前々から、秀吉の茶匠だった武将「古田織部」の織部焼の斬新さに魅せられていた。時代の転変を受け入れた彼の役割を国立博物館の専門家の立場で上梓した、矢部良明『古田織部/桃山文化を演出する』(角川書店、1999.7.)を読む。表紙に、「HING OMNE PRINCIPIVM」(全てがここから始まる)というラテン語が不定形な織部焼とともに記されている。これは角川グループの本社の壁に刻まれたものだという。創業者の初心を忘れるなというメッセージのようだ。
これは同時に、織部がめざしたのは、利休の「冷・凍・寂・枯」をコンセプトとする美学ではなく、理屈を超えて五感に訴えたパフォーマンス、つまりわかりやすい大衆的なファッション感覚による創作活動というメッセージが「始まった」ことでもある。
ずいぶん前に、織部文化の展示場に行ったときの驚きはいまだに忘れられない。これは現代作家の茶の湯パフォーマンスではないかと思えたほどの作品群だった(上の画像は現代作家が作成した織部焼。石橋静友堂WEBから)。
そのうえ、茶の湯革命を通して桃山文化をコーディネートした稀代の武将・古田織部は、山上宗二・千利休と同じく何ゆえ腹を切らなければならなかったかが歴史の闇でもある。
本書を読むにあたっては、専門的な茶道用語がボンボン出てくるので上の『茶道具ハンドブック』(淡交社、2012.3.)が大いに役に立った。織部の生涯というところでは不満が残る著書ではあるが、利休の茶道をさらに広げ、深め、大衆化した織部の役割を茶道具を通して仔細に展開したものだった。茶道を習っている人や建築家には絶好の書には違いない。
そのうえさらに、織部焼の小皿群は、従来の食器(土器・漆器)の観念を変え会席料理の革命をもたらし、現代とつながっているのも大いなる発見だった。軽妙なフットワークで時代を泳いだ織部の精神は現代にも生きている。まさに、「全てがここから始まる」のだった。