にさらした事実を指摘すること」によって、政権の打倒に利用するためです。つまり天皇を温存し、それを軍部批判に利用するわけです。今でも多くの左翼が、天皇発言録を利用して、政府の違いを指摘し、攻撃の材料に使っています。それを「名前を挙げずに」、間接的宣伝を行い、人々に雰囲気として分かるようにする、ということがこの作戦です。

「なんと、まどろっこしい」と思われるかもしれませんが、アメリカ軍が戦争中、決して皇居を空襲しなかった原因は、こうした間接的利用の意図があったからです。さすがに天皇家を壊滅させたりすれば、日本を占領した際に、手ひどい復讐を受けると考えたからにほかなりません。彼らは最初から、天皇に戦争責任を負わせないつもりだったのです。だからこそ日本人は、戦後、アメリカ軍を歓迎し、敗戦だと考えなかった側面があるのです。そしてその後、宣伝だけで敗戦意識を植え付け、贖罪意識を植え付けようとしたのです。

共産化したアメリカによる情報戦
なぜアメリカ諜報機関は、こうした心理作戦が重要だと思ったのか。それは、このOSS機関の主要メンバー、つまりアメリカの共産党を中心とする左翼が、そうした方針をとらせたと言うことができます。というのも、ルーズベルト大統領が設置したこの機関は、大統領のコロンビア大学の級友、ウイリアム・ドノヴァンに、中央情報局と秘密活動(諜報活動)を兼ねた期間をつくることを命じ、1942年に組織させたものです。要するにインテリジェンスのっ頻でした。

ニューディール政策を取っていた大統領自身が、すでにソ連の社会主義を肯定し、親ソ連、親中国共産党の人物を集め、アジアにおいては、社会主義化するための方策をとらせたのでした。その社会主義化も、労働者のみの革命は諦めていたのです。スタッフは、終戦までに工作員、補助工作員を含めて3万人を超える人員を抱えていたため、大量の左翼が活動することになります。冒頭の産経新聞が報じたエマーソンもハーバート・ノーマンも、このOSSに所属していた人物で、ほかにも戦後、一橋大学の学長になった都留重人もその一員でした。アメリカで共産党活動をしていたジョー小出をはじめとする在米日本人も活動していました。要するにインテリが情報戦で人々を騙そうとしたと言って良いでしょう。

最近出版された加藤康男氏の『昭和天皇 七つの謎』(ワック)は、ノーマンについて触れていますが、肝心なOSSの組織活動については無視しています。この組織があったからこそ、ノーマンもエマーソンも活動できたのです。OSSについての無知は、諜報機関に詳しいはずの元外交官、佐藤優氏にも及んでおり、日本に関してこれほど重要であったOSSの組織解明ができないのも、これを継いだ戦後のCIAが、全く正反対の反共活動を行ったことが原因だからです。

多くの日本の評論家が、複雑なアメリカの政治的変遷を捉える能力を欠いているのです。また、もうひとつの理由として、日本人識者が、新たな「革命理論」と言える「二段階革命論」が、よく理解できないからからとも言えましょう。これは、すでにレーニン主義的「暴力革命」は不可能になったことを認識したユダヤ共産主義者たちが、社会の封建的側面を破壊する「民主主義革命」を起こし、その後、資本主義の崩壊を引き起こす「二段階革命論」なのです。

延安で野坂参三が「社会主義は、軍国主義の破壊を通してブルジョワ民主革命を通した後に得られる」と言っているのは、この論理を日本に適用しようとしていた証拠です。

「二段階革命」がなぜ戦後日本で起こったのか
二段階革命論は、フランクフルト学派の学者であるルカーチなどが生み出し、日本には、ドイツに留学した福本和夫などが移入しました。講座派と言われる学者にも大きな影響を与えています。イタリアの共産党員、グラムシなども、この方式を支持しています。アメリカに亡命し、OSSのメンバーに加わったフランクフルト学派のノイマン(後にソ連スパイとして逮捕される)や、1968年の五月革命でホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼなど多くのフランクフルト学派が影響を与えたことはよく知られているのです。

彼らも当時、この二段階革命論を持っていました。しかし戦後は「批判理論」という、常に社会を批判し続ける態度に変わりました。二段階革命の目的の社会主義が絶望的になったことを踏まえて、ただ「体制批判」を繰り返すことによって、何らかの「革命」をする、という一層無責任なものになりました。その理論が、ほぼ今の共産党、社会党、後の民主党の理論となったと言って良いでしょう。

