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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

桃源郷の珍しい石祠

2016-04-11 21:47:09 | 石仏・石造物
 桃源郷は暗いトンネルを抜けると突然現れるそうだ。
 トンネルを抜けるとそこは現代の桃源郷だった。
 トンネルといっても起伏ある暗い針葉樹の狭い道を越えると、熊(クンマ)の山里だった。

 そこには、集落の名前がいっぱい刻まれた道標があった。
 それだけ集落が山に点在しているということに違いない。

                             
 大きな屋敷のある熊平さんの隣にかわいい「馬頭観音」があった。
 頭の先にウサギの耳のようなものがあったので、これは馬の耳だねということになった。    

    
 しばらく歩くと、山の上にいくつかの墓標が並んでいた。
 その中に、立派な家形の「石祠(セキシ)・石堂」を二つ発見。
 二つとも屋根のてっぺんに宝珠をいただく「宝形(ホウギョウ)造り」となっており、反った「唐破風(カラハフ)」がある豪華なものだった。

                            
 「破風」の中央はふつう、火防の「懸魚(ケギョ)」の飾りがあるが、その形からはケギョである確信はない。
 今まではシンプルな家形の石祠しか見たことがなかったが、これだけ入れ込んだ装飾の石祠は見たことがない。

 中央の観音開きの中には仏像とか神像とかが安置されているらしいが確認せず。
 この石像は熊地区の貴重な文化財なのだが、近くを通る人はあまり注目していない。
 それが長く保存されてきた秘訣だったのかもしれない。

               
 近くの建物の屋根にまたまた珍しい飾りを発見。
 お寺だったのか、分校だったのか、わからない。
 地元の人に聞くと、むかしは教員住宅だったという。
 屋根の飾りの意味が知りたいが、検索が難しそう。
 桃源郷「熊の山里」にはまだまだ宝が眠っている。

            



 
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バリ島の神々降臨、浜松フラワーパーク その3

2016-03-09 19:57:33 | 石仏・石造物
 フラワーパークの温室には、バリ島の神々が熱帯植物の合間にムードメーカーとして鎮座していた。
 ヒンズー教の影響だろうか、神獣が多い中で「エダリ」という艶めかしい天女。
 幸運をもたらすことで人気がある神らしい。

                             
 不動明王と仁王像を合体したようないかにも魔よけの守護神は、玄関などに置かれる戦士「ラクササ」だ。
 沖縄のシーサーのような存在だが、ラクササは大きく、武器も持っている。
 顔は獅子舞の頭のようで怖くない。

                      
 半人半鳥の「ガルーダ」も、悪霊を祓う神鳥だ。
 顔はカラス天狗に似ていて、口は鳥のかたち。
 左手は悪を祓い、右手は利益を得られるといういわれは、仏像にもあるなーと共通の現世利益観をみる。

                   
 ガルーダの像がまたあったかと思ったが、「シンガ」はオスのライオンだという。
 災厄を阻止する狛犬のような存在だ。
 
      
 商売繁盛・学問の神という「ガネーシャ」は、大黒様のような幸運の神。
 この像はどこかで見たことがある人気の像・ゾウだ。


 ニュースでは、高浜原発の3・4号機の再稼働を停止する大津地裁判決が出された。
 画期的判決だが、高裁・最高裁へいくとどうしても権力寄りになってしまう。
 しかし、法曹界にも少数ながら良心的な裁判官がいることにほっとする。
 目先の利益や景気に目を奪われてはない。
 日本としてのエネルギーの中心軸をもたなければならない。
 民主党よ、権力から追い出された教訓から学んだのだろうか。
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つつましく屹立する石仏と神社

2015-12-09 21:11:48 | 石仏・石造物
 昨日下見した春野町杉峰地区で発見した二つの石仏。
 つい見過ごしてしまう樹の下にある。
 いまにも崩れそうだが、集落で大切にされているのがわかる。

