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50歳のフランス滞在記

早期退職してパリへ。さまざまなフランス、そこに写る日本・・・日々新たな出会い。

先人たちの知恵―⑩

2006-12-12 02:51:33 | 先人の知恵
昨日に引き続き、塚本一氏の著書『知恵大国 フランス』(1992年刊)からの引用です。


(パンテオン・・・地下にはフランスの偉人たちが眠っています)

・常に相手を言い負かしてやろう、何か新しい違ったことをいって、相手を驚かしてやろうと考えているのがフランス人なのだ。シモーヌ・ベイユ元欧州議会議長は、「フランス人の創造力は遺産と意思だ。存在したいとの意思、能力を示したいとの意思からきている」といっている。
・しかし、フランスでは、よいものが悪いものと抱き合わせになっているのも事実だ。フランス人の創造力、これを生み出す源泉になっている個性の強さが、アイディアを大量生産商品として工業化、商品化する段階でしばしばマイナスとなってあらわれることがあるからである。創造力は二流でも工業化商品化は一流の日本とは全く逆の現象である。この点についても、ガターズ(フランス全国経営者会議前会長)は明確に分析する。「製品の世界的普及では、日本人は世界の“王様”で、フランス人は最低だ。創造能力は高くても、工業化と販売という製品の普及の面で能力が低くなってしまうのではしようがないが、でもこれは本当のことである。日本人に比べて、われわれには大きく欠落したものがある。それは『グループ意識』と呼ばれているものだ。われわれは根本的に個人主義者なのである。フランスの技術者はたえまなく創造的想像力を働かせる。生産計画を見せられて、ドイツやアメリカや日本の技術者なら『これは大量生産するものだから、私はよけいな口出しはしない。これでうまくいく』というときでも、フランスの技術者は、『私にはいい考えがある。ここを変えたほうがいい』と口出しをする。フランス人は、まず示されたプランを変えることからはじめる。この変更がどれだけ高くつくかということは、考えないのだ。それがたとえよいアイディアだとしても、採算に合わなければ意味がないのに、そんなことは頭の中にはないのだ。われわれは自らの個人主義の犠牲になっている」

・フランスの慢性的な貿易赤字の原因にはいろいろあるが、その一つは、フランスがあまりにも住みやすいところである上、フランス人がもともと農耕民族で、土地を愛する習性が強く、外国に住みたがらないこと、外国に商売に出かけたがらないことである。製品を売り込むためには、外国に長期間住んで、現地の販売関係者との人間関係を深め、販売網をつくるという地道な努力を重ね、顧客のニーズも敏感につかんで製品に反映させる必要がある。だが、フランス人にはこれが全く苦手なのである。(中略)店を一軒一軒まわって御用聞きをすればいま何が売れているか、顧客が何を欲しているかがわかり、そうしたニーズを製品に反映することができるが、フランス人はこうした細かな手間暇のかかる仕事は苦手で、高くて大きな品物を相手国の公的機関などに売りつけて、おおまかに稼ごうとするところがある。兵器やTGVや地下鉄システム、プラントなどの輸出がそうである。
・ソニー・フランスのミシェル・ガリアナマンゴ社長は、次のように述べている。「フランス人は輸出に当たって、少し政治的な動きをすることが多い。例えば、大使館に行ったりするような・・・。それに対し、外国の商売人は小さな店をまわることからはじめ、自分の商品を売り込んだり、どんな商品が売れているかを知ろうとする。フランス人はあまりプラグマティック(実用的)な人間ではない。消費者のニーズに合う製品をつくるという反射神経が、フランス人には他の国民よりも劣っている。フランス人は“観念の世界”に住んでいて、商売よりも政治により魅力を感じている。これがフランス人の欠点だといえる」
・外国に行きたがらず、輸出に弱いのは、フランス人が外国語に弱いことも大きな原因の一つとされている。フランス人は中国人とともに、名だたる“へそ主義”(中華思想)の国である。フランス語は過去にヨーロッパの支配層の共通語であったという歴史を持っている。(中略)また、フランスは広大な植民地の民にフランス語とフランス文化を教え込もうとする文化的伝導の使命に燃えていた時期があった。そのため、フランス人にとっての外国人とのコミュニケーションとは、外国人がフランス語を覚えて行うものであり、フランス人が外国語を覚えることによってではないという意識が長らくしみついていた。大国としての過去を持つ国はどことも外国語への関心が薄いもので、これはフランスの大国としての過去の遺産ともいえる。

・フランスではエリートはよく働くが、労働者やヒラ社員の労働モラルは、それほど高くない。朝は遅刻することが多いし、夕刻も退社三十分前になると、もう仕事をする態勢ではなくなってしまう。その理由の一つは、人材活用面での風通しの悪さである。働いても上に上がれないのなら、できるだけ無理な労働はしないようにしよう―――そう考えるのは人情である。だから、フランス人は残業もあまりやりたがらない。それに対し、エリートは実によく働く。日本の会社でしばしば見られるような、部長は座っているだけで下がすべてやってくれるというようなことはない。「フランス人は上司が十分にその能力があるときにのみ、上司に対して従順」(ガリアナマンゴ社長)で、上のものは事態をよく把握して適切な指示を出さないと、下がいうことをきいてくれない。

・成功が愛されないフランスの社会では、金持ちは富裕ぶりをとくに見せびらかしたりはしない。普段の生活では、大金持ちも中流階級も外見からは区別がつかないことが多い。金持ちが住むアパートも、中に入ると調度などがやはり違うが、外から見ただけでは区別がつかない。車にしても、金持ちだからデラックス車をこれ見よがしに乗りまわすということはない。

・フランス人は人を攻撃したり議論したりするときは、自分の都合のよいところだけしかいわないから、一人一人の言い分を聞いていると、非常に独善的に見える。フランス人は“デカルトの国”として論理的思考を強調する癖があるが、ラテンの国として感情的な面も非常に強い。それに、みんなが口達者だから、町でも口論はよく見かける。感心なのは、どんなに激しく口論しても、手は出さないことだ。ただ、自分の非はめったに認めない。

・フランス人は経済面では非常に保守的で、少なくても確実な利益を好む“年金生活者メンタリティ”が体にしみこんでいる。そのため、先行きのはっきりしないリスクを嫌う傾向が強い。新しい分野に対しても、国の強力な支援でもない限り、あえて危険を冒してまで乗り出そうとはせず、結局は新しい趨勢に乗り遅れてしまうことになる。

・確かにサービス部門の中でもとくに強い期待を抱かせるのは、コンピュータ・ソフトでのフランスでの健闘ぶりである。近年、ソフトウェアの重要性が高まっており、その売り上げも急速に伸びている。(中略)ソフトウェアでは、フランスが得意とする個人の創造性が発揮しやすい。集積回路(IC)を組み込んだICカードを発明したのはフランス人のロラン・モレノで、この特許は世界八十五社に売られ、世界中で五千万枚以上のICカードが発行されている。