最終的には、この「二弾か革命理論」が盛んになり、OSSが中心となって、日本と中国の社会主義化工作を行っていました。その中心の一人であったエマーソンの『回想録 嵐の中の外交官』(朝日新聞社、昭和54年)によると、OSSの長官であるドノヴァンは重慶政府(国民党政府)よりも、共産党の根拠地、延安に援助を与えることを明言した、と書いています。つまり、アメリカはOSSを通じて、中国の共産党政権を後押ししていたのです。OSSは、米軍輸送機C47で、大量の物資、機材を重慶から延安に運んでいました。国民党政府は抗議しましたが、ドノヴァン長官は受け付けなかったといいます。

このエマーソンの「延安報告」に基づいて、国務省の極東委員会の方針がつくられました。そして「日本軍国主義者に対する心理作戦」という計画書を提出し、共産主義者・野坂参三にその理論を説いて、日本の戦後「革命」に協力させたのです。

「人民に訴う」に酷似した日本国憲法
この二段階革命論者の鈴木安蔵が参加した憲法研究会の提案が英訳され、GHQの民政局のラウエルに渡れたものが、今の日本の憲法に反映されているのです。鈴木は、フランクフルト学派である福本和夫に学び、「封建的諸制度」を崩壊させることを主眼に置いて、憲法を変えようとしたのです。

日本国憲法が、共産党の声明文「人民に訴う」とよく似ているのもそのせいです。ノーマン、エマーソンらによって府中刑務所から釈放された共産党の徳田球一、志賀義男らは「アメリカ=解放軍」と捉え、「人民に訴う」を発表しました。

「人民に訴う」では
1、 ファシズムおよび軍国主義からの世界解放のための連合国軍隊の日本進駐によって、日本における民主主義革命の端緒が開かれたことに対して、われわれは深甚の感謝の意を表する。
2、 米英および連合諸国の平和政策に対してわれわれは積極的にこれを支持する。
3、 我々の目標は天皇制を打倒して、人民の総意に基づく人民政府の樹立にある。(「人民に訴う」)

しかし情けないのは、共産党は帝国主義国であったはずの「英米及び連合諸国」の平和政策を支持するなどと、本来の歴史観では考えられないことを述べているのです。それだけこの時代の英米が、社会主義に道を開いた左翼的な国に見えたのでしょう。日本国憲法が、いかに共産党の方針に則して作られたかが分かります。

1946年2月4日、GHQの民政局ホイットニー局長がマッカーサーの意向で、憲法草案の作成をすることを告げ、ケーディス、ラウエル、ハッシーなどの配下を運営委員にして17人のメンバーで、憲法制定の作業を始めました。マッカーサーは「三原則」として、
1.天皇の位置
2.戦争放棄
3.封建制度の廃止
を掲げましたが、これは明らかにOSSの「日本計画」の案と一致しており、それが共産党の案でもあったのです。

そして共産党が「人民に訴う」で述べた「革命」の前段階としての現状認識は「八月革命」説、すなわち天皇主権の明治憲法の改正ではなく、国民主権を突然持ち出した憲法であるから、「革命」に等しい、という説にも合います。また戦後、天皇が「神権」を放棄されたことは、「国体」そのものも「八月革命」で消滅した、と解釈したというのです。いずれにせよ、宮沢氏はOSSの方針、つまり二段階革命説による一段階目の「革命」だと認識したと言えるでしょう。

しかし、それはOSS「日本計画」以後のアメリカの政策によるもので、決して国民自ら決めたものではないことは明らかです。「明治憲法」によらない、突然の「憲法」制定など、正当化されるべきではないでしょう。このような無謀な憲法を勝手に受け入れる論理をつくろうとしたのが、宮沢氏の「八月革命」という言葉でした。過去と断絶した、という発想です。こうして作られたのが、現在の「日本国憲法」です。

今日の憲法論議に、こうした新憲法理解が全くされておらず、多くの「憲法学者」が「民主主義」憲法と述べ、政府も「学者の言うことだから正しいだろう」と、相変わらず彼らに諮問し続けて、愚かさを露呈しています。「ケーディスら憲法の素人が8日間でつくった」などという批判だけでは、憲法批判になりません。それは、左翼学者が憲法の専門家であるから正しい、という考えを肯定してしまうからです。この憲法が、初めから「社会主義革命」の第一段階をつくろうとした、という本質を語らねばなりません。新たな米英公文書館から出てきた資料による憲法解釈をしなければ、憲法論議は無駄だと思われます。

