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サン・ジェルマン・デ・プレと出版の歴史。

2007-07-07 01:15:08 | 映画・演劇・文学
左岸、サン・ジェルマン・デ・プレ。そこにあるのは、おしゃれなブティックだけではなく、実は多くの出版社が集まっているそうです。出版の街、文学の街、文化の街・・・その歴史を紹介する展示会“Les editeurs et Saint-Germain-des-Pres”(「編集者たちとサン・ジェルマン・デ・プレ」展)が8日まで、6区の区役所で行なわれています。



この街には長い歴史を誇るサン・ジェルマン・デ・プレ教会があり、中世以前から学問・知識の担い手でした。その影響下、その周囲に学問を志す人々、そしてその知識を伝播させようと考える人たちが自然と集まってきたようです。

そうして傾向がはっきりとした形で現れたのが、18世紀中ごろの『百科全書』の出版でした。

(『百科全書』の図版のページです)
ディドロらを中心に書かれた『百科全書』(“L’Encyclopedie, ou Dictionnaire raisonne des arts, des sciences et des metiers”)が1751年から1772年にかけて出版されました。24巻、3,500の図版をそろえた膨大な書物です。当時は1,000部も売れればよしとする状況だったようですが、この百科全書、4,225部も売れた大ベストセラー。発行者のアンドレ=フランソワ・ル=ブルトンはこのヒットで、一躍パリで有数の大金持ちになったそうです。

時は下って、19世紀。高等師範学校を出たての若き俊英、Louis Hachette(ルイ・アシェット:1800-1864)が1826年に小さな書店を開業。その後出版事業に進出し、教育界などとの強いつながりをてこに、学校教材に特化して、業績を大きく伸ばしました。

(1841年に出版されたアルファベット用教材です)
1850年以降は文学作品の出版も手がけるようになり、ラマルチーヌ、ネルヴァル、ゴーチエ、ユゴー、ジョルジュ・サンドなどの作品の出版を手がけました。また、新聞や定期刊行物の全国への配送システムを構築し、一大出版帝国を築きあげました。このアシェット社、こんにちでは、語学教材や辞書で、日本でもおなじみですね。因みに、1862年、後の文豪エミール・ゾラはこのアシェット社に就職しています。22歳のときでした。

アシェット社の成功に刺激されたように、その後、サン・ジェルマン・デ・プレ界隈に多くの出版社が生まれてきます。

Le Mercure de France(メルキュール・ド・フランス)が1890年ごろ設立され、クローデル、ジード、アポリネール、マラルメなど、そして外国の作家(ワイルド、ハーディ、ニーチェなど)の作品を出版するようになります。

Bernard Grasset(ベルナール・グラセ)が1907年に出版社を設立。プルースト、ラディゲ、そしてマルロー、モーリヤック、モーラン、モロワらの作品を世に送り出しました。

そして、新しい雑誌が1908年、ジードを中心に創刊されました。“la Nouvelle Revue Francaise”(『新フランス評論』)、その頭文字をとってNRFとして有名ですね。雑誌だけでなく、単行本の出版も始め、クローデル、ヴァレリー、コンラッドなど多くの作家の作品を紹介していますが、その出版業務を担ったのが、ガストン・ガリマール(Gaston Gallimard)。1919年には組織を改変して、ガリマール出版を設立。マルロー、サン=テグジュペリー、アラゴン、サルトルなどを手がけることになります。

(1927年、アンドレ・マルローへ宛てたガストン・ガリマールの手紙です)
また海外の作家の作品も広く出版するようになりました。スタインベック、フォークナー、カフカ、モラヴィア、そしてヘミングウェイ。さらに、この出版社の財務基盤を強固にしたのが探偵・推理物。コナン・ドイル、エイメ、シムノン、ボワローなどおなじみの作品を数多く出版しています。

これら以外にも、アシェット社と同じように教材・辞書に強いラルース(Larousse)、

(初期のラルース辞書です)
そして大衆文学作品を手がけるフラマリオン社(Flammarion)など、今日に続く主な出版社が勢ぞろいします。

こうして生まれた出版社の編集者たちと作家たち。どこで会い、話をしたのでしょうか・・・そう、カフェなんですね。サン・ジェルマン・デ・プレ界隈といえば有名なカフェが目白押し。

Le Cafe de Flore(カフェ・ド・フロール)は1850年代末に開業し、アポリネールがよく利用したそうで、後には、ボーヴォワール、プレヴェールなどに愛用されました。

Les Deux Magots(レ・ドゥ・マゴ)は1920年代にオープンし、ブルトンやシュールレアリストたちがよく集まっていたそうで、その後は、サルトル、フォークナー、コクトー、カミュなどと深い関係になります。

そして、La brasserie Lipp(ブラッスリー・リップ)は特に編集者たちに愛用されたようですが、作家ではサン=テグジュペリーやカミュがよく出入りしていたそうです。カフェと出版界、切っても切れない間柄のようですね。

(1952年に出版されたカミュの『反抗的人間』です)

戦後は、人文科学の本を多く出す出版社がこの界隈の出版社リストに加わり、ロラン・バルトなどの作品が話題を集めるようになりました。また本の流通を改善する動きも見られ、そうした流れの中から書籍・音楽・家電関係の大型チェーン店FNACもこの界隈で誕生しています。そして、戦後といえば、ヌーヴォー・ロマン。デュラス、ロブ=グリエ、サロートなどの作品が、les Editions de Minuitなどから出版され、

(1950年のマルグリット・デュラスです)

(les Editions de Minuite社前に並んだ、左からロブ=グリエ、シモン、モーリヤック、ランドン、パンゲ、ベケット、サロート、オリエ)
また1954年にはJulliard社から出版された18歳の新人作家の作品が54万部という大ベストセラーに。ご存知、サガンの“Bonjour Tristesse”(『悲しみよこんにちは』)です。

と、急ぎ足で会場の資料を基に振り返ってみました。

サン・ジェルマン・デ・プレ界隈と出版界との深い絆、感じていただけたでしょうか。

実際、この地図にプロットされたように、今も多くの出版社がこの界隈に集中しているそうです。

それにしても、実に多くの作家が登場してきますね。名前しか知らない作家もいます。さっそく、読まなくては・・・寝る時間がない! 不勉強のつけが回ってきたようです。

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コメント
 
 
 
カフェ (habara)
2007-07-07 16:18:07
出版界とカフェとの繋がりにビックリしました。
あわせて実際に文豪達が愛用したカフェが現存し、こうして写真で見ることができると、歴史ある作品たちをより身近に感じることができます♪
いつもながらtakeさんの取材力に驚かされます!

そういえば、以前近代作家たちとの「街ぐるみの交流会」も、点在するカフェでしたね。
イベント会場や書店ではなくカフェで行なわれるのも「フランスの歴史」なのですね、きっと。
 
 
 
カフェと作家 (take)
2007-07-07 22:35:49
habaraさん

作家との交流会、覚えていて下さってありがとうございます。そのとおりで、この一帯で行なわれました。歴史的にも、出版界と深い付き合いのあるカルティエのようですね。

そして、カフェ。カフェなしではパリの歴史も語れないような気さえしてきてしまいますね。もちろん、作家でなくとも、カフェが毎日の生活に欠かせない人も多いと思います。パリの街にカフェ。やはり、絵になりますね。
 
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