50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

地中海の歌姫~ダリダ

2007-05-24 00:42:05 | 美術・音楽
ダリダ・・・知っていますか? 昔、日本でも大ヒットした曲を歌った女性歌手です。その曲の名は・・・『甘い囁き~パローレ・パローレ』。思い出しましたか? これはデュエット曲でした。一緒に歌っていたのは、あのアラン・ドロン。ヒットしたのは1973年。あのリフレインが蘇ってきますよね。ここで、うんと肯いた方は、私と同年代か上の方ばかりかもしれないですね。日本では、すっかり忘れられているかもしれない、このダリダ。無理もありません、死後20年。でも、フランスでは、今でも根強い人気を保っています。


このダリダの芸能活動と彼女の人生を振り返る“DALIDA une vie…”(「ダリダ、ある人生」展)が、パリ市庁舎ホールで開かれています。

ダリダ。本名ヨランダ・ジリョッテイ(Iolanda Gigliotti)。イタリア人夫婦の間に、1933年、エジプトのカイロで生まれる。父親は、カイロのオペラ座のヴァイオリン奏者。小さい頃から音楽や舞台に慣れ親しんで育ったようです。1954年にミス・エジプトに選ばれ、エジプト映画に出演したりしていましたが、より大きな活躍の舞台を求めて、その年のクリスマスに、パリへ。パリで当初住んでいた小さなアパルトマンの同じ階にいたのが、まだ無名だったアラン・ドロンで、よくおしゃべりをしたそうです。56年にオランピア劇場のオーディションに参加。その際、聖書の『サムソンとダリラ』から取って使っていた芸名Dalila(ダリラ)をDalida(ダリダ)に変更。そしてこの年、本格デビューを果たし、「バンビーノ」が2週間で30万枚を売り上げるヒットに。これでスターの仲間入り。


(順路は、まず2階へ。出生証明書から始まり、彼女の人生を物語る品々が展示されています。)

61年にマネージャーと結婚するが、すぐ離婚。67年にはイタリアの歌手と結婚すると発表。彼の作った曲でそろってサンレモ音楽祭(懐かしい!)に参加。しかし、この曲(Ciao amore ciao:チャオ・アモ―レ・チャオ)は落選してしまう。そのショックで、彼がピストル自殺。数週間後、ダリダも睡眠薬で後追い自殺を試みるが、一命を取り留める。この試練から彼女を救ったのは、舞台でした。歌うことによって救われたようです。しかし、表情も声の質までも変わってしまい、陰のある歌い方になりました。


(彼女の使った化粧道具なども展示されています。)

70年代に入ると、アメリカや日本をはじめ、多くの国で、彼女の歌う曲が大ヒット。フランス語はもちろん、イタリア語・英語・ドイツ語・日本語・エジプト語・スペイン語など10ヶ国語で歌っています。また、ディスコ用の曲も歌うようになり、彼女が75年に吹き込んだ“J'attendrai”(「待つわ」、あみんの曲みたいですね・・・あみんも古いですね)が最初のディスコ曲といわれています。


(彼女の写真を表紙に使った各国の音楽雑誌。その中に、日本のものも含まれています。)

80年代には、押しも推されぬフランスを代表する歌手になっています。


(ゴールド・ディスクは70以上、そしてダイヤモンド・ディスクまで受賞しています。)

しかし、好事魔多しで、70年代に付き合っていた元カレが83年に自殺。彼女は人生に4度結婚し、うち3人の夫が自殺した、とも言われています。何という人生でしょう。そして、87年に付き合っている恋人との関係が思わしくなくなったとき、ついに彼女は、「人生は耐えられない。許してください」という遺書を残して、モンマルトルの自宅で睡眠薬自殺。5月3日のことで、享年54歳。今はモンマルトル墓地に眠っています。


(彼女がステージで着た衣装が展示されています。)

