先日、9月にオープンした「国立建築遺産博物館」をご紹介したばかりですが、10月10日に、また新しい博物館が誕生しました。「国立移民歴史博物館」(la Cite Nationale de l'Histoire de l'Immigration)。
テーマがテーマだけに、その開設までには紆余曲折があったようです(以下、10日付のル・モンド紙などの記事を参照)。
移民の歴史をフランスの歴史・記憶の中にしっかり位置づけよう、という意図でこの博物館が最初に企画されたのは、1989年。アルジェリア移民2世の立案だそうです。博物館というかたちで、その内容もしっかり詰められていたそうですが、時の社会党ミッテラン政権は、極右・国民戦線が選挙で躍進したことを受けて、移民との連帯を強く印象づけるこの企画を推進するのは却ってマイナスになると、乗ってこなかったそうです。
そのまま店晒しになっていたこの企画に再びスポットがあてられたのが、1998年。黒・白・アラブ(black-blanc-beur)といわれたフランス代表チームが、サッカーのワールドカップで見事優勝。
(館内の展示写真。移民のスポーツによる貢献は大ですね)
その熱狂に後押しされて実現に向けて歩み出したかに見えたのですが、当時の社会党ジョスパン首相は、フィージビリティ・スタディを命じただけで、それ以上は踏み出しませんでした。
この博物館構想に最終的にゴーが出たのは、2002年、国民戦線のル・ペン党首を大差で破って再選されたシラク前大統領が、移民も含む国民の新たな統一のシンボルとして、研究・教育を主眼とした移民博物館の建設を認めたそうです。
建設場所は、以前「植民地博物館」があった12区、ヴァンセンヌの森の入り口の一つ、ポルト・ドレにあるPalais de la Porte Doree(ポルト・ドレ宮)。5年半の準備期間をへて、ようやく10日にオープンしました。
しかし、シラク氏は大統領を退いており、後任のサルコジ現大統領は移民に対して厳格な対応を示している。移民の家族呼び寄せに対しても、本当に家族かどうか疑わしいとして、DNA検査を義務づけようとしているくらいですから、この博物館にいい印象を抱いているとは思えない。まして、うまくいっていなかったシラク氏の進めたプロジェクト。オープン当日は、ロシア訪問中で、当然のことながら欠席。「建築遺産博物館」のオープニングでは、テープカットに駆けつけ、建築は今後フランスにとって力を入れていく分野だと謳い上げたのに、今回は、メッセージもなし。では、フィヨン首相は? サルコジ大統領の後ろで陰が薄いのをいいことに欠席。移民担当大臣も、右に倣え。文化大臣が、初日の閉館後に、辛うじてやってきただけだそうです。
一方の社会党は、ゴーサインを出さなかった過去などすっかり忘れて、与党を攻撃するには千載一遇のチャンスとばかりに、オランド第一書記、ドラノエ・パリ市長らが早速訪問。移民層に理解のあるところを示していました。
と、肝心の博物館の展示内容よりも、それを取り巻く政治環境のほうがなにかと話題になっている「移民歴史博物館」。展示は・・・
・フランスへの移民の変遷(19世紀のベルギーから、20世紀のイタリア、スペイン、ポルトガル、マグレブ地方、そして21世紀のサハラ以南のアフリカと中国へ)
(最近の移民が暮らすという6段ベッド)
・フランスへの受け入れ
(労働許可証の原物と、働いている現場の写真)
・移民のおかれた環境
(住環境など、どうしても劣悪なものになってしまうようです)
・フランス社会への同化
(移民へのフランス語教室です)
・社会での活躍
(ピカソもシャガールも移民です)
こうしたテーマごとに、現物、写真、映像などを駆使して紹介しています。オープン翌日だったこともあり、館内には、いくつもの取材クルーが来ていました。また、専門家による説明も行なわれています。
移民の辛い歴史とその現状を紹介する「国立移民歴史博物館」。同じ建物の地下には水族館があり、その水槽内では、えささえ十分であれば、異なった種類の魚が一緒に泳いでいます。
国民四人のうち一人は両親、祖父母のうち少なくとも一人が外国人だといわれているフランス。そこでも人種問題は深刻になっています。人間はどうして、人種が違うと、特に今フランスで言われるように“Minorite Visible”(外見上の少数民族)、つまり肌の色の違いで差別したりされたりするのでしょうか。人間の悲しい性なのでしょうか。少しでも解消することはできないものでしょうか・・・「移民歴史博物館」、そんなことを考えるには、最適な場所かもしれません。
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テーマがテーマだけに、その開設までには紆余曲折があったようです(以下、10日付のル・モンド紙などの記事を参照)。
