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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

路地裏探検 石地蔵三体の巻

2012-03-02 13:52:31 | 石仏・石造物
 都会の瀟洒なマンションやアパートのかたわらに、なんとか存在を死守している石仏がある。
 屋根の中にあるのはそれだけまわりの信心やつながりが深いということにちがいない。

          

 いかにも円満そうな地蔵菩薩に、カラフルなおべべがお似合いでござる。
 高さは立派なもので、いまだに心をくだいてくれる地元の人がいる。

                 

 板碑状の石に彫られたお地蔵さんの素朴さがなにより。
四角い板碑に彫られているのが珍しい。

                          

 左手に赤ちゃんを抱えているのだろうか。
 右手は錫杖のようだ。
 座っているお地蔵さんは少ない。
 丸型の光背らしきものがなんとかついている。

 朽ち果てそうな3体のお地蔵さんは往時の悲喜劇をふまえ、表情を越えて土くれになろうとしている。
 お地蔵さんは人間のつながりが遮断されていく今をどのように見ていらっしゃるのだろうか。
 
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巡礼と旅行の石塔

2012-03-01 20:49:57 | 石仏・石造物
残雪は道路際にわずかとなった。
 残念ながら、膝は寒さのためか変形性関節炎に泣き、いよいよ高齢者資格合格となった。
 運動が唯一のリハビリなので、路地裏探検となる。

 しばらく歩くと、「奉拝礼/四国西国・秩父坂東供養塔」と刻まれた石塔にあう。
 四国の88箇所以外の西国・秩父・坂東は33箇所の札所がある。
 観音様は33種に変身することで、そのすべての像を巡礼するというわけだ。
この札所めぐりを達成すると記念に「供養塔」を建立するらしい。


                   

 右面には「月山・湯殿山・羽黒山」の三社の名前も刻印されている。
 左面は「江戸・大山」への道標となっている。

 ムラはずれにあるこの「供養塔」に拝礼すれば、札所のすべてを回ったことになるのかもしれない。
 旅行じたいが命がけの当時にあっては、旅行そのものが閉塞を破るエネルギーだったのだろう。

 歩数計は1万歩を越えた。
  
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里山・長蔵寺の石仏

2011-10-16 21:20:36 | 石仏・石造物
 遠州の里山・長蔵寺地域に石仏がまとまって鎮座していた。
 いずれも、かつて廃寺となった長蔵寺境内の跡地の一隅にある。

       

 「役行者(エンノギョウジャ)」らしき長老。高下駄がしっかり見えないので同定がむずかしいが、近くの道路沿いにも役行者の石像がある。

                 

 お地蔵さんと思われるが、正座であるのが珍しい。多くは立像。
 手に持っているのは「蓮華」または「柄香炉」らしいが、わかりにくい。

                       

 庚申塔の青面金剛像。左手に弓・法輪・金剛杵(コンゴウショ)、右手に三叉鉾(サンサホコ)・矢・宝刀?などがなんとか読み取れる。
 光背に「文化3」年(1806年)の銘が刻まれている。

                               

 右手に錫杖(シャクジョウ)、左手に宝珠というスタンダードな立像。
 口がややおちょぼ口なのがかわいい。

 それぞれ個性的な作品であるのに、狭い敷地に追いやられているのが残念だ。
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三猿の庚申塔に敷石・雷神??

2011-01-07 09:45:58 | 石仏・石造物

 初詣に行ったとき意外な石塔に出会った。

 「不見、不聞、不言」の三猿だけの庚申塔は、江戸初期のものらしい。 奉納は、判読が難しい刻字から「寛文」年間と解読し、1668年ではないかと。 江戸中期以降は、「青面金剛像」が主流となっていくので、この庚申塔は確かに初期の貴重な形式を示しているものだ。 

 庚申の「猿」は、神道では主尊。仏教では「青面金剛」像が主尊。 この寺は天台宗だが、その教えの中に、三猿が出てくるそうだ。 相互乗り入れが民間信仰の真骨頂だ。

 三猿は中国から伝播したが、世界的に存在していて、そのルーツはわからないらしい。 そんな流れの中で三猿は江戸庶民の心を捕捉してしまった。 現実を「不見、不聞、不言」ということは、それほどに、現世は厳しいということだったのかもしれない。

                   

 その近くに「敷石供養塔」というのがあった。 この「隅丸角柱型」石塔には摩滅した地蔵らしき坐像の下に「敷石供養塔」と彫られている。 おそらく、寺院の参道にはかなりの石と労力がかかったのだろうが、その痕跡はこの石塔のみだ。 まわりは民間の住居が目の前まで迫り、寺を包囲している。 民家に押された寺は崩落しそうな山の斜面の隅っこでなんとか体面を保っている。 

それにしても、敷石にまで畏敬するという発想はすごい。 一神教の傲慢さに比べて、多神教はじつに謙虚でもある。

                           

  さらには、シンプルな「雷神塔」があった。 きっと、日照りが続いたのであろう、急遽、作られたのかもしれない。雷神は神道系のものだが、ここでも、寺院の庭に神道系の石塔が混在している。 排他的ではないのがいい。

つまりは、多様な神々とともに、民衆は複雑な現実に多様に向かいあっていたのにちがいない。                     (川崎市高津区)

       

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林道の二つの石仏

2010-12-20 20:33:10 | 石仏・石造物

 昨日の散策会の小俣林道には二つの石仏があった。
 岩岳山登山道入口には、大正4年、「金原林業部」が奉納した「不動明王」が不定形な火炎をバックに登山者や林業関係者の安全祈願をしているようである。
 顔つきは憤怒相というより、優しいお兄さんが「気をつけてナー」とでも声かけしているような表情だ。

                 

 一方、林道半ばには岩の上にあって多くの人が見落としていた可愛い「馬頭観音」立像があった。
 3頭身くらいの石仏で、奉納されたのは読み難い裏面によると大正6年のようだ。
 こちらの表情は安全を祈る慈悲深さが込められている。

 どちらも、「治水の基は水源涵養林にある」と「あばれ天竜川」を治めた金原明善の林業事業が軌道にのってきた時代の息吹が感じられる。

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山間の小さな道祖神?