彼女が生まれながらにもっていた優雅さが多くの人を惹きつけたと言われていますが、それ以外に、本来イタリア人で、生まれ育ちはエジプト、というエキゾティックなバックグランド、しかもイタリア語・英語・フランス語・アラビア語に堪能となる環境で育ったこと、また歌ったのが覚えやすい曲が多かったこと、そしてその人生がドラマティックだったこと。こうしたことが、存命中はもちろん、今でも多くのファンがいる主な理由だそうです。

彼女の最後のコンサートはトルコで行なわれました。イタリア、エジプト、フランス、トルコ・・・まさに地中海世界で生まれ育った音楽の女神。しかし、その人生は壮絶でした。歌はヒットに次ぐヒット。2,000曲以上もレコーディングし、売り上げたレコードは、1億2,000万枚以上。70以上のゴールド・ディスクを獲得。しかし、恋人や結婚した男たちは自殺、自殺、自殺。彼女もついに、自らその命を絶つ。無責任なようですが、ピアフの自伝映画に次ぐ芸能人の伝記映画にはうってつけの人生かもしれません。ピアフと言えば、ダリダは『ミロール』をイタリア語でカバーしているのですが、ピアフへの敬意から決してフランス語では歌わなかったそうです。


なお、地中海の歌姫は、映画にも出演しています。そのクリッピング・ビデオやポスターなども展示・上映されています。


“DALIDA une vie…”
9月8日までの開催(日曜・祝日休館)

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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
懐かしい・・!? (pinky)
2007-05-24 01:44:09
うん、うんと肯きましたよ。
アラン・ドロンの映画は殆ど観てますから、もちろんこの曲も記憶にありました。…あみん…サンレモ音楽祭…
「音楽は思い出の目次」ですね。今日は色々な思い出が蘇り、なんだかほんわかした気分になりました。ありがとうございます。
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世代 (take)
2007-05-24 03:41:25
pinkyさん

音楽とか、スポーツとか、世代を語るものって、多いですよね。“C'est l'elegance de l'homme moderne.”(セレレガンスドゥロムモデルヌ;これぞ現代人のエレガンス)、確かこうだったですよね、アラン・ドロンがCMで言っていた台詞。アラン・ドロンと言えば、『太陽がいっぱい』と並んで、この台詞を思い出してしまいます。

「音楽が思い出に語りかける、思い出が音楽に語りかける」、こんな内容のことをNHKのアナウンサーが言っていたと思いますが、これもなるほどと思って、覚えています。(「~に寄り添う」でしたか?)

私など、年なのでしょう、思い出の曲、名選手などを語ると、次から次に出てきます。それでいて、今覚えたフランス語の単語はすぐ忘れています。アブナイ!
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波乱な・・・ (スノウ)
2007-05-24 03:58:32
こんにちは。
ダリダ、つい最近TVでドキュメンタリーを見ました。
夫や彼がみな自殺してしまった、という話しは実にショッキングでした。
ダリダ自身も「呪われている」と言ったそうですね。
なんという波乱な人生でしょう。こういう人生もあるものですね。

わたしはダリダの「パローレ・パローレ」が大好きで昔よく聞いていました。あのころはまだ声がよく出ている時代だったのでしょうかね?

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ドキュメンタリー (take)
2007-05-24 04:27:17
スノウさん

確かFRANCE3でやっていましたよね。没後20年ということで、展示会があり、ドキュメンタリーが放送される。今でも、ダリダを懐かしむファンが多いのでしょうね。また、こうした展示会を行なうパリ市もたいしたものですね。こういった点は見習ったら、と思います。

パローレ・パローレは1973年、自殺未遂が67年ですから、陰のある歌い方になってからなのでしょうね。だからこそフランスっぽい大人の女性の雰囲気になっていたのかもしれないですね。そんな気がします。

それにしても、すごい人生でよね。今でも、音楽の世界では、こんな人生があるのでしょうか。疎くて、分からないのですが・・・。
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甘い囁き (habara)
2007-05-24 05:14:03
覚えています!この歌。