今の憲法があるから平和なのではない
憲法は革命の第一段階ですから、必ずしもそこに社会主義の言葉はありません。しかし憲法1条では「天皇は、日本国の象徴であり・・・、主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、あたかも国民の意志で、天皇の存在を左右できる、と書かれています。これは次の段階を狙ったものです。2条に「皇位は、世襲のもの」と書かれていることと矛盾していますが、1条を優先しているのです。

その矛盾は9条が最も顕著です。9条1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力によるによる威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と書かれています。一体これは何でしょう。

9条2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、国の防衛をまるで放棄した全く非現実的な条文です。

ここには、他国から攻めてくる、という観点が全くないのです。戦争は、必ず日本からやるものだ、と決めてかかっています。人が必ず死ぬ戦争に、自分から進んで行う国など、世界のどこにも存在しないはずです。同時に、他国から攻められたら、相手を攻撃し、侵入を防がない国もありません。自ら護手段を持たない国などは、古今東西あり得ないのです。

どうしてこのような9条を作ったのでしょうか。憲法前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」というおかしな言葉があります。他国には常に「公正と信義」があるだろうと信じきっている内容です。しかしこれも妄想でしかありません。他国は隙があれば必ず攻めてくると思わなければなりません。この全くおかしな戦争放棄の条文も、これまで述べてきた「革命」の理論を知れば、その意味がわかります。

歴史を見ると「革命」は必ず暴力で行われます。その武力を制するのは、国家の軍隊でしかない。警察では抑えることはできません。軍隊を持たないとする憲法は、まさにその「革命」を成功させる機会を与えることなのです。つまり第二段階目の社会主義革命の成功をたやすくさせるための憲法9条である、と考えざるを得ません。

だからこそ、「革命」を望む人々が「9条を守る会」をつくるのです。社会主義革命を目的とする共産党、社会党、民主党の多くが憲法擁護で頑張るのは、そのせいであることが、おのずから分かります。未来の「共産主義革命」を望むからこそ、彼らはこれを死守しなければならないのです。彼らは決して「民主主義」の段階でとどまってはいません。民主主義の段階では、体制に常に批判するだけという「批判理論」の方法を用います。

この日本国憲法には、ほかにも多くのおかしな点があります(詳しくは拙著『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』の第4章「日本国憲法は社会主義憲法」に書きました)。しかし、このような憲法ができて、70年経った今も変わっていないにもかかわらず、日本には二段階目の「革命」方向には、一向に向かっていません。かえって、ソ連の崩壊や、中国の独裁制などの方向を誰も望まなくなっています。今こそ、このような視点から現憲法を放棄し、新たな憲法をつくらなければなりません。

左翼が言うように、この憲法があったから、戦後70年が平和だったわけではありません。他国から侵略されても、防ぐ力を持つ「自衛隊」がつくられ、それが軍隊と同じ力を持ち、戦後2年にして「反共」に変わったアメリカ軍の存在があったからこそ、日本は中国や北朝鮮から侵略されなかったのです。OSSがCIAに代わって、アメリカが反共に転じ、ソ連や中国という「共産党」によって統治される「全体主義国家」に対抗して、同盟を結んでいるからこそ、侵略されなかったのです。このような戦後の実態をつかんでこそ、我々の未来があるのです。(一部敬称略)

http://fukuoka.goyu.jp/opinion/oss

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東北大学名誉教授 田中英道

アメリカ大統領ルーズベルトは、1941年米国戦略情報局(OSS)を創設しました。OSSは日本改造計画を研究し、日本を戦争に引き込んで、日本をつぶす計画を周到に作成しました。アメリカは歴史のない国で、インデアンを抹殺してできた国です。日本をつぶすためには、日本の歴史、伝統、文化を忘れさせる各種の施策が計画されました。