日本の地理上の対蹠点はアルゼンチン沖ですが、精神文化の面ではフランスかもしれない。しかしそれだけに、お互い学べるところもあるでしょうし、反面教師として利用することもできるのではないでしょうか。引き続きこの国を鏡に、祖国・日本について考えていきたいと思います。


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先人たちの知恵―⑨

2006-12-11 01:20:20 | 先人の知恵
今回ご紹介する先人の知恵は、その名も『知恵大国 フランス』。著者は、産経新聞記者の塚本一氏。1968~70年にフランス留学、78~83年と87~90年の2回、パリ特派員。合計9年もフランスに滞在された方で、二度目の駐在から帰国された後まとめたのがこの本です。1992年に出版されています。

博覧強記、そしてフランス語を駆使しての幅広い人脈から得た情報を的確に分析し、見事なフランス(人)論になっています。なお、引用文中の肩書きは、原著のままです。


(塚本氏も見たかもしれない、エッフェル塔と満月です)

・日本は今後、急激な変化でますます不透明になりつつある情勢の中で、世界の進路をさぐるという不得手なことをやらなければならないわけだが、その点で多くの示唆を与えてくれるのは、フランスではないだろうか。日本人のフランスにたいするイメージは、なによりもモード、香水、ワインの国である。そして、年配の人たちにとっては、文学の国であり芸術の国でもある。そして一方、フランスの指導者たちが日本にもっと知ってほしいと思っているのは、「フランスは先端技術の国でもある」ということである。しかし、フランスは決してそれだけの国ではない。すぐれた政治感覚によって、国際政治の舞台で積極的に発言し、行動する国だという点に、われわれはもっと注目してもよいのではないだろうか。

・発信能力と受信能力の面から見ると、フランスは優れた発信能力を持つ国である。日本は受信能力には優れているが、発信能力はおそまつである。ラジオで電波を受信するには、電池のごく弱い電力で十分だが、電波を発信するには、少なくとも数キロワットの大きな電力が必要である。発信のほうがはるかに大きなエネルギーのいる仕事である。

・ドゴールのこの“偉大さ”に対するこだわりは、彼だけに特有のものではなく、フランス人一般に広く見られる特徴である。フランス人以外の者には「誇大妄想で奇異」とも映るほど、フランスの指導者の発言には、“偉大さ”を強調する言葉がよく見られる。
・続いてジョベール元外相は、フランス人のこの問題に対する心理を分析し、「われわれの国は非常に多様な人たちが寄り集まってできている。そのため、われわれが一体感を感じるためには言葉であらわされる自惚れ、あるいは頭脳活動で作り出される自惚れが必要なのだ。ここからフランスには普遍的使命があるという考え方も出てくる。自らを“大国”だと思うことで、われわれは統一、一体感を感じることができる」そして、最後につけ加えた。「そうでなくて自らを“小国”だと思うようになれば、われわれはバラバラになってしまうのだ」これを聞いて、「なんと高邁な国民なのだろう」と思っていたフランス人に対する先入観が、大きく変わる思いがした。なんと複雑な国民であることか。“偉大さ”などを唱えなくても国民がまとまっていく日本と比べ、国民の気持ちをたえまなく高揚させていなければ一体感を共有できないフランスの政治家の気苦労を考えずにはいられなかったものだ。

・アメリカとフランスは非常によく似た点があり、フランスを“ヨーロッパのアメリカ”と形容することもできよう。この両国には、外部のものを平気で受け入れ、同化してしまう力がある。アメリカは自由と民主主義という理念を掲げ、フランスは自由・平等・博愛、人権という理念を高く掲げた国家で、日本のような、いわくいいがたいものが国家の芯を構成している国と違い、国の拠って立つものが明確に提示されている。拠って立つものが言葉では明瞭に説明できない日本とは対極にある国である。

・ある意味では、フランスは非常に矛盾した面も多い国である。フランス人は非常に個人主義で束縛と干渉を嫌うにもかかわらず、困難におちいるととたんに国を頼りにする。オリジナリティを尊重して型にはまることを嫌い、創造力豊かであるにもかかわらず、第一次世界大戦後のマジノ・ライン建設のような、いったん持った先入観から抜けきれない面もある。フランス人は政府にはたえず文句をつけ、不平たらたらであるにもかかわらず、外国には長く住むことができない。外国にいても、機会さえあればすぐフランスに帰ってくる。

・フランスはいわゆる中華思想の強い国で、相対的に外国に対する関心は薄いが、それでいて国際政治舞台では積極的に発言し、大きな政治力を持つというのも、こうした矛盾点の一つのあらわれといえるかもしれない。影響力を持つというのは、口出しすることにほかならない。では、フランス人は個人主義で自己中心的でありながら、なぜ世界の他国のことにいろいろと口出しするのだろうか。これは、フランスが多様な人種、民族からなるために、常に多様な人種、民族に通用する“普遍性”を念頭においたものの考え方をしているからともいえる。大きな植民地を持っていた時代のイギリスとフランスの植民地経営の違いにも、それがあらわれている。イギリス人が経済的利益を重視して植民地経営をしたのに対し、フランス人はフランス文明の植民地への伝導を大きな目的にしていた。もちろんフランス人が、フランス文明は植民地の民族にも伝導できるものと見ていたからである。

・必要を敏感に感じて政治的な提案をするのは、創造性豊かなフランス人の得意とするところである。
・日本は国際問題では対応が緩慢で、諸外国の態度を見てから自らの態度を決めようとするため、常に対応が後手後手になりがちである。(中略)これまでのような消極的な態度を改め、金儲け主義の理念なき“町人国家”から、主張すべき世界観、理念をもった品格のある国への脱皮を図っていかなければならないだろう。なんでもフランスのやることがよいというわけではないが、国際問題での対応ぶり、誰よりも先に対応策を出そうとする積極性は、日本も大いに学ぶ必要があるのではないだろうか。

・フランスでは多様な人種、民族、習慣からなる国をまとめていくために、早くから強い中央集権制がとられてきた。そして、強力な政府があらゆることに介入する習癖が逆に「なんでも国に頼めばよい」という、国民の国に頼るメンタリティをつくり出し、それが、ものごとがうまくいかないときになんでも政府のせいにするという国民性につながっている。そして、あらゆる不満が政府に向けられ、それが革命の土壌になるというわけである。(中略)フランス人は地道な努力型ではなく、彼らが熱しやすく冷めやすいのも、そうした性癖に関係がありそうである。