まだ英語とフランス語の違いもわからない子供でしたが、覚えやすい曲と歌詞(というより音として認識)で、心の底に深く刻み込まれていました。
以来ずっと忘れていましたが、日記の中のタイトルを見た瞬間、30年ぶりに記憶が再生されました。それだけ当時インパクトがあったという事なのですね。

ダリダの人生の一端に触れることが出来て、より興味を持つことが出来ました。
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印象的 (take)
2007-05-24 05:55:41
habaraさん

そうですよね、とても強い印象です。ダリダという名を聞いたとき、誰だ、というつまらない駄洒落をいいそうになったくらい、彼女の名は忘れていたのですが、パローレ、パローレ・・・とここだけは今でも鮮明に覚えています。日本で、多くの人が覚えているのではないでしょうか。

この曲が日本でもヒットパレードの1位になった、というのは逆にフランス人にとって印象的なようで、会場で配っているパンフレットで紹介しているダリダの略歴、その1973年のところに日本で1位になったというのが明記されています。わずか1ページの略歴、そこで1行割いて紹介されています。

思わぬ日仏交流になっているようです。
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私も同世代 (極楽トンボ)
2007-05-24 14:43:55
ええ、覚えてます、「パローレ、パローレ…」。でも、相手がアラン・ドロンだったとは知りませんでした。
サンレモ音楽祭も…これは今はなくなったのでしょうか?
昔は(汗)、日本でもヨーロッパの音楽とか映画とか
もっとポピュラーでしたよね。なつかしい。。。
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サンレモ (take)
2007-05-24 15:48:08
極楽トンボさん

そうですね、ヨーロッパの音楽、流行っていましたよね。カンツォーネ、シャンソン、ファド、それにギリシア音楽も。懐かしいですね。でも、どこもアメリカンスタイルになってしまったのでしょうか。残念な気がしますね。

因みに、サンレモ、少なくとも、去年まではやっていました。去年が55周年。3月始めには、こちらの朝のニュースで、CMタイムの前後になつかしの映像を流していました。弊ブログでも昨年の3月8日に、簡単な紹介をしています。

チンクエッティ、ミルバ、ドメニコ・モドゥーニョ・・・名前を忘れてしまった歌手も多いですね。とにかく、懐かしいですね。
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はじめまして (shoky)
2007-05-24 18:13:25
なつかしいです。
10年前にパリでフランス人の友達とドライブしてたときに合唱しました。といっても今年40歳の私はサビを覚えてたにすぎず、隣で運転中の彼がアランドロンになりきっていたとはいまのいままで知りませんでした!

少し前からこちらのブログにおじゃましてますが、ほとんど10年前3年間留学していたパリをとても懐かしく思い出します。そしてもっといろいろ見ておくべきだったと反省してます。またお金を貯めて行きたいです。

とはいうものの、いまフリーで仕事をしてまして、暇なシーズンですので、ビールを飲みながらテレビでお相撲を見ちゃってます。今日は結びの一番で座布団が舞いましたよ。



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アラン・ドロン (take)
2007-05-25 01:40:24
shokyさん

コメントありがとうございます。

会場で配っているプログラムに、
1973 Dalida est numero 1 au Japon avec Paroles paroles, duo avec Alain Delon.
と出ています。アラン・ドロンは、本国やアメリカでの人気が落ち目になっても、日本だけでは、その人気を維持。インタビューで、「こう見えても、日本では大スターなんだ」と言ったとか。日本でのアラン・ドロン神話は根強かったようですね。

私は、年齢的にはもっとよくこの曲を知っていてもいいはずなのですが、やはり、さびの部分しか覚えていません。でも、そういう歌なのでは、と勝手に思っています。

相撲ですね・・・肥満体の裸のどこに文化がるのか、という新大統領ですから、日仏関係はどうなりますか。でも、シラク氏が邪魔でなくなれば、眼中から消えてしまうでしょう。可もなく不可もなくの関係になるのでは、と思ったりしています。

これからも、ご訪問・コメント、よろしくお願いします。
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