諸星大二郎の漫画「暗黒神話」にほだされて、古代の最大の謎・縄文人の行方や出雲王朝の消滅がやはり気になる。そこでまた、民間の異端の歴史家として数多くの書物を上梓している関裕二『縄文人国家=出雲王朝の謎』(徳間書店、1993.7)を読む。『聖徳太子は蘇我入鹿である』とか『なぜ<日本書紀>は古代史を偽装したのか』とか、のセンセーショナルな書物を一貫して提起している著者にはかねがね注目しているからでもある。
というのも、著者がいつも指摘しているのは日本書紀の神話などをベースにしている学者たちの思考停止への批判がある。もちろん、著者の機械主義的な単純論法のめちゃぶりには異論もないわけでもないが、著者が言わんとする方向性は大いに共感するものがある。「九州王朝(現天皇家)=弥生人国家(渡来人)=アマテラス」と「出雲王朝(滅亡王朝)=縄文人国家(先住民族)=スサノオ」との暗闘の歴史が示したのは確かに明快でわかりやすい。
「征夷大将軍」は江戸まで続いた称号だが、「征夷」とは言うまでもなく、東北にもう一つの異人の国家があったということだ。古代以来の歴史はこの異人に対する征圧の歴史でもある。だから、オラはそのもう一つの歴史、つまり制覇された敗者の歴史の掘り起こしが必要だとかねがね思っていたからだ。それを丹念に追究し孤塁を守ってきたのが、在野の関裕二氏だ。ときどき、蝦夷の指導者「アテルイ」が取りざたされてもいるが、大河ドラマでは1993年放映した「炎立つ」で奥州藤原氏を描いたのが精いっぱいで、蝦夷やアイヌを直接主題にするのはタブーなのではないか。
モヤモヤした日本の曖昧さの中にタブーはしっかり存在する。その一つが出雲王朝の滅亡・掃討であり、「暗黒神話」のルーツでもあり、プロパガンダの成果でもあった。著者は、「弥生以降の稲作文化のみを日本文化だと錯覚すると、やがて大きなしっぺ返しを受けることになろう」と、佐治芳彦氏を引用して持論を補強している。文献重視の史学界にあって、神社や民間伝承に光を当てたのは哲学者・梅原猛でもあるが、関裕二氏は従来の「史学界の常識に、真向から反対」する立場をあえて堅持している。
「ヤマトタケルは東国縄文人の英雄だった」「聖徳太子は縄文人だった」とのショッキングな著者の言い分の背景には、数十年にわたる推論の積み重ねがある。そして、「日本の歴史は、天皇家と、天皇家によって抹殺された縄文人との間の格闘史といっても過言ではない」と断定し、「縄文人の誇りを残そうと戦った者たちの鎮魂の意をこめて」、本書は捧げられた。