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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「供養塔」を次々発見したが

2013-12-15 22:09:43 | 石仏・石造物
 町を歩くと、春は花や若芽が気になるが冬は石造物が気になる。
 このところ、「供養塔」に出会うことが多くなってきた。
 はじめは何のための供養かがわからなかったが、これは「巡礼供養塔」であるのがわかってきた。

 むかし庄屋らしき門前には、文久元年(1861年)銘があり、「天下泰平・国土安穏」と彫られた「四国・西国・秩父・坂東・供養塔」と刻まれている石塔があった。

    
 観世音菩薩は33の姿に変化して民衆を救うということから、坂東・秩父・西国では33の観音霊場(約1000km)が設定される。(四国は88箇所)
 江戸時代に興隆したこの巡礼は参拝が成就されるとその証として地元に「供養塔」が建立される。


 その門前から5分ほどの所には、観音像のある「西国供養塔」(天保14年・1843年)があった。
 観音像が彫られている供養塔は初めて見る。

 ここにも、「天下泰平・国土安穏」と刻印され、わきに、「秩父・坂東」と書かれている。
 どうやら、村落毎に代表を「講」組織が派遣する仕組みがあったようだ。

                              
 さらには、シュロに囲まれた立派な「四国・西国・秩父・坂東・供養塔」(天保9年・1838年)も発見した。
 ここは、「江戸・大山」道への旅路の分岐点らしく、大きさも飾りも立派なものだった。

        
 右面には「湯殿山・羽黒山・月山」も刻印されているので、修験道の白装束の人も通ったのかもしれない。
 旅人は命がけでもあったので、供養塔はその旅の無事を祈願する意味もあったに違いない。
 同時に、自由ではなかった旅行が信仰の名の下でできたメリットも大きい。

                       
 最後に見たのは、「四国・西国・秩父・坂東」の銘のある供養塔だった。
 これは大正11年(1921年)建立のいちばん新しいものだ。
 集落はこのころまで存立していたのが類推できる。

 むしろ現代のほうが集落の維持といい、コミュニティーが崩壊しているわけだから、歴史の進歩・発展とは微妙なものだ。
 巡礼供養塔はそんな村落共同体の絆を表現しているのかもしれない。
 



 

 
 
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茶道具が彫られた石灯籠

2013-12-13 21:04:45 | 石仏・石造物
 健康維持のため街なかを歩いてみる。
 とあるお寺でお茶道具が彫られている石灯籠を発見。
 京都の善導寺の茶庭にあった石灯籠がモデルになっているという。
 茶道具の「五徳」と「茶碗・茶筅」が浮き出ている。

    
 この「善導寺型」石灯籠は全体的にはずんぐりしているのが特徴のようだ。
 「傘」のぶっとい「蕨手」や寸胴の「竿」、さらには「中台」のハート型模様が斬新だ。
 茶道具は、「なつめ」と「茶杓」の面と、「鉄瓶」とが見られた。

                         
 意外だったのが、「梅と鶯」の面があったこと。
 これは茶道具にこだわらない作り手の創作なのだろうか。
 「春日型燈籠」は鹿・雲・三笠山・格子戸とパターンが決まっているが、「善導寺型」はどのような茶道具を彫るかは自由のようだ。

      
 ついでに、豚カツ屋の庭にある「善導寺型」燈籠を見に行く。
 「鉄瓶」は確認できたが、もう一つの面は「火鉢・火箸」か「茶碗・茶杓」かが判らない。

                  
 これは、「五徳」はわかるが、もう一つは「茶碗」と「茶筅」のように思える。
 本来は茶庭にあるべきものだろうが、この二つを見る限り場所を選ばない現状のようだ。
 同じ石灯籠のなかでも「善導寺型」石灯籠は個性的なところから、現在なお人気があるようだ。
 
  
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ききょう寺は石灯籠が圧巻

2013-12-04 01:28:33 | 石仏・石造物
 よく目にする石灯篭は、「火袋」の図案が「雲・鹿・三笠山・格子戸」から構成されるものが圧倒的。
 それは春日大社の灯篭で、通称「春日型」と呼ばれる。

 ききょう寺の入口まもなくの灯篭は春日型に近い形式だが、家紋のようなデザインが彫られているのが違う。
 このききょう寺は春日型がないといってもいいくらい多様であるのがすごい。

                         
 石灯籠の「火袋」以外は全て自然石使っている豪快なものもあった。
 地震の時はどうなるんだろうかと、余計な心配をする。

     
 同じように、やや加工した自然石を乗せたものもある。
 これらは分類上では「山灯篭型」ともいうが、統一されているわけではない。

                      
 「火袋」を支えている「竿」の部分を「吾唯足知」の文字でくり貫いているのも初めて見た。
 それにしても「笠」の部分がでかく重量感がある。
 「火袋」も「竿」も四角であるのが特徴だ。

  
 また、「笠」の形がモスクみたいな灯篭もあった。
 これは霧雨の中で佇む鷺の形を表す「濡鷺(ヌレサギ)型」灯篭というらしい。
 鷺の図案が彫られていることらしいが確認していない。

