山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

まつろわぬ民の反乱があった!!

2022-11-04 20:29:38 | 読書

 真摯で矜持のある児童文学を上梓していた後藤竜二『野心あらためず / 日高見国伝』(講談社、1993.8)を読む。以前から、読み終えるとピュアな魂の余韻が残る作家として注目していた児童文学者だった。

 「宝亀の乱」(780年)で起きた大和朝廷と蝦夷との抗争を題材にした史実の物語だけに、実在の人物が登場する。

       

 主人公は、東北の先住民・アビという蝦夷出身の少年だ。この作品の焦眉は、大和朝廷と蝦夷という二項対立の構図ではないところにあるように思う。むしろ、蝦夷でありながら朝廷内で立身出世をもくろむ者、蝦夷を弾圧する側の先頭に立つ裏切り者、抗争より商売優先にしながらも蝦夷を支援する者、朝廷側の役人でありながら最後は蝦夷側に寝返るもの、どちらにもつかずに均衡を保つ者、徹底抗戦に生きる蝦夷等など、被支配側の中の多様な立場も描いているが一面的ではない。

          

 蝦夷の英雄・アテルイやモレがもっと前面に出てくると思っていただけにこれは意外な展開だった。「宝亀の乱」は蝦夷出身者であり朝廷側の出先の役人だった「呰麻呂(アザマロ)」が起こした反乱だが、出先機関だった巨大な多賀城を落城させ、朝廷側に立つ幹部を殺害する。しかし、朝廷はその対策にいろいろ手を打つがいずれも混乱するばかりだ。それどころか、朝廷内の内紛に追われる。

         

 児童文学でありながら、おとなでも十分読み応えある内容だった。さらに、挿絵の田中槇子さんの鉛筆によるデッサン画が豊富にあるので、想像力をさらに掻き立ててくれて読みやすい。この中身の重厚さからか、野間文芸賞を受賞する作品となったのもうなずける。残念ながら、作者は2010年67歳の若さで他界している。

  

  「都の貴族たちにとっては、蝦夷征伐なぞ、出世のための事業にすぎぬ。しかし、われらにとっては、生き死にの問題だ。陸奥は、貴族たちの出世や政争の道具ではない。ここに骨を埋めるわれらの国なのだ。」という、蝦夷出身でありながら蝦夷統治の役人をしている者の本音を作者は語らせている。

   

 主人公の少年アビの成長物語でもある作品だが、後半は「呰麻呂」の煩悶と活躍が前面に出ていてアビの姿が小さくなっているのが気になる。ただし大切なことは、縄文以来、平和的に暮らしてきた「日高見国」が日本に二重権力状態として存在していたという事実だ。従来の歴史観は勝者の立場でそれらを無視してきた。

         

 「宝亀の乱」以降、陸奥侵略がますます本格化していく。東北の金山の発見がそれに追い打ちをかける。東北は「黄金の国・ジパング」として世界を動かしてもいく。このところ、「東北学」が喧伝されてもいるが、そこに生きてきた「まつろわぬ」精神をもっと発掘していくべきだとあらためて思う。

         

 アビ一族の族長であり、アビの父であったシラスは「野心あらためず」として処刑された。一族が弾圧されるなかでアビが誕生するというのが本書のスタートだった。「まつろわぬ」とは、不服従を貫いて生きていく姿勢だ。そこにいち早く注目し発掘したのが後藤竜二だった。約30年も前のことだ。

         

ここ数年来、歌舞伎でも蝦夷の英雄アテルイを主人公にした創作歌舞伎が上演されることもあった。しかし、世界遺産に指定されて注目されてきたとはいえ、縄文から古代東北の歴史はまだまだ発展途上にある。その意味で、著者の先駆的な作品の価値は高まるばかりではないかと思うのだが。

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