移民の歴史をフランスの歴史・記憶の中にしっかり位置づけよう、という意図でこの博物館が最初に企画されたのは、1989年。アルジェリア移民2世の立案だそうです。博物館というかたちで、その内容もしっかり詰められていたそうですが、時の社会党ミッテラン政権は、極右・国民戦線が選挙で躍進したことを受けて、移民との連帯を強く印象づけるこの企画を推進するのは却ってマイナスになると、乗ってこなかったそうです。
そのまま店晒しになっていたこの企画に再びスポットがあてられたのが、1998年。黒・白・アラブ(black-blanc-beur)といわれたフランス代表チームが、サッカーのワールドカップで見事優勝。
(館内の展示写真。移民のスポーツによる貢献は大ですね)
その熱狂に後押しされて実現に向けて歩み出したかに見えたのですが、当時の社会党ジョスパン首相は、フィージビリティ・スタディを命じただけで、それ以上は踏み出しませんでした。
この博物館構想に最終的にゴーが出たのは、2002年、国民戦線のル・ペン党首を大差で破って再選されたシラク前大統領が、移民も含む国民の新たな統一のシンボルとして、研究・教育を主眼とした移民博物館の建設を認めたそうです。
建設場所は、以前「植民地博物館」があった12区、ヴァンセンヌの森の入り口の一つ、ポルト・ドレにあるPalais de la Porte Doree(ポルト・ドレ宮)。5年半の準備期間をへて、ようやく10日にオープンしました。
しかし、シラク氏は大統領を退いており、後任のサルコジ現大統領は移民に対して厳格な対応を示している。移民の家族呼び寄せに対しても、本当に家族かどうか疑わしいとして、DNA検査を義務づけようとしているくらいですから、この博物館にいい印象を抱いているとは思えない。まして、うまくいっていなかったシラク氏の進めたプロジェクト。オープン当日は、ロシア訪問中で、当然のことながら欠席。「建築遺産博物館」のオープニングでは、テープカットに駆けつけ、建築は今後フランスにとって力を入れていく分野だと謳い上げたのに、今回は、メッセージもなし。では、フィヨン首相は? サルコジ大統領の後ろで陰が薄いのをいいことに欠席。移民担当大臣も、右に倣え。文化大臣が、初日の閉館後に、辛うじてやってきただけだそうです。
一方の社会党は、ゴーサインを出さなかった過去などすっかり忘れて、与党を攻撃するには千載一遇のチャンスとばかりに、オランド第一書記、ドラノエ・パリ市長らが早速訪問。移民層に理解のあるところを示していました。
と、肝心の博物館の展示内容よりも、それを取り巻く政治環境のほうがなにかと話題になっている「移民歴史博物館」。展示は・・・
・フランスへの移民の変遷(19世紀のベルギーから、20世紀のイタリア、スペイン、ポルトガル、マグレブ地方、そして21世紀のサハラ以南のアフリカと中国へ)
(最近の移民が暮らすという6段ベッド)
・フランスへの受け入れ
(労働許可証の原物と、働いている現場の写真)
・移民のおかれた環境
(住環境など、どうしても劣悪なものになってしまうようです)
・フランス社会への同化
(移民へのフランス語教室です)
・社会での活躍
(ピカソもシャガールも移民です)
こうしたテーマごとに、現物、写真、映像などを駆使して紹介しています。オープン翌日だったこともあり、館内には、いくつもの取材クルーが来ていました。また、専門家による説明も行なわれています。
移民の辛い歴史とその現状を紹介する「国立移民歴史博物館」。同じ建物の地下には水族館があり、その水槽内では、えささえ十分であれば、異なった種類の魚が一緒に泳いでいます。
国民四人のうち一人は両親、祖父母のうち少なくとも一人が外国人だといわれているフランス。そこでも人種問題は深刻になっています。人間はどうして、人種が違うと、特に今フランスで言われるように“Minorite Visible”(外見上の少数民族)、つまり肌の色の違いで差別したりされたりするのでしょうか。人間の悲しい性なのでしょうか。少しでも解消することはできないものでしょうか・・・「移民歴史博物館」、そんなことを考えるには、最適な場所かもしれません。
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毎日楽しみに、そして毎日ほんとうに楽しく拝読しております。
このグローバル時代に、差別なんてかっこ悪い・・・そういう感覚が行き渡ることを願います。
日本は・・・未だに同じ人種間でさえ、差別をしていますけどもね。
水族館と対比されていることに思わず唸ってしまいました!