                        
 池に面している「脚付型」灯篭もなかなか見られないものだ。
 火袋は六角形、足は2本。

     
 ついには、灯篭の基本形を解体してアバンギャルドな灯篭もあった。
 「火袋」部分を吊るして松の木のような「竿」で従来の決まりを省略している。
 こうした度肝を抜くような灯篭を配置する住職の闊達な経営手腕にまたもや感心する。

 葬式仏教に堕した日本のお寺に辟易している昨今、こうしたところに目を向けるお寺に少しは安心する。 
                            
 
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ききょう寺の多様な石造物群

2013-12-03 01:04:14 | 石仏・石造物
 ききょう寺の圧巻は、多様な石造物の存在。
 いちばん関心があったのは、灯篭の種類の多さだが、それは後日に譲ることにする。
 一方、かわいい小さなお地蔵さんが多数配置され、短い教えが掘られているが、どうも内容に深さが足らない。

 庭の中央に目立った「恋愛観音」も、キキョウの花言葉「変わらぬ愛」にちなんでの観音様だ。
 この感性は、顧客への媚びもないではないが、お寺の経営手腕のフットワークの素晴らしさと受け止めたい。

  
 この丘陵地帯は7世紀あたりから古墳になっていたことから、黒御影の「供養塔」が平成3年に建てられている。
 庭の奥まった所の展望台隣にひょいと置かれていた。

                      
 反対に門をくぐったすぐに、赤い石の「撫で石」があった。
 さすがに親しみやすいのか、ツルツルに磨かれている。
 この石は「生命の躍動」を表し、災いを防ぐという。

  
 同時に、村のはずれにときどき見られる「六地蔵」があったが、現代的にアレンジしたお地蔵さんが彫られていた。
 それはじつにかわいい仕草・表情であり、きっとキキョウ目当ての女性を意識した作品かもしれない。

                       
 さらには、犬猫の供養塔も彫られていた。
 デザインも練られていて、じつにカワイイ。
 こうしたところにも、お寺の経営感覚の柔軟さと努力が感じられる。

  
 それだけではなく、オーソドックスな「十三重石塔」もあった。
 一番下の「初層」の4面には梵字の「種子(シュジ)」が「薬研(ヤゲン)彫り」で彫られている。
 「末法思想」が流布した平安時代後期に流行した石塔だが、これは新しい。
 以前、奈良の談山神社(藤原不比等を祀っている)に行ったところ、木製の十三重塔が珍しいとの記憶が甦った。

 かようにして、ききょう寺は植物ばかりではなく石造物のデパートだった。
 花があまり見られないときでも十分楽しめられる探検となった。

 
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6体の狛犬に守られた青山の秋葉神社

2013-10-25 17:38:28 | 石仏・石造物
 先月上京したおりに見つけた青山の秋葉神社。
 瀟洒なビルの谷間にひっそり神社がある。
 ビルに包囲された狭い敷地になんと、6体の狛犬がいた。
 人とすれ違うのもやっとのなかの境内は、犬小屋いや狛犬小屋じゃあなかろうかと思いたくなる。

 
                
 鳥居をくぐってすぐに「寛政2年」の狛犬。
 ふつう、口を開けた「あ」形の狛犬は向かって右側なのに、ここは左側。
 頭上が凹んでいるのは、角を取り去ったという説と河童型だったという説があるらしい。

  
 大正期に作られた2対は、耳がモダンな毛で隠れている。
 どことなく愛らしい。

   
 いちばん奥の拝殿前のは、「大正9年3月」の銘があるいかつい狛犬。
 日本が国際連盟に加盟し常任理事国となるような近代化・軍事化の勢いがあった時代だ。
 狛犬研究の第1人者三遊亭円丈師匠によれば「招魂者社」系のえばった?狛犬なのかもしれない。
                     

       
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弁才天の石仏が川の中に、なぜ?

2013-02-17 14:14:30 | 石仏・石造物
 マロンさんの通勤ルートだったという愛知県設楽町清崎の豊川沿いに車は急いだ。
 通勤していていつも気になっていた石造物が川の中ほどにあるという。
 この石造物だけを見るためにわれわれは静岡から出かけたのだ。
 確かに、石垣で突出した祠が見えてきた。

   
 釣りの大会があるというので、釣り人が近くで場所を確保していた。
 マロンさんが気になるわけに納得のたたずまいの祠。
 巨岩を踏み越えて石像に近づいてみる。

         
 なんとそれは琵琶を持っている弁才天、弁天さまだった。
 弁天様は七福神の神でふつうは坐像のはず。
 立像は珍しい。

               
 顔はふくよかな笑顔だった。
 われわれは川の犠牲者の鎮魂の石碑かと推測していた。
 
 弁天さまは、学問・技芸・雄弁・戦勝・蓄財の神というが、じつは古代インドの神様で「水」「川」の神様だという。
 これで納得。
 上流の7箇所に弁才天が奉られているという。