・フランス人の強みは、個性、創造力が豊かで発想が斬新なことだ。これまでの人類の発明リストを見てみると、電池、マッチ、風速計、抗生物質、アスピリン、BCG、狂犬病ワクチン、自動揚水機、缶詰め、点字、熱量計、合成ゴム、ICカード、ガラス繊維、多段式ロケット、メッキ、ジャイロスコープ、ミシン、マーガリン、織機、内燃機関、パラシュート、潜望鏡、人口放射能、レーヨン、連発銃、合成ルビー、聴診器など、実に多くのものがフランス人の発明品として並んでいる。
・フランスの経団連に当たるフランス全国経営者会議(CNPF) の前会長イボン・ガターズは、次のように指摘する。「フランス人は強い自主独立の性格を持っている。これが“創造性”という優れた資質をフランス人に与えている。創造や創造的革新は常に個人的な現象だからだ。フランス人はたぶん世界でもっとも想像力豊かで、最も創造的な国民だろう」また、フランソワ・ド・ローズ元駐NATO大使は、「フランスにはある種の知的豊穣さがある。フランス人は違いを示すことが好きで、オリジナリティを好む」と、フランス人の豊かな創造性の背景を説明している。確かにフランスには個人主義で、付和雷同を嫌い、オリジナリティを好むところがある。フランスでは規格に合わないオリジナルな考え方は、村八分にあうどころか、大いに歓迎される。批判も出るかわりに、高く評価する意見も積極的に表明される。みんながオリジナルな考え方に目を光らせていて、新しい考え方は決して無視されることはなく、社会の注目を浴び、論争の的になる。戦後、フランスで実存主義、構造主義など、新しい考え方が芽生え、もてはやされて世界的な話題になったのも、こうしたフランスの知的土壌を示すものといえる。(中略)これはフランスという多様な人種、民族の混合体の中で、多様な考えや価値観の出会い、すなわち融合や衝突のプロセスから、そのアイデンティティをつくり上げてきた歴史と無縁ではないだろう。多様なもの、多様な考え方の中にいるからこそ、違いに敏感になり、それを見分ける感覚が研ぎ澄まされる。研究費とのからみもあるが、多様な人種、民族を抱えるアメリカが、現在、世界一の発明国であることとも通じるものがある。

(長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。あまりにも首肯すべき点が多いので、明日も引き続き塚本氏の文章をご紹介します。懲りずにご訪問の程、よろしくお願いします。)


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先人たちの知恵―⑧

2006-10-22 03:14:06 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、内田謙二氏著『パリ気質(エスプリ)・東京感覚(センス)』という本からの抜粋です。1986年刊の本で、多くは80年代前半に雑誌「未来」に発表された文章です。

内田氏は東大農芸科学科を卒業。ドイツで働いた後フランスへ。パリ大学で博士号を取得。フランス人と結婚し、長くフランスで暮らされました。日系の会社で働き、日仏の板ばさみに苦労されたようですし、奥様の家族との付き合いにも彼我の差を痛感されたようです。古きよき日本的価値観・倫理観をしっかり持ち続けられた方のようですので、いっそう痛烈にフランスと日本の違いを感じ取られたのでしょう。


(パリ第4大学(ソルボンヌ)の校舎です)

・フランスの歩行者には赤信号は存在しないと、ほとんど思ってよい。赤であっても、注意しろの黄色ぐらいにしか思っていないのである。たとえ警察がいても、車さえいなければ平気で横断する。横から注意なぞしない方がよい。この国では規則というものは相手の権利を保護するための不愉快なものにすぎない。だから相手の車が辺りに見えない時は赤信号でも横断してよいというのは結構に理屈に合っている。

・フランスでは誰も「あなた」に構ってくれない。「あなた」が日本人であっても南アフリカ人であっても、そんなことはどうでもよろしい。私もあなたと同じく、生活に四苦八苦している人間なんだからお互いにおあいこですよ、とでも言っているようである。
・人種の入り乱れたフランスでは、人々の平均的尺度は測りにくい。政治をやろうとすれば党派が筍のように林立する。それを纏めようとすれば今度は水と油のように左翼と右翼に分離してしまう。その中間の、国民の平均的な考えを代表する党はできにくい。風俗、習慣の違う民族が地域的に分散して住んでいるので、地域毎に考え方や価値観に差があり、国家全体としてはテンデンバラバラの感じを与える。でもうまいことに、この民族の多様性は、一億総動員的な大量移動を食い止める力がある。

・フランス人はもともと他人の善意というものを信じない人間だから、初めにまず各人が守らねばならない原則を作る。それは弱い者を守る原則である。仏人の性格からしてときどき逸脱はするものの、概して度を過ぎることはない。(中略) 日本人はもともと他人に親切な人間だから、相手の善意を信じて、弱者いじめを避ける為の原則すらない。原則がないと強者はズルズルベッタリと現状に甘んじ、弱者はそれに対して抗議さえできない。

・フランスはお国の為なら外国人でも次々にフランス化する。ピカソ、モンタン、ゴッホ、ブレル、シャガール、アダモ、アズナブール、ルソー、ヴァルタン(シルヴィー、勿論)、カルダン、こんなにもフランス的だと思われている人々が、生まれはみな外国人なのだから。芸術家ばかりではなく、パリのオペラ座の支配人がスイス人、ポムピトゥ博物館長がスエーデン人、国立科学研究所長がイギリス人と、日本で言うなら、歌舞伎座長、上野博物館長、理科学研究所長に外国人を持ってくるのだから、日本人の常識にはちょっと合わない。
・フランス国家主義には、“ロータリー・クラブ”のような原則がある。国(クラブ)の名誉になる人とか、国(クラブ)に貢献してくれる人なら人種、職種に関係なく仲間にするという選良主義の結社であるが、一方で、この履歴の違う国民(会員)を統合するにはお互いに共通する何かを作るしかない。そこで、広い会場で腕を組み合って、会員の歌を合唱するのだ。これがラ・マルセィエーズであり、フランスの国家意識である。それに比べれば、日本の国家主義は、国と国民の血族関係にこだわり過ぎ、顔や容貌で判定し過ぎ、精神主義に対する肉体主義ぐらいの猥雑さがある。家元制度みたいな処もある。宗家という核を中心に教え込まれ引き継がれる排他的な純血主義だからである。
・考えてみれば日本は、明治時代になるまで外国から隔絶されていたので、愛国心は殆ど必要でなかった。ここが外敵から揉まれ続け、他人種と混ざり続けたフランスと違うところだ。それだけに日本人の愛国心には心の底から滲み出る自然さに欠け、ただ、上から、明治開化の時から、短期間に詰め込まれた感じの愛国心である。一人部屋に籠って、世界の統計をとり、日本が一番だと気付くと肩を張って景気をつける。そんな自己陶酔的な傲慢さだけが残る。

・要するに人間は消耗品で、四分の三世紀たてば尽きる。それなら受身で待つ人生より、攻撃的で探す人生の方が歩留まりがよい。啀み合う人間関係、仕事の同僚は敵とみなして家に招待もしない精神環境、ボクシングしながら相手の顔を小突いて渡る日常生活。しかし、そんな自我の強いパリの生活の疲れを癒すためにも、視野を変えて、心を安らげる時が必要なのだ。だから人は世捨人になったり、犬を飼ったり、日本人を捕まえたりするのだろう。

