50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

5人を結ぶ1本の糸。

2008-03-25 05:42:12 | 映画・演劇・文学
今日は、フランス人、あるいはフランスに関係する人物5人をごくごく簡単にご紹介します。その5人は生きた時代は異なりますが、全く無関係ではありません。どんな糸で結ばれているのでしょうか・・・5人とも男性で、決して赤い糸で結ばれているのではないのですが、何かで結ばれています。さあ、どんな糸でしょう・・・

・クロード・ドビュッシー(Claude Achille Debussy:1862-1918)
『牧神の午後への前奏曲』などで有名なフランスの作曲家。この曲は、詩人・マラルメの『牧神の午後』に感銘を受けて作った曲だそうですが、この曲をはじめ『海』、『夜想曲』などその多くの作品は、古典派・ロマン派から20世紀音楽への橋渡しをしたといわれ、音楽史上重要な位置にいる作曲家だそうです。芸術を専攻する学生を対象としたフランス国家の奨学金制度・ローマ賞を受賞し、1885年から86年にかけて、ローマに滞在。

(中央の建物が、ドビュッシーが1902年当時に住んでいたという家、17区の58 rue Cardinet)

(ドビュッシー最後の家のある16区、24 square de l’Avenue Fochの入り口・・・超高級住宅地、スクエアとは言えど警備厳重で関係者以外全く入れず、敷地から出てきた黒塗り高級車の運転手までスノッブを絵に描いたよう)

・ヴィクトール・ユゴー(Victor Hugo:1802-1885)
19世紀フランスに燦然と輝く偉人。ロマン主義の詩人・小説家・劇作家にして、政治家。代表作には『レ・ミゼラブル』、『エルナニ』、『ノートルダム・ド・パリ』など。10代から詩人として脚光を浴び、レジオン・ドヌール勲章も20代前半で受勲したほど。しかし、アカデミー会員には3度候補に上がりながら落選。1841年、4度目にようやく会員に。妻・アデルとの結婚式は、サン・シュルピス教会で行なう。

(ヴォージュ広場に面して建つヴィクトール・ユゴー記念館、1832年から48年まで家族と暮らした家)

(ヴォージュ広場とその周囲を取り囲む建物)

・ニコラ・フラメル(Nicolas Flamel:1330-1418)
出版業などで成功した裕福な商人で、病院や教会などへ多くの寄付を行なったことでも有名。しかし同時に錬金術に入れ込み、賢者の石を手に入れ、鉛を金に代えようと没頭。15世紀初頭(一説には1407年)に建てた家が現存するパリ最古の家と言われている。当時、錬金術には男性しか携わらなかったそうですが、フラメル家では妻も行なったようで、女性としては稀有な錬金術師。

(手前の建物が51, rue de Montmorencyにあるパリ最古の家、現在はレストラン“Auberge Nicolas Flamel”)

・ジャン・コクトー(Jean Cocteau:1892-1963)
20世紀を代表する、いわゆる前衛芸術家。その活動領域は、小説、詩、演劇、絵画、映画と多くの芸術分野にわたり、そのいずれの領域でもすぐれた作品を残している。小説『恐るべき子どもたち』、戯曲『オルフェ』、映画『美女と野獣』などが代表作。1955年からアカデミー会員に。終身制のため、死亡した1963年まで会員。

(アカデミー・フランセーズの入っている学士院の建物、1635年に正式に設立され、定員40名、会員が死亡したときに欠員を補充、会員になれそうでなれない「41番目の椅子」と言われた人たちのなかには、デカルト、パスカル、モリエール、ルソー、プルーストら錚々たる顔ぶれが)

ここまでで、お分かりですよね。これら4人を結んでいる糸・・・念のため、最後の一人を。

・レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci:1452-1519)
いわずと知れたルネサンス期の天才。絵画、彫刻、建築、土木・・・そのマルチ天才ぶりは、「万能人」とも言われています。『最後の晩餐』、『モナリザ』などが特に有名ですね。ミラノに長く住んだようですが、ローマにも1513年と16年には住んでいたそうです。最晩年の1516年からは、フランス王・フランソワ1世の庇護の下、ロワール地方のクルーの館(Clos Lucé)に。

(パリで、ダ・ヴィンチと言えば、ルーヴル博物館、2001年から館長を務めるのはアンリ・ロワレット氏:Henri Loyrette)

そうです! ダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』に出てくる、シオン修道会・歴代総長リストに名を連ねる人たちです。

単行本では、下巻の130-131ページに書かれています。他にもニュートンなどの有名人がいますが、でも今頃どうしてとお思いでしょう。実は最近やっと(!)この本を読んだのですが、そこでニコラ・フラメルの名を見つけました。このブログでも今まで2回ほどご紹介しているのですが、現存するパリ最古の家を建てたというニコラ・フラメルがそんな有名人とは思わなかった。これは、すごい! 早速、少しは推理っぽくもう一度取り上げよう! というわけで、パリで写真が撮れそうな他の人たちも含めて一緒にご紹介し、その関係を推測していただこうとしたわけです。このリストが事実なら、これはこれでちょっとしたいい話にもなるかもしれないのですが、この本、なにせフィクション・・・

「すべて事実に基づいている」と序文代わりの「事実」に書いてありますが、この部分も含めて、やはり小説、フィクションなんだそうですよね。思わず騙されてしまいました。でも小説中のシオン修道会の特長に合ったような人たちがきちんとリストに並んでいますよね。ローマに滞在したとか、サン・シュルピス教会で結婚式を挙げたとか、女性を差別しなかったとか・・・このリスト、最後の総長を自認していたピエール・プランタール(Pierre Plantard:1920-2000)が残した資料によるのか、ダン・ブラウンが作ったリストなのか、うまく作ったものですね。


ということで、今や懐かしき『ダヴィンチ・コード』からの話題でした。上の写真が、サン・シュルピス教会にあるローズ・ライン。実際の色は、ゴールドです。


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2 コメント

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天邪鬼なので・・・ (pinky)
2008-03-26 00:27:46
天邪鬼な私は、あまりに騒がれたこの映画を観ないでいました。それがtakeさんのブログを読むうちにパリに興味がどんどん湧いてきて・・・数ヶ月前に、本を読み、DVDを観たところです。
とてもよく練られた作品ですね。takeさんのように現地にいて知識も豊富に持っていらっしゃれば、更に面白い作品に思えるでしょうね。今頃、ダ・ビンチ・コード・ツアーに参加したくなりました。まだ、やっているのでしょうか・・・
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ダ・ヴィンチ・コード人気 (take)
2008-03-26 04:48:43
pinkyさん

この本の人気は根強いようで、サン・シュルピス教会へも多くの観光客が来ています。そして、ローズ・ラインをしっかりカメラに収めたり。教会側も関連記事のコピーを貼り出したりしています。ただ、ニコラ・フラメルの家まではさすがにあまり来ていないようです。
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