 この石像の国道257の反対側に馬頭観音・役行者の石仏群を発見。
 ここは交通の要所だったに違いない。
 マロンさんのこだわりと好奇心に感謝。
 こういう好奇心を忘れたらいかんと痛感した石仏ツアーだった。
 
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地域に伝わる「平八地蔵」物語

2012-03-19 20:25:55 | 石仏・石造物
 昨日の天竜相津の散策会で「平八地蔵」という石仏を見に行った。
 崖下に二つの祠が並んでいて、そこに地域に伝わる次のような民話が残っている。

        

 このあたりに平八という百姓が住んでいたが、不治の病と言われる皮膚病に犯され、まわりから差別されていた。
 そんななか、カツだけは平八の面倒を見てくれた。
              
 あるとき阿多古の観音山のふもとに、その皮膚病によくきく温泉があることを耳にして、平八はさっそくこの温泉で病気全快の日々をしばらく過ごした。

              

 いつの間にか数年が過ぎ去り、皮膚病もなんとか治ってきたので、平八は故郷に帰る決心をした。
 苦楽をともにした温泉の同病者たちは、七両もの餞別を平八に渡してくれた。    しかし故郷に帰ってからは病が再発し平八は、「わしが死んだらこの金で地蔵を建ててくれ」と、カツに託した。                                          
                    


 平八の死後、秋葉街道わきに皮膚病快気のための地蔵が建立された。
 人々はそれを『平八地蔵』と呼んで、生前平八の好物であった酒と唐辛子をそなえて、病気全快を祈願するようになった。

                         
           
 その後、平八を献身的に看病したカツの石仏も一緒にまつられている。

 平八地蔵は左側の小さい地蔵で、右側の蓮を持つ聖観音がカツさんではないかと思われるが、みんな手前の観音様にしか目にいかないようだった。
 二つとも顔面が破損していたが、祈願者が撫でたのであろうか。

 路傍にある朽ちかけた石仏にもこうしたいわれがあるなんて、じつに豊かじゃあないですか。
 過疎の進行はそうした想像力を枯渇させていく過程、経済優先過程でもあるんだな。

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迫力あるムキムキ狛犬

2012-03-14 20:14:52 | 石仏・石造物
 狛犬をよーく比較すると違いが見えてくる。
 これも春野町諏訪神社の狛犬。
 左右ともに筋骨隆々の獅子だ。
 「ア形」がメスとは言うけれど、どうも信じがたい。

                  

 目玉がやけにデカイ。
 「ウン形」は口を閉じているので、迫力を出すのが難しい。
 そのために、目力・筋肉・眉毛のパワーで悪霊を祓おうというのだろう。

 さらに、足の位置が獅子のどっしり感をかもしだしている。
 石工の獅子にこめる入魂の気迫が伝わってくる。
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ペットのような狛犬

2012-03-13 20:04:49 | 石仏・石造物
 神社の狛犬調査では「三遊亭円丈」が日本では第1人者であることを以前テレビで見たことがある。
 彼によれば、中国から伝わった「唐獅子」が日本では多様に変化していったという。
 つまり、中国では左右の獅子は相似形であるが、日本では、右が獅子・口が「ア形」・メス、左がイヌ・口が「ウン形」・オス、というパターンが一般的だそうだ。

                

 浜松市春野町の蛭子(ヒルコ)神社の狛犬は、表情が人懐っこい。
 左右とも獅子の形のようだ。

 右の「ア形」の獅子は、びっくりして「えっ!」という顔をしている。
 悪いことをして叱られているときの表情とも見える。

 左の「ウン形」の獅子は、ご主人様の命令に対して「そんなことできないよー」というような表情をしている。
 
 狛犬のルーツである守護神ライオンとしての任務が希薄である。
 飼い犬をモデルにしたかのような現代風な狛犬だ。
 石工の温和な性格が出ているのかもしれない。

 きょうの午前中は、水源近くの林道の道普請。
 生コンを流してみんなでならしながらの肉体作業。
 長靴やズボンがコンクリートで固まってしまうー。
 欠席しても文句がでないほどの穏和なつきあいがいいね。
 尖った人間関係がないのがなんとも素晴らしい。
 
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山里の美人馬頭観音

2012-03-11 20:48:49 | 石仏・石造物
 天空の里、春野町胡桃平の道端に二体の馬頭観音がひっそりたたずんでいた。
 昔は隣の森町へ抜ける道で、馬車の往来があったようだ。
 森林王・金原明善もこのルートで森町へ馬車で行ったかもしれない。
 馬の供養や旅の安全を祈願した場所である。

 観音が持っているのは柄のついている「柄香炉」。
 蓮の花模様のある柄香炉のようだ。
 大正12年に古い馬頭観音のかわりに設置されたとのことだ。

                 

 古い方の石仏はバギーガールではありません。
 やはり、馬の耳なんでしょう。
 このての馬頭観音は蓮華のツボミをもっていることが多いのですが、破損されていてわかりません。

 破損してもなんとか保存し、また新しい観音も補充するという、村人の優しさが伝わってきます。

 東北大震災1年目。
 むごい運命をにらんで観音様に合掌。
 

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