・こんな、日本人の常識にはまらない事が起こるのは、フランス人が人生を知って、それを楽しんでいる証拠だろう。フランスの歴史的な階級制度は、ヴェルサイユ宮殿みたいに庶民も訪問できる、歴史の記念物になってしまっている。だからフランスでは、生まれ育ちも、能力のあるなしも、恵まれた側も不運の側も事実をあるがままに認めて啀み合わない、という淡白さがある。両側ともそれが人間の価値を決めるものでない事をよく知っているからだろう。フランスには階級制度は残っていても、民主主義もある。
・原則をよく学び、明瞭な頭脳を持ち、明確に話し、どんな情況でもどんな任務を与えられても早学びをやり、理論に忠実に政策を立てる。だから知識は広く浅く持つ。余り一つの専門に打ち込むとそこに情が移り、全体的な視野を失うから、むしろ避けた方がよい。つまりフランスの選良は、状況把握と政策決定とそれを説明する雄弁さの専門家である。

・日本人が自分を世界に紹介する時に、よく、「日本人は建前と本音の民族です」と説明する。これは間違っているな。何も特別に日本的なものではない。世界のどこの国にも多かれ少なかれそれがある。ただ、本当にその国の社会に入ってみるまで気付かないだけだ。だからこれは国民性ではなく、人間性の問題だ。フランスも例外ではない。これがある。ただ、日本と少し違うとすれば、フランスでは規則を紙に書く。それから人は屈託なく、それを破りかい潜るのに日夜を費やす。

・“ヨーロッパ国”を作らねばならぬ、と納得しながら、手のつけようのないほど自分の国民性に執着します。(略) 自分はドイツ人より決定的に頭がよい、と信じているのに、ドイツ人との競争では全く勝ち目がありません。(略) フランス人は、外国人労働者が自分らの仕事を取ってしまうと非難しながら、そんな仕事を自分でやるのは拒否します。(略) 彼らは、“現状を変えなけりゃならぬ”と思っているのに、何一つとして変えたがらないのです、習慣にしろ、生き方にしろ、考え方にしろ。
・ふたつの世界大戦に巻き込まれ、舞台となり、影で走り、痛めつけられ、でも、最後には、ド・ゴールも言ったが、戦場では負けても戦争は勝つ、それほどの政治的な強かさ(後略)

いかがお読みになりましたか。20年もの歳月がたったとは思えない文章が多く、どこの国も国民も、そうすぐには変われないのだということがよく分かります。またそうした変わらない本質を理解し書き残した先人たちには、いつもながら脱帽です。

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先人たちの知恵―⑦

2006-09-30 01:26:49 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、国友照子さん著『フランスへの架け橋』です。フランスで翻訳・通訳の研修をされ、その後もパリに残って日系企業で働くなど、1967年から72年までフランスに滞在。帰国後も通訳・翻訳者として、日本とフランスのよりよい関係づくりに努められました。フランス滞在時を中心にいろいろな思い出をつづったのがこの著書で、1996年に出版されています。


(国友さんが住んでいたというワグラムの街角)

・フランス人と話していると痛感することは、誰でも大変なお国自慢(ショーヴァン)で真から自国の長所を認めている。従って、過去の栄光のみを追い求め、時代遅れの大国になってしまうのではないか。
・パリで生活する人々は、異邦人(エトランジェ)であることを特別に意識しないで、ごく自然にとけ込んで行ける。
・パリでは肌の色の違いも忘れて、単に一人の女性として特に他人の目を気にする必要も無く、自由に生活できる。日本では没個性的で、目立たないことが、当たり前であり、他人と違っていることは、変わっていると見做される。その意味で、不文律の拘束があるが、パリで生活している場合、個性的と評価されるのは素晴らしいことである。このように相手を認めて生活できる広い包容力のある首都は、ヨーロッパ諸国のうちでも数少ないのではないかと思う。

今から40年近くも前に日本人女性が一人でパリに住む。彼我の差を強烈に実感されたことでしょう。こうした経験に基づくコメントはもちろんですが、もうひとつ面白かったのが、90年代に若きフランス人通訳者(仏語・日本語の通訳)へ行った質問とその答えです。

「日本に短期滞在する場合、同じ立場の外国人がそうであるようにビジターとしての行届いた待遇を受けるので、皆が再度来日したいと願う。しかし長期滞在となると様相は一転し、大きな組織の一部として機械的に扱われる。非常に厳しく扱われ、事務所に働いている他の日本人と同様に発言権もなく、着想を活かす権利もない。この点では、日本人は全く従順である。尊敬される偉い人と、そうでない人との識別が存在し、偉い人は部下に対して非常に手きびしい。日本人は常に他人に対して十分敬意を払っていると信じていたので、これは意外だった。日本は階級社会であって、この秩序はいつも守られている。日本人の一員としての扱いは、私にとって難しい面もあるが、私はこれに耐えられるであろうし、多くの教訓を学んでいる」
―――フランス人は個人主義ではありませんか。
「たしかにそれは衆知のことである。日本人のグループは、個人主義者ではなく、むしろエゴイストだ。第一グループは、他のグループに対してエゴイストであり、後者はそれ以外のグループに対してエゴイストであり、この現象は大きなグループから小さなグループに至るまで共通している」
「例えば、事務所内で、人々は小さなグループに分かれ、お互いに好意的ではなく、エゴイストである。さらに、この事務所は、他の事務所に対して、防衛し、闘う。小グループはその中で徒党を組み、その徒党が、また他の徒党と闘う。即ち、大から小に至るグループが、全て闘うのである。しかも日本はアメリカと闘っている」
「フランス人は、もっと自分以外の人間や人格を尊重する。私が日本で発見したことは、日本人は自分以外の人間に対して、配慮しないと言うことである。これは、日本人のみではなくアジア民族に共通する極めてアジア的な特質であり、同じ傾向を中国でも認めたことがある」
―――日本の最近の経済的発展の要因は、どのような点にあると思われますか。
「一般に、企業がよく構成されているからと言われているが、私は必ずしもそうだとは思わない。日本人が非常に規律正しく、与えられた指令に忠実に従うからだと考える。大企業においては、良い指令が出されるので、会社全体が円滑に機能する。小企業においては、社員は長時間働かざるを得ないが、これは命令そのものが良くないからである。指令の出された時点で、何一つ討議することもせずに盲従する。私は今まで何人かの担当者と、度々議論したが、指令そのものが良くないことがある。しかもこうした議論に耐えうることができない場合もある。従ってその企業の業績が良好ではないということになる」

最後のコメントは、良い点も悪い点も、企業だけでなくいろいろな組織に、しかも規模の大小にかかわらず存在しているような気がします。

集団に帰属することを求められ、その中では濃密な人間関係が築かれるが、その集団の外に対しては好戦的で常に緊張関係にある。それが、フランス人通訳から見た日本の姿・・・。いかがお読みになりましたでしょうか。

