先日行われた歴史民族研究会で「宗門人別改帳(シュウモンニンベツアラタメチョウ)」の原本を初めて手にすることができた。
これは講師の木下恒雄さんが近所の唐紙の裏張りから発見し、大変な手作業で剥離・編集したものだ。

時代は文化十年(1813年)、場所は堀之内村(現春野町)である。
「修験道」「禅宗」など、宗門ごとに文書がある。

表紙は「宗旨御改判形帳」とあり、内容は、家族の名前、属する寺院・宗派、年齢、続柄が4段にわたって書かれている。

この「改帳」は、キリシタン対策でもあるが、事実上の戸籍である。
つまり、寺院が行政の末端を担ったわけである。
それは同時に、仏教が堕落していく過程でもあり、明治の廃仏令のエネルギーともなる。

葬式仏教に転落してしまった堕落は、いっこうに宗教改革がはじまらない。
そのルーツがここにある。
徳川家の民衆統制マジックのすごさがいまだに効いているのである。
これは講師の木下恒雄さんが近所の唐紙の裏張りから発見し、大変な手作業で剥離・編集したものだ。

時代は文化十年(1813年)、場所は堀之内村(現春野町)である。
「修験道」「禅宗」など、宗門ごとに文書がある。

表紙は「宗旨御改判形帳」とあり、内容は、家族の名前、属する寺院・宗派、年齢、続柄が4段にわたって書かれている。

この「改帳」は、キリシタン対策でもあるが、事実上の戸籍である。
つまり、寺院が行政の末端を担ったわけである。
それは同時に、仏教が堕落していく過程でもあり、明治の廃仏令のエネルギーともなる。

葬式仏教に転落してしまった堕落は、いっこうに宗教改革がはじまらない。
そのルーツがここにある。
徳川家の民衆統制マジックのすごさがいまだに効いているのである。