OSSの日本計画作成集団は、当時のフランクフルト学派の社会主義理論研究者集団であり、日本の社会主義化を狙ったものでした。中心人物のケーデイスやラウレルが1945年に作られたマッカーサー占領軍司令部(GHQ)の部長として日本に赴任してきて、OSS日本計画の政策を実現していきました。計画の実行は、二段階革命を目指しており、先ず日本の民主化と称して民主主義革命を完成させ天皇は象徴として残し、その後天皇制を廃して社会主義革命を完成させるという計画でした。実行された計画は、憲法を作り、当時日本の指導的立場にあった26万人を公職追放しました。この公職追放の最大の影響は、東大、京大を始めとする大学の学長、学部長が職を追われ、大東亜戦争中には政府の政策に反対していたマルクス主義の信奉者が選ばれ、その後全国の大学にマルクス主義の学閥が出来上がり、現在もその学閥が続いていることです。大学では学生がフランクフルト学派の教育を受け、官僚や報道関係に就職し、社会の指導的立場に就いていきます。日本を否定し、反権威主義、批判思想の教育を受けた人たちが社会の中心にいるわけですから、その影響は計りしれません。またフランクフルト学派では、報道・マスコミを押さえることで国民の洗脳を図り、ナチスドイツの例ように国論、世論を変える工作が巧妙に進められました。戦争は陸海軍の軍人が起こしたもので、国民は悪くなかった、またアメリカは正義の戦争をし、日本は侵略戦争ををしたというものでした。

この方針に沿って、OSSが書いた筋書き通りに行われたのが、極東軍事裁判でした。7人の高級軍人、閣僚をを死刑にしました。またラジオ、新聞、雑誌の事前検閲を行い、アメリカに対する批判は一切禁止し、日本陸軍はアジアにおいて侵略戦争をしアジア各国に多大の被害を与えたという事実と異なる報道を行いました。この政策を7年間も継続したため、国民はそのように信じてしまいました。さらにこの方針に従って歴史や社会の教科書が作られたため、日本国民は日本はほんとに侵略戦争を行ったと今でも信じさせられています。日本が大東亜戦争間に、米、英、仏、オランダをアジアにおいて破った事が戦後のアジア諸国の独立につながった事実は忘れてはなりません。

現在も力を持っているフランクフルト学派は、ロシア革命後は革命が成功しなかったことから最終目標の革命をあきらめ、反権威主義、批判主義思想で、凡庸、平凡さを掲げ、優秀な突出した人を作らないという考えで、大学から小学校まで浸透しており(小学校の運動会で1等を作らない徒競争の例)日本社会全体で、学者でも研究分野でも作家でも世界に通用する優秀な人がいなくなる傾向にあります。またテレビ等のメデイアにおいてもその考え方は徹底しています。

日本は世界の中で最も優れた伝統、文化があります。イタリア、ギリシャは観光収入が財政の20%あり、観光で食べている国です。年間の観光客数は、伊5千万人、ギリシャ5千万人いるのに日本は600万人で、シンガポールより少ない数です。世界の中で日本が最も古い遺産を持っており、優れた遺跡が全国に沢山あるのに、国民は教えられていないため、遺跡に対する好奇心も起きなくなってしまっています。アメリカ占領政策の歴史、伝統を忘れさせるという方針が、現在も徹底されています。

日本の歴史観を持とうという活動や日本の歴史を再学習しようという運動を起こさなければなりません。私の伊、独、仏の6年間の留学や、大学での教鞭をとった経験から、日本の歴史、伝統文化遺跡は世界に誇れるものでありながら、日本人は自身が日本の素晴らしさを教えられていないし、自分たちも自信を持っていません。
今後は大学を変えるため、今年慶応大学の中で国史学会を立ち上げ活動を始めていきます。皆さんも世界に誇れる日本の歴史、伝統を再学習する運動を起こして頂きたいと切にお願いする次第です。(文責 吉田邦雄)



田中英道氏プロフィール
1942年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科、美術史学科卒業。ストラスブール大学に留学し博士号取得。ローマ大学、ボローニャ大学客員教授、新しい歴史教科書をつくる会元会長を歴任。現在、東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また、日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める。
著書に『イタリア美術史』Leonard da Vinci、『ルネサンス像の転換』、『光は東方より』『日本美術全史』History of Japanese Art、『国民の芸術』、『聖徳太子虚構説を排す』、『新しい日本史観の確立』、『「やまとごころ」とは何か 日本文化の深層』、『日本の歴史 本当は何がすごいのか』、『日本の文化 本当は何がすごいのか』、『日本の宗教 本当は何がすごいのか』(育鵬社)、『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」 二段階革命理論と憲法』(展転社)、『戦後日本を狂わせた左翼思想の正体 戦後レジーム「OSS空間」からの脱却』(展転社)、『日本人が知らない日本の道徳』(ビジネス社)、新刊『戦後日本を狂わせた反日的歴史認識を撃つ』(展転社)など多数。



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