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先人たちの知恵―⑥

2006-09-17 02:12:36 | 先人の知恵
久々のシリーズ6回目。今回ご紹介するのは、『巴里夢劇場』。朝日新聞のパリ支局長を1986年から勤められた鴨志田恵一氏が、パリ勤務中に朝日の本紙や『朝日ジャーナル』などに書かれた記事を再構成したものです。出版は1990年。とても20年近くも前に書かれたとは思えない文章が多く、逆に言うと、この20年日本社会は本質的に何ら変わっていないということかもしれません。

2度目のパリ駐在で、しかもその前にカイロ駐在もしていたということから、中近東問題、あるいは汎ヨーロッパへの取組みに関する内容も充実しているのですが、ここではフランスと日本に関する部分を中心に引用させていただきます。(長いですが、三連休の真ん中、ゆっくりお読みください。)


(鴨志田氏が住んでいたというヌイイ市の街角)

・パリの人はなかなか素顔を見せぬ。ここは感情豊かな個人主義の国。人は漫然と生きているのではないという。人間として「演じる」ことが義務づけられているという。
・人間には大なり小なりこの役者性が秘められているものだが、パリの人々は各自の人生そのものが「劇」であって、演出兼主役、さらに観客もやるとあっては、容易なことではない。どうして、こんな難しいことになってしまったのだろうか。それは、うまし国、フランスを支配するために身につけた業としか、言いようがないのである。古来、異民族が交錯する十字路のパリ、武力や脅しだけでは、その社会はもたない。「力」というものは、豊穣の国には似つかわしくない。むきだしの人間性をぶつけあっては、収拾のつかぬ略奪の世となる。永続的支配の原理は「美」なのであった。
・「劇」として生きることは、知恵の結晶である。パリの都市計画、文化遺産の保存姿勢には、舞台装置をなんとしても作ろうとする強引さがある。人の住む街というより、「美」のためにはすべてを犠牲にしようという気迫だ。
・フランスの精神安定剤使用量は、世界一との学会報告がある。一人当たりの年間消費量は米国人の五倍だという。豊かでのんびりした国に、どのようなストレスがあるのかと、ビジネス大国側からの疑問もあろうが、人生は「劇」であり、人間を「演じる」という日常生活の維持はなまなかなものではないのだ。きりっとした自我を保つため、安定剤なり睡眠薬を服用せざるをえない彼等のストレスは、少し質が違うのである。

・交通規則を厳守し、警察官の指示に従っていれば問題ない筈という発想では、とてもやっていけない。ハンドルを握ったらすべては、自分の才覚なのだ。依頼心や甘えが一切許されない点は、恐ろしいほどである。
・車の運転に限らず生活そのものがすべて自分の才覚次第であり、責任でもあるとの前提がこの国にはある。良きにつけ悪しきにつけ、他者はあてにならぬという居直りあるいは覚悟が決然とある。東洋人の目から見れば、親子関係でも夫婦関係でも驚くほどに他人行儀で淡白だ。この人間の最も基本的な絆においてこそ「演劇性」が支配している。

・パリに住み始めた日本人を観察すると、次第に「人それぞれの、生活」の空気に従って、自分自身の時間や空間を守りだす。あれだけ、職場や仲間や近所の目を気にしていた日本の生活習慣から開放され、自己を取り戻したような気になるのだが、間もなく、言いようのない不安と孤独にさいなまれ、同胞との場を求めしがみつき、故国とのつながりを必要以上に確かめるなど、日本にいたときより、日本人度が高くなるケースが多いのだ。
・「人それぞれの、生活」―――できそうで、外国人にはなかなかできるものではない。フランスの諺には後段があって、「他人のことは、神様に任せよう」となる。ここがスッと腑に落ちないと、人は、不安や動転から解放されないのである。

・フランス人はそれぞれに、ナルシストなのである。こんなに自分のことを愛する人々もいない。彼らが歴史を保存するのは、自分自身を保存することに通じる。であるが故に、これほどまでに、執念を燃やすのではなかろうか。そうかもしれない。彼らが歴史を保存する動機は、フランス人以外にはなかなか理解できないのである。

・丹念にECというものをつくりあげ拡大し、かつ市場統合という途方もない実験に着手し、その目指すところが「大欧州」となれば、この世代の人々は生きているうちに、欧州の過去の悲劇を贖うことができるかもしれないのだ。この志とロマンには現実性があり、決して侮れるものではない。日本の政治との大きな隔たりを感じるのは、私ばかりではなかろう。
・ドイツ民族自身が周囲からそのような警戒感で見られていることを鋭く感知しているのは、間違いない。これまでの東西欧州経済の「機関車」役から、次にいかに政治的に成熟すべきか。いま、真剣な模索段階にあることがうかがえる。そして、仏ソがドイツに向ける目と同じような視線が世界から日本にも注がれていることを、われわれは知るべきなのだろう。欧州は「歴史」というものを忘れない。(中略) だが、ドイツの戦後総括がわれわれとは比較にならぬほど、謙虚で論理的で禁欲的だったことを思うと、少なくとも、ドイツは誤った歴史は繰り返さないのだろう。
・日本が折角ここまでやってきながら、またすべてを御破算にしてしまうのが恐ろしい。日本人はいつも、前へ進むのが得意で、私のこれまで二十余年の新聞記者生活で、後ろにさがる勇気なり、寛容性を持った真の人物に出会った記憶がない。だから、いま本当に心配なのである。日本は自己抑制政策に金をかけるべきなのだ。(中略) 日本の将来と他者の明日にとっては、すぐにでも始めねばならぬことである。

・パリのメトロにはあらゆる国籍、肌色の人が乗っており、みんな意識をパンパンに張って、眠る人など皆無である。本や新聞を読んでいる人もさり気なく周囲に気を配っているものだ。職場で居眠りなどすれば、目覚めると机がとられてしまっているような空気が街中を支配している。電車内風景の両国の相違は、これでなかなか重大な論議ではなかろうか。つまり、それぞれの国における自己と他者の関係というものが凝縮されている図なのだ。少し飛躍すれば、これは両国の政治のありかたも象徴するものであろう。
・だから、彼らはつねにキリッとしている。昼間など眠らない。キリッとしすぎるくらいで、朝から晩まで、一生涯よくそれで疲れないものだと、感心させられる。日本びいきのフランス人は、あのニッポンのとろんとした雰囲気がたまらない、と意外なことを言う。日本に住んだフランス人こそ、帰国すると、使い物にならないのかもしれない。

・パリの若者、学生たちの生活は、なべて信じられぬほど質素で健気である。十八歳で選挙権があり、その年頃になると男女とも親元を離れ、下宿や寮で生活する。飽食などできない。勉強も猛烈だし、アルバイトの口もそうあるわけではないのだ。それでも、自分の興味のあるものには、靴の底を減らし全小遣いをはたいても見聞にでかける。単純に、日本とフランスの比較をしても始まらないのだが、若者のありかたがどうにも違いすぎる。将来、国としてどちらが生き残るのか、結論はもう出ているのでは、なかろうか。