       
 判読が難しい石仏だったが、なんとか庚申の青面金剛像のようだ。
 手には弓と矢を持っているのは確認できたが、あとの4つの手の持ち物は判読できなかった。
 バックの舟型後背のラインは見事でしかも、真上からみると扇型なのが珍しい。
 碑の一番上には、月と太陽の丸印が刻まれていた。

                             
 隣の「地蔵尊」は両手を合わせている。
 錫杖を持つ地蔵の場合も多いが、シンプルな形態だ。
 いかにも小さな集落のつつましさが出ている石仏だ。

      
 石仏の後ろには小さな神社があった。
 神社の名前はどこをみても確認できない。
 八幡様らしいが、このへんのお宮はことごとく名前を表示していない。


 10人に満たない集落のわりには、神社の周りも内部もきれいにしてある。
 集落のつつましさが山里らしい。
 向かいの山並みの眺望がすばらしい。

 PM2.5も大気汚染も放射能も騒音も心配ない。        
 
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苦悩を癒した民間信仰のしるし

2015-10-20 22:30:36 | 石仏・石造物
 国道の通行止めを迂回したとき、春野町上野集落のはずれで石仏を発見。
 向かって右が、「庚申塔」の青面金剛像。
 向かって左が、「三十三所観音」像。

     
 イケメンの青面金剛像の手は6本ある。
 向かって右手には、矢・宝剣を持っているが上段の持ち物が判読できない。
 向かって左手には、弓・羂索(ロープ)を確認できるがやはり上段の持ち物が判読できない。
 形態は「舟形光背型」だがかなり崩れかけている。

                       
 この村から関西の33か所の札所を回った人がいたのだろう、「巡拝塔」が隣にあった。
 観音の頭には化仏もどきが彫られている11面観音で、両手は蓮の花の蕾を持っている。
 下段には寄進した人らしき名前も彫られている。
寛政12年(1800年)に作られたようだ。
 観音は33の変身ができるというのでそれぞれのお寺・札所がある。

 急峻な地形の村から街に出ることが少ない環境の中で、せめてもの不安や苦悩を癒す対象だった野仏。
 お参りしてからまたつつましい生活の繰り返しを貫いていくのだ、なー。    
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古い石仏、新しい石仏

2015-06-18 20:50:36 | 石仏・石造物
町内のはずれにある曹洞宗正源寺を訪ねる。
知り合いから「ナンジャモンジャの木」があると聞いていたからだ。
もちろんとっくに花は終わっているのがわかってはいた。
しかし樹木に詳しそうなお寺にはいろいろあって発見できず。

   
階段横には庚申塔があった。
庚申は「道教」の民間信仰だからお寺としては境内にいれるわけにはいかないのかもしれない。
青面金剛像の左手には法輪と矢、右手には宝剣と弓、さらには月と太陽、がなんとか読み取れたが、字は解読できない。
おそらく江戸時代のものに違いない。

               
                          
整備された境内には「水子地蔵」がいっぱい並んでいた。
つまりこれだけの赤ちゃんを止むなく喪失してしまったということなのだろうか。
水子供養の歴史は浅く、1970年代から広まった。
檀家制度の破綻が強くなっていく中で、お寺と大手石屋とのタイアップ、それに占い師が水子の祟りを語るなどして全国に広まったという。 

        
階段上から天竜川を見る。
山を借景とする風景がみずみずしい。
  
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次郎兵衛と治郎兵衛は同じ人物?