2010-11-26 16:59:58 | 石仏・石造物
 先日の森の散策会で素朴な石仏に出会った。
 摩滅していて仏の表情や文字を解読するのは難しい。
 しかし間違いなくこのさびしい道にはかつて往来があり、愛知の鳳来寺と長野の善光寺とを結ぶ道でもあったのだ。

 おそらく道祖神であろう石仏の傍らには、鋼鉄製のミニ鳥居が奉納されていた。
 これがどういう意味があるのかはわからないが、重い鳥居をここまで持ってきた信心たるものの強さを知るのみだ。
 昔の人のほうが精神の強靭さがあるんだなー。
 
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石仏巡礼も捨てがたい

2010-11-19 20:09:49 | 石仏・石造物
 まだまだ鳳来寺シリーズが続きます。
 石段の続くこの参道沿いに豊富な石仏が迎えます。
 その中でも、「智拳印」という忍者みたいな印相をしている「大日如来」を発見しました。密教の中心思想である世界やいのちの源を体現している仏です。
 この印相は、仏とあなたは一体ですよという意味だそうだ。
 真言宗の寺に沿った石仏だ。空海さん、初めて出会った石仏です。

        

 かなり摩滅した「地蔵菩薩」。
 右手に錫杖、左手に宝珠。素朴な表情がいいですね。

              

 いわゆる「半跏思惟坐像」ですね。奈良の中宮寺の像はあまりに有名ですが、この「如意輪観音」は女性です。願いはなんでもかなうという観音様で、信仰心の厚い女性に人気があったということです。

                  

 全ての人をもれなく救うという「千手観音」ですかね。この観音様は「聖観音」の化身でもあるというので、蓮の花をしっかり持っています。
 これは苦しんでいる人々をしっかり掬い取ろうという意味があるそうです。

 鳳来寺の石仏は磨耗が激しく表情や年代がわからないものが多かったのですが、偶然多様な仏様を撮ることができ、同じように見える石仏の違いがわかりました。
 これだけでも収穫がありましたね。
 合掌 !!
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鳳来寺参道の石灯篭(常夜灯)

2010-11-17 23:30:31 | 石仏・石造物
 参道両側を石灯篭(常夜灯)にこだわって見てみるのも面白い。
 一般的な型は、春日型がよく目にするが、鳳来寺ではローソクを入れる「火袋」や「竿」(足)が四角型が多いのがわかった。
 この「四角石灯籠」は鎌倉後期以降の形式だという。それだけ歴史が古いともいえるかもしれない。
大木前の石灯籠は、反りあがった「傘」の上の「宝珠」の下には「請花」がある。
 「火袋」に膨らみがあるのが特徴。

                      

 「宝珠」の下には「請花」がなく、傘の反りもなくシンプルだ。
 「牛頭天王」の刻字が見えるので、これは祇園社( 八坂神社)系信者の寄進かも。

                      

 「火袋」が膨らみ状、それを支える「中台」に「連弁」が見られる。

           

 春日神社に見られる六角型の典型的な「春日型」灯篭。傘の先端には「わらび手」があり、「中台」には「格狭間(コウハザマ)」の装飾がある。「竿」が円筒形なのが特徴。


           

 「竿」が短く弓なりになり、「基礎」部分には4本の足がある。岩の上に置かれている。

これらの違いはどうでもいいといえばそうなんですがね。
 汗をかきながらもこんなことで気を紛らわせることもできるってわけ。   
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鳳来寺の石像・現代彫刻

2010-11-16 20:49:43 | 石仏・石造物
 鳳来寺参道には現代彫刻あり、いにしえの石仏・石碑ありで、杉の古木の下で調和を図っている。

 寺の開祖とされる利修上人は鳳凰にのってこの山岳にきたことにちなんで、現代彫刻のマエストロ「薮内佐斗司(ヤブウチサトシ)」の作品がひょいと鎮座しているが、みんな通り過ぎてしまう。
 奈良のマスコット遷都くんの作者でもある。

                       

 多くの石仏に混じって、不動明王の石仏があった。
 こんなところが山岳仏教の聖地らしいところだ。

           

 本堂近くの片隅の茶屋となりに行き場を失った「狛犬」が揃って道行く人をあきれたように見ていた。
 狛犬と言えば、三遊亭円丈の写真コレクションが有名だが、ここの狛犬はどんな分類がされるのだろうか。

 参道を往来する人々の悲喜交々のドラマが石仏や野外彫刻に吸収されているかのようだ。
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山間地で出会った石仏

2010-03-31 21:32:56 | 石仏・石造物
 先日、天竜相津付近を散策中、ひなびた小道で宝暦8年(1758)の銘がある聖観音石仏に出会いました。250年以上前でありながら保存がよく、作品としても優れた石仏の庚申塔です。
 千草村と上鳥村?の講中が寄進したものです。右手の印相の「施無畏印(セムイイン)」は、人々の恐れを取り除き安心を施す意味があるとのことです。
 この数年前には、米価が高騰して各地で生活苦が深刻であったり、長雨で洪水があったりの自然災害が多発したことから、この庚申塔ができたのかなと、勝手に想像しています。
 なにより、人気のない荒涼とした小道にポツンと鎮座する石仏に、当時の民衆の思いが詰まっているのかナーと、思う一瞬でありました。
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