・「あしざまに 国をのろひて言ふことを 今の心の よりどころとす」(釈迢空)―――ものすごい人が、昔はいたものである。
・「日本人にとって、耳ざわりの良いことを書くより、パリなり欧州なりが本当のところニッポンをどう見ているのか、これをしっかり見て、書いて欲しい」 三度目の海外勤務に出発する前、私はこんな餞の言葉をもらった。何人かの中小企業、個人経営者の知人が、期せずして同じことを言った。この人々はかつて欧州、中東、アジアなどの地域で大企業、資本の進出に先駆け、海外市場開拓を担ったと言える人々である。

・さて、パリという街が様々な矛盾を抱えながら、人工的都市美と整合性を重んじる制度や、しきたりで外側を包んでしまう故なのだろうが、異邦人としてここで生活しているうち、自分の感覚や価値観の何かが麻痺し、信じられぬほど冷酷非情な所作に身を任せていることに気づく。(中略) その一方で、不思議なことに生命体に対する感覚が過敏ではないかと思えるほどになり、動植物や季節へこだわるようになった。また、歴史や風土というものにも、得々と感じ入っているわが姿を見る。

・フランス人は取るに足らぬものに対しては、無視で応じるのが流儀だが、嫉妬の対象には、穏やかならぬ行動をとるものだ。こんなこと、世界中同じことなのだと思うのだが、フランス人の特質のひとつは、男女とも、焼き餅やきの「プロ」なのである。「プロ」となると、ひと味違う。そしてこころすべきは、げに、嫉妬こそあらゆる政治の背後に潜む動機であることを歴史が示していることである。

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先人たちの知恵ー⑤

2006-07-08 04:20:56 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、作家・仏文学者の辻邦夫さんが編集された『フランスの新しい風』という本です。

1987年の10月に辻さんと駐仏経験のあるジャーナリスト4人の皆さん(当時の所属で、読売新聞・NHK・産経新聞・時事通信・朝日新聞)が一緒にブルターニュと南仏を旅され、そこから得たフランスに対する新たな視点であるとか、印象などを各自つづった文章をまとめるとともに、最後に座談会を収録しています。その座談会から、何ヶ所か取り上げてご紹介します。大学時代に仏文を専攻された方が多く、フランスへの愛情にあふれたコメントが多くありますが、そこはジャーナリスト、現状の正確な把握とそれに基づく分析を通しての厳しいご意見もあります。


(辻邦夫氏がパリに来たとき毎朝のように通った5区コントレスカルプ広場のカフェ。しかし広場に4つもカフェがあり、どれかは残念ながら分かりませんでした。)

・人民戦線がいわば福祉政策という形で、ある一つの枠組みをつくって有給休暇というものを法律上はっきりさせた。これが、ある種の文化をつくっていくということになると思います。フランス人はヴァカンス民族だといって、なんとなく「ああ、そうか」と思うのですが、その底には一種の政策というか、政治的な意思みたいなものがある時点であったからこそ、それが文化になっていった。
・もう一つは、働くということなのですが、労働の問題がヴァカンスと対になっていると思います。カトリックの国と北ヨーロッパのいわゆるプロテスタントの国とでは、ずいぶん違いのではないでしょうか。労働に対する倫理観に関係があるという気もするんですが、カトリックの国の人々には、本来、労働というのは神から与えられた罰という意識があって、働くことがすなわち善だとならず、逆に原罪の賠償行為みたいなところがあります。
・(略)豊かさということを考えると、時間の過ごし方が、日本人とフランス人とではずいぶん違うのではないでしょうか。われわれ日本人の場合、現在を楽しむというよりは、一種の貧乏根性というか、常にある目的を持ってそのために何かをするのが、自分の生きがいになるわけですね。そうすると、現在の時点というものをどこかで犠牲にすることもいとわないような精神構造ができてくるわけです。フランス人の場合はむしろその逆であって、現在の時間をいかに長く延ばしていくかということにウェイトがかかっているんじゃないですか。
・フランスのみならず、ヨーロッパ全体にそうだと思うのですが、高度成長と、オイルショックに始まる経済不況、このふたつが社会にものすごく影響を与えている。あまり外国にいかずに悠々とやってきたフランス人ですが、今や日本なんかに来る人がかなり増えていますよね。そうすると、フランス人のメンタリティの中にあった、家の中にいて外のことは一切知りたくもないし、知る必要もない、自分のところが一番いいんだという意識が、やはり変わりつつあるような気が、私はしています。
・あのグラン・ゼコールというシステムが変わらないかぎり、フランスというのは永遠にフランスだともいえると思うんです。(略)フランスにはおよそ三百のグラン・ゼコールがありますが、それが六つのグループに分かれていて、グループごとに初任給が違う。どこの学校を出ると八千何百フラン、次が七千何百フランとか、全部ちゃんと表になっているんです。
・ただ、一方では批判もあります。エナあるいはほかのグラン・ゼコールを出たというだけで、民間企業などでポッと高いポストに座ってしまうわけですね。人生経験も社会経験もほとんどなくて、その企業の経営に偉そうに参加する。そういうのに対して、普通の大学を出て年季を積んだ人たちから、「一体あれは何だ」という、そういうシステムに対する批判があるというのは、私も聞いたことがあります。
・あり知り合いのフランス人に、「フランス人というのは、こんなに外国人に冷たいのか」と聞きましたら、その人曰く「外国人だけに対して冷たいんじゃない。フランス人同士でもそうなんだ。自分がよく知っている人以外はまるで外国人と同じだ。自分から話そうとしないし、無縁の人であるという感じなんだ」と。
・フランス人は本当にケチで一切ムダなことはしない。ところがそういう友達関係の間では、相手が困ったときには、持っている場合にはかなりの巨額の金を貸してあげる。たとえ貸して戻ってこなくても。そういう、自分を犠牲にしても友達に尽くすというぐらいの濃密な関係がありますね。
・すべて契約、契約ということで縛るんですけれども、一面、フランスの社会には顔とかコネとか、そういうことが非常に濃厚で、それが社会の実際の動きを律していくような面もあります。
・基本的に、フランス人というのは、いい意味でも悪い意味でもコンサーヴァティヴですよね。非常に臆病だという気がします。
・基本的にフランス人というのは、ものすごく戦争に弱い国民だと思うのです。なぜかといいますと、全体主義の対極にある個人主義的な国民だからです。足並みをそろえて歩くのだって、今の日本の中学生などに近くて、なかなかうまくいかないんですよ。
・社会主義、あるいは資本主義以前に国家主義なんですよ。エタティズムなのです、フランスというのは。一つには、左右両翼への人材供給源が、先ほど話に出たグラン・ゼコールだということがあるのでしょうが。