2015-06-15 21:54:16 | 石仏・石造物
先日、浜松市春野町の水窪で祀られている石仏を見たが、ネットで調べてみる。
 格子越しで見た2体の石仏。
 向かって左側は、寛保2年(1740年)10月建立の「次郎兵衛様」と言われる地蔵菩薩。
 
 相良出身の商人松下治郎兵衛という人が水窪の市を繁栄させたのでその功労を称えた石仏だという。

           
 隣の佐久間町相月(アイヅキ)の諏訪神社に、「治郎兵衛霊神」が祀られているという。
 この治郎兵衛は、過酷な年貢に抗議して首を切られた名主だという。
 こちらの話のほうが信憑性がある。
 次郎兵衛と治郎兵衛とは同じ人物なのであろうか。

                           
 次郎兵衛様の隣に「双体道祖神」があった。
 解説には、美男美女の兄妹が婚活をそれぞれしたがうまくいかず、結局その二人が結婚したという物語が書いてあった。

          
 画像ではわからないが、脚がからんでいたり、妹の手が兄の○○をつかんでいるらしい。
 天明3年(1783年)建立というから、全国的な飢饉があってもなおおおらかに生きようと願う民衆の願いが込められているのかもしれない。

 わが家の和宮様は、昨日収穫した梅で甘いカリカリ梅に初めて挑戦。
 手間のかかる梅仕事にいよいよとりかかる。

 
 
 
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法事で人と墓に囲まれる

2014-05-11 20:09:33 | 石仏・石造物
  法事で都会に行く。
 人の波に酔いそうになる。
 森や植物と共生してきた人間がそれを放擲し、コンクリートジャングルに狂奔して当たり前になってしまった現実。
 都市中心主義は地方を疲弊化させ、人間の心も疲弊化させる。
 750年以上生き抜いてきたという都内最大の「イチョウ」も場末に追いやられている。

      
 元宝塚トップスターだった「越路吹雪」の墓前はいつも花が飾られている。
 それを横に見ながら密集した墓をかきわけながら?母の墓をめざす。

 読経を聞きながら、文化の中心であった宗教はいまや葬式仏教・法事仏教に貶められたことをまた突きつけられる。
 生きる希望は日本の宗教から削除されたかのようだ。
 つまらない説教は聞きたくないが、だれも理解できないような読経を止める宗教改革が必要だ。

                         
 モダンな墓を発見する。
 「赤松沙鷗」という有名人らしい墓らしいが詳細はわからない。
 ただし、その奇抜なデザインは従来にとらわれない生き様をみる。

 
 寺院群が密集する街路に「天真寺」という寺を発見。
 あまりに小さな石に掘られた寺の名前を見て廃寺を「やっぱりな」と想像した。
 しかしもう少し近づくと想像を絶する巨大な五輪塔の出で立ちに驚愕する。

                       
 それもそのはず、ここは大名の墓所だったようだ。
 どおりで破格の大きさの五輪塔がいくつか見られる。
 茶人であり松江藩主で知られる松平不昧公の隠居所もある。


    

   
 

 
 
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佐久間は「馬頭観音」の宝庫

2014-03-21 21:57:45 | 石仏・石造物
 畝づくりの農作業を始めてまもなく霰が降ってきた。
 天気予報では晴れのはずなのに、そのうちに吹雪のように霰が吹きすさぶ。
 しょうがなく、これ幸いと? 作業を中断して休憩とする。
 午後になってなんとか晴れ間が覗いたので作業を続行。

 先日の佐久間の馬頭観音が忘れられない。
 大黒様のような髪型と8本の手がある舟形石仏が珍しい。
 頂上に「西国」の文字が刻まれているので、西国巡礼の道中安全の祈願・お礼も兼ねているのだろう。


 頭のてっぺんに馬らしき痕跡が残っている舟形の馬頭観音。
 長髪で優しそうな顔をしている。

          
 いますぐにも崩れそうな舟形石像だが、これも頭上に馬の痕跡がある。
 「おれのことは心配しないでがんばるんだぞ」と、叫んでいるようにも見える。

                     
 馬の耳がしっかり残っている駒形石像。
 「何があっても忍耐、平常心じゃぞ」と諭しているお姿。

 
 自然石に「馬頭観音」と刻印してあるが、地震が来たら崩れそうな文字観音。
 角石柱に文字を刻んだ馬頭観音。

 信仰の道、流通の道、長野への道、往年は賑わっていたであろう山の道も今では人と出会うことすらなくなってきた限界集落を促進している。

 歴史の進歩とは、文明の進歩とは、利益を生まないものを置き去りにするということか。
 庶民を応援していた心の希望であった「馬頭観音」は、そんな人間たちをどう見てきたのかを聞いてみたいものだ。
 