人類は、肌の色の違いには、まだ慣れていないのでしょうか。恐怖感、嫌悪感、違和感がどうしても、ほとんど誰の心にも芽生えてしまうのかもしれませんね。それを理性でどうコントロールするかなのだと思います。経験と理性。
私が行ったのは11日。多くのテレビ取材クルーが来ていました。日本、中国、アルジェリア、南米・・・メディアにとっては、格好の話題かもしれないですね。政治的背景も面白いですし。ただフランス人の関心は? 今週は入場無料なのですが、行列なしで入ることができました。
その問題を「差別」という一言でくくってしまって、差別はよくないから無くそうといってもあまり意味がないように思うのです。
移民問題は、肌の色の違いとか外見上の問題はただ象徴的なもので、人種が背負っている、内面の違いの溝や軋轢と、それに経済事情ー富める国あり貧しい国あり、富める人種あり貧しい人種ありの生存競争だと思ったりするのですが・・。すみません。フランスやヨーロッパの事情を知っているわけではないので、間違っているかもしれませんが・・・。
見ず知らずの人から受ける嫌悪感、見下す態度・・・生理的嫌悪感といってもいい感情を抱いている人は多いように思います。それをそのまま出してしまうか、理性でコントロールするか・・・
歴史的背景や文化的背景があるのも事実でしょう。でも、そうしたことを考える前に態度や表情で示される、嫌悪感。相手が移民か旅行者か一時滞在者かなどはお構いなく示される、こうした態度。たぶん未知なるものへの恐怖感もない交ぜになっているのかもしれないですが、こうした態度に毎日のように遭遇すると、やはりこうしたことはなくすべきではないかと思わざるを得ません。「こうしたこと」を差別と呼ぶか、どう呼ぶか、それは言葉の問題なのでしょうね。
国際問題や移民問題に関心をお持ちなのは、素晴らしいことだと思います。またよく勉強なさっているのも、拝察いたします。ただ、できれば、いつか、ちょっと長めに滞在してみてはいかがでしょう。少し違った見え方がするかもしれませんね。
行ったことがあります。(あれがなくなって、この博物館ができたのでしょうか。)私と同行の友人以外、だれも来館者が無くて、貸しきり状態でしたが、面白いところでした。アジア・オセアニア博物館とかいう名前ではなかったかしら。(違ったらごめんなさい)外側の建築も独特でしたが、内装もコロニアル様式というか、まったり時が止まったような感じのところで、展示物はというと、タンタンの漫画とピカソの立体作品のメランジェという雰囲気で、あくまでも大国側から見た、原住民についての展示というものでした。
もしあの博物館が、移民博物館に変わったのでしたら、おもしろいですね。植民地主義の歴史から、移民受け入れの歴史へ、ということで、時代の流れを感じます。
ヴァンセンヌの森、いろいろな所から入れますから・・・ただ、この移民博物館、以前は植民地博物館だったといいいますから、多分行かれたのはこの建物ではないでしょうか。センシティブなテーマだけに、今でも誰でもが行くという博物館ではないようです。