先人たちの知恵④

2006-06-15 01:38:51 | 先人の知恵
今回ご紹介するのは、先人というには失礼な、まだまだ現役で健筆を振るっておられる産経新聞記者・山口昌子さんの『大国フランスの不思議』。山口さんが1990年から2000年にかけて記事として書いたものを中心にまとめた本です。その中からいくつか抜粋してみましょう。政治・経済・社会と幅広いカバー領域の中からフランスについて、そしてそれを鏡に日本について、時に辛辣に、時に思いやりのある表現で書かれています。それらはすべてフランス共和国および日本への愛情から発せられたコトバであると思われます。

・いまだに中華思想が根強く、愛国心が旺盛で、手前みそ的傾向のあるフランス人にとっては、スペイン生まれのピカソも、旧ソ連生まれのダンサー、ヌレエフも、そしてケンゾーもフランス人であるように、フランスで生涯の多くを過ごし、何らかの功績を挙げた人物はフランス国籍の有無に関係なく、みんなフランス人なのだ。

・「フランス人は、どこかで王様や王妃をギロチンで処刑したことに罪の意識を感じているのです。だから他の国の王様に対して、罪滅ぼしの意味で関心が高いのです」(モイジ、フランス国際関係研究所副所長)

・最もモイジ氏は「フランス人は君主制度、それも英国などの立憲君主制度ではなく絶対君主制度が体質に合っている。現在も共和制君主政治」と言い切る。

・スト参加の国鉄などの労働者は文字通り、ブルーカラーの作業衣姿かセーターに革ジャンパーでネクタイなどまれだ。むしろノーネクタイに誇りを持っているように見える。(略)日本のようにあまりにもあっさり宗旨変えする政治家がいたり、政治家とタレントや詐欺師がほとんどおなじ顔付きという無階級の国から見ると、いっそすがすがしい。

・なぜ、突如、(ダイアナ妃が)不人気になったかといえば、「不倫など私生活を公共放送で告白すべきではない。そんなことをするのはエレガントではない」(大学教授)というわけだ。欧州の歴史を見よ、王室の政略結婚や不幸な結婚の例など山ほどある。その辺の小娘のように公衆に泣き顔を見せるな、ということらしい。

・それにしてもなぜフランス人は自転車好きなのか。(略)知人のフランス人は「騎馬民族でもありながら同時に豊かな自然に恵まれた農業国民にとって、自転車は騎馬民族の血を躍らせると同時に自然との一体感も味わえるという両方の本能を満足させることができる」と説明する。

・欧州のきちんとした昼食や夕食は長時間だ。ホストと招待客の間で専門的な分野の議論のほかに、かならずこの種のいわゆる教養を問う話題が出る。そういう時に、日本では嫌みにもキザにも聞こえるウンチクを傾けた会話をしないとダメなのだ、と言う。何がダメなのかというと、次回の昼食や夕食に呼んでもらえない。商談も進まないというわけだ。

・日仏文化の差の中で最も顕著なのはこの司令官、つまりエリートというかトップに関する認識の差ではなかろうか。まず日本では勉強のできる学生が行くのがエリート校といわれるが、フランスでは真の秀才をエリートに養成するのがエリート校だ。そして国民のごくごく少数であるこのエリートたちがこの国を牛耳っている。

・島国の日本は確かにこれまで司令官不在でも何とかやってこられたが、グローバル化時代ー一種の乱世を迎えて、従来の日本的な良い社員や良い指導者が危機存亡をかけた良き司令官になり得るのだろうか。

・こうしたフランスの危機管理は、国民の安全を守ることは国家、つまり政府の最低限の義務であるとの考えに基づく。換言すれば「国家の最優先事項はあらゆる種類の危機から国民を保護すること」という当然の考え方からきている。

・フランス人の睡眠薬の消費量は世界一との統計があるが、ワイン消費量の方は食事時間の減少とともに減少の傾向にある。もはや現代生活のリズムに合わないワインの代わりに、精神安定剤を飲んでなんとか精神の均衡を図りたいと思っている国民が多いのかもしれない。

・政治家はこの国では「オム・デタ(国家の人間)」と呼ばれる。国政という崇高な役割と重責を課されている、つまりプロである。タレントやスポーツ選手がその知名度を利用して政治家になることはこの国ではまず、あり得ない。多民族がひしめき合う欧州大陸という厳しい環境の中で滅亡もせず、一応、大国の地位を維持し続けるためには、政治家はプロでなければ務まらないことをだれもが自覚しているからだ。

・歴史家のジュル・ミシュレは、「この世の中で、もっとも運命的でなく、もっとも人間的で、もっとも自由なのはヨーロッパである。そしてもっともヨーロッパ的なのが、わが祖国フランスだ!」と述べている。

先人たちの知恵③

2006-05-06 03:17:39 | 先人の知恵
今回は、社会学者・桜井哲夫氏の著書です。

・サン・イヴ街からの眺め
1988年春から家族を伴って滞在したパリ(14区)で、フランス社会について考察・分析した文章です。マスコミに出たさまざまなデータを駆使し、そこに実体験を加えてわかりやすくフランス人とその社会の特徴を紹介しています。

「ニューヨークと同じように、フンをさせる飼い主に罰金を科したら自分達で新聞紙やスコップでフンの始末をするだろうと解決策を記事では提示しているのだが、はっきりいって疑問である。とにかく自分勝手なフランス人がこの種のルールを守るとは、ぼくには信じられない。」

「フランスというのは年寄りが好きな国だから、あまりフランスという国を若々しくしては駄目なのだ、とパスクアはシラクに忠告していたのだそうである。」

「つまり、幕末ー明治初期と明治中期以降では人々の気風がちがうのだ。とりわけ、各層を通じての江戸人の柔らかさ、洒脱さそれにその日暮らし性と、明治人の心性とはかなりはっきりした対照をなしているといえる。明治の世の中に生き残った江戸人たちは、本当はつらかったのだ。急激に異質の文化を吸収しつつ国家全体を一つの兵営のようにつくりかえ、急激に競争原理を導入して人々の上昇志向を煽りたてた明治という時代に適応するための、やむをえない性格防衛が、明治人の〈真面目さ〉と〈勤倹力行〉であったのであろう。」
*小田晋氏の文章の孫引き

「今や日本はヨーロッパから学ぶものはないなどと言う人がいる。あるいは、傲慢にもヨーロッパは日本のブティックだ、などと言う人もいる。とんでもない話だと思う。ヨーロッパの底力というのは、歴史的経験を決して忘れず、何度でも繰り返し考えぬき、人々に共有される思想にまで高めていこうというところにあるのだ。」