 
 
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珍しい庚申塔を発見

2014-02-19 19:35:52 | 石仏・石造物
 1時間ほど歩いてみると、場末の庚申塔に出会うことができる。
 庚申塔の主尊は、「青面金剛」像が標準的なのだが、「不動明王」であるのはけっこう珍しい。

 かたちは、舟型。
 手が6本で、法(宝)輪・剣・弓矢・三叉戟・ショケラ(体内に巣食う三尸虫を表現、女性の髪の毛をつかんでいる)を持っている。
 上に月と太陽、下に邪鬼・三猿、よく見ると鶏の線刻が見られる。
 典型的な「剣人型」の庚申塔だ。

                           
 かなり不鮮明な庚申塔もあった。
 かたちは「駒型~かまぼこ型」。おそらく両手を合わした「合掌型」。
 顔も手もわかりにくいが、上の月と太陽はなんとか読み取れる。
 下には邪鬼がいて、その下に猿もいるようだ。

   
 ある寺の境内でも駒型(月と太陽部分がやや盛り上がっている)の庚申塔。
 これも手と顔が不鮮明だが、まるで踊っている神のようだ。
青面金剛が邪鬼ではなく岩の上に立ち、その下に三猿がいる。

            
 最後に刻印がはっきりわかる板碑状の「角型」庚申塔。
 上の月と太陽には「瑞雲」が省略され、下には三猿が刻まれている。
 手には弓矢・三叉戟・法輪を持ち、両手は「合掌型」。
 頭巾をかぶっている表情がいかにも怪しい。

 それぞれ近在にあるにもかかわらず、形や様式もまちまちなのが面白い。
 中国の民間信仰「道教」の影響力が江戸庶民の暮らしに深く根ざしているのも興味深い。
 また、石工たちの自由な発想が石像に見られるのが庚申塔の醍醐味だ。
 まだまだ石像めぐりはしばらく続きそうだ。      
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石工の自由さがいい、庚申塔

2013-12-24 19:07:11 | 石仏・石造物
 コンクリートに覆われた道路の場末にムラの絆の証がひっそり立っている。
 それが、江戸時代民間信仰の盛況を極めた「庚申塔」だ。
 マンションのそばにある板駒型の石に彫られた「青面(ショウメン)金剛像」の表情は厳しい。
 「青面金剛」はもともと病気を流行らす悪鬼が改心して病を駆逐する神となった。

     
 頭は頭巾ではなく「おむすび型」の頭髪。
 6本の手には、宝輪、弓,矢、ショケラ、三叉戟、剣などがなんとか読み取れる。
 安政7年2月に建立されている。

                         
 「ショケラ」はふつう、長い髪を捉まれた罪ある女性が彫られているが、ここではなさけない顔をした男のようにも見られる。
 「ショケラ」は体内にいる重病を引き起こすと「三尸(サンシ)虫」を表すともいう。

     
 もう一つの「庚申塔」にも会えることができた。
 「柱状型」の石に彫られた青面金剛は上に月と太陽が配置され、下に「三猿」と邪鬼がいた。

                              
 また、「おむすび型」頭髪の上には「蛇」がとぐろを巻いていた。
 6本の手には、三叉戟・宝輪・弓・輪・ショケラ2を掴んでいる。

          
 特筆すべきは、「ショケラ」が二人いることだ。
 これはなかなか珍しい。
 一人は髪の長い女性らしい。
 もう一人は合掌している姿が見られる。

 青面金剛像の様式はあまり決まっていないので、石工たちが自由に彫っているのが伝わってくる。
 硬直した仏教様式に対して、民間の縛りが緩やかなのがすばらしい。
 そんな一端が見える路地裏歩きはなかなか魅力的だ。
 
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