「こうした正確な日本から送られる記事があるにせよ、それでもやはり、人は自分の属する文化という眼鏡を通してしか、異質な文化を見られないのだろうか。例えば、頻繁に流されていたフランスの自動車ルノーのテレビコマーシャルを思い出す。このコマーシャルのなかでは、二人の日本人がルノーの新車を運転したあげく、最後に感心し切って、(これでは競争に負けるから)ハラキリ、などと言うのである。こういうコマーシャルをいつもテレビで眺めていると、つくづくいったん押し付けられたイメージの怖さというものを思い知らされるのだ。」

「第一次世界大戦後にヨーロッパに繰り出したアメリカ人と同じように、どれほど成金趣味を酷評されようとも、多くの日本人が国外に出ることは決して悪いことではない。国外に出なければわからないことというのは、やはり存在するのだ。」

「(略)日本人の集団的心性は、まだ持続しているからである。すでに述べたように、
①ウチとソトの区別(外国に出てさえ、ウチなるムラを作り、異質なものを排除する)
②他者のまなざしへの恐怖(世間体によるお互いの呪縛)
といった特質である。」


(桜井氏の住んだサン・イヴ街の現在。)


(散歩したり、子供さんを遊ばせたという、近くのモンスーリ公園。撮影したのは4月上旬で、桜など春の花が満開でした。)

先人たちの知恵②

2006-04-17 00:30:26 | 先人の知恵
先日の金子光晴氏に続いて、今回は、フランス文学者・海老坂武氏の著書です。

・パリ ボナパルト街

1972年春から73年夏にかけて、2度目の滞在としてパリに暮らした際の、思索の遍歴をつづった本です。大学教師としての幅広い知識・教養と、現実を直視しようという強い意思が、なるほどと思わせる多くの文章を紡ぎだしています。ただ、一般的な日本人にはパリは理解できない、パリを理解できるのは自分のような人間だけだ、といった高揚した気持ちがところどころに顔を出しており、ごく普通の一般人である私のひがみ根性を刺激してくれました。

「しかし、フランスの親たちが息子や娘に金を出し惜しむ理由は、日本の親たちが想像するように教育的配慮によるのでは必ずしもない。それも幾分はあるかもしれぬ。しかしどうもそれだけではない。私の観察によればこうである。
一定の年齢まで子供たちを立派に(comme il faut)養うこと、これは親の義務である。しかし、大学に入り、子供たちが親の手元を離れた時点から、子供に金をくれるのは親の〈損〉になる。言いかえれば、成人となった子供とは親にとって〈他人〉なのであり、〈他人〉であるかぎりにおいて子供たちにたいしても〈利害〉の関係が生ずるのである。」

「フランスの知識人と話しをしていると、彼らの口からときに、フランスにたいする、フランス文化にたいする自嘲的な響きがもれてくることがある。(略)日ごろ彼らの自足しきった〈ナショナリズム〉にうんざりしているこちらにしてみれば、おやという気になり、とっくり耳を傾けたくなる。ところがしばらくしてわかってくることは、彼〈彼女〉はフランスへのこの悪口嘲罵におおいに楽しみを覚えているということ。そこにあるのは深刻な自己否定などというものではなく、自己への距離を言葉にして遊ぶというきわめてフランス的なゲームなのである。」

「そこ(私註:モンパルナス墓地にある墓のひとつ)には間違いなくこう書かれてあった。『コート・ディヴォワールをフランスに寄贈せしL-G・B将軍に捧ぐ』言うまでもなく、コート・ディヴォワールとは今日まぎれもなき独立国である。しかしこの将軍にとってはコート・ディヴォワールとは武力によって勝ち取った私有財産以外のものではなかったのであろう。しかも彼は寛大にもこれをフランス国家に寄贈した!
ところでよくよく見れば下のところに、この記念碑の贈主の名が明かされていた。そこにはパンテオンの正面に記されているのと同じ文字が刻み込まれていた。『祖国は感謝する』」

「パリの学生と地方の学生の間にはある決定的な断層があって、地方出身の学生は常にそのことを意識させられているようだ。」


(海老坂氏が住んでいたボナパルト街の今日。サン・ジェルマン・デ・プレ方面から見たところです。この通り、サン・シュルピスには、かのパティスリ界の巨匠、ピエール・エルメの店があるおしゃれな通りです。)

先人たちの知恵①

2006-04-10 01:43:36 | 先人の知恵
OVNI(パリで発行されている有名な日本語情報紙)の図書室で、最近、フランスへ留学した先人たちの滞在記を借りて読んでいます。時代はさまざま。しかし、パリに暮らす中で感じたこと、考えたことが率直に書かれていて、参考になることも多く、また、な~んだ、時代は違っていても同じことに悩み、同じことに感動していたんだ、とうれしくなってしまう事もあります。

・金子光春著『ねむれ巴里』
今日ご紹介するのは、詩人金子光春が、夫人の作家・森三千代と極貧のうちに暮らしたパリ生活を振り返った自伝。1929年の暮れに船でマルセイユに着いて、そこから汽車でパリへ。その後およそ2年、少しでも金になりそうなことなら何でもやった。そんな生活の中から見えてきた、独特な切実さをもって描かれたパリです。時代が時代ですから、今にそのまま当てはまるものも、ちょっと?というものもありますが、生存のぎりぎりのところから生まれた凄まじいまでの文明批評。詩人の冷徹な目が光っています。何ヶ所か引用してご紹介します。

「この街は、不思議な街で(中略)あつまってくる若者たちを囚虜にし、その若者たちの老年になる時まで、おもいでで心をうずかせつづけるながい歴史をもっている、すこしおもいあがった、すこし蓮っ葉な、でも、はなやかでいい香りのする薔薇の肌の、いつも小声で鼻唄をうたっている、かあいいおしゃまな町娘とくらしているような、それで、月日もうかうかと、浮足立ってすぎてしまいそうなところであった。」

「どの皿も御軽少で、まとめれば一皿になってしまうのだが、それを、スープ、アントレ、レギューム、デザート、コーヒーと順ぐりにていさいつくって労働者までが、並木の下で、一時間もかかって、ムダ話をしながら食べるのでなければ気がすまないのが、フランス人、あるいはパリ人というものの、一面小面倒な選民意識とつながっているようにおもえてしかたがない。」

「フランス、とりわけパリ人のふしぎなことは、彼らが派手好きで、にぎやかな人間のくせに、財布の紐の結び目のかたいことと、世界のローカルなものを幅ひろく受入れ、じぶんをゆたかにする術をこころえていることである。頑固に自分をまもりながら、貪婪に他人の栄養を摂取して、千様の表情の変化を創り出す自在な能力をもっていることである。」

「フランス人のもっている選民根性は、茨の根のように僕のこころに残った。もともと、日本人も、フランス人も気むずかしい。共通に神経質で、充分寛大になれない人間であるところが反撥もするが、神のちがうこの二つの国の人たちは、感性のこまかい点で、わかりあうところも多いようだ。彼が成熟しているのにくらべて、日本人は少々子供っぽい。」

「人生というのは、多くは、どうすることもできない他人の運命とみすみすすれちがって生きることのようである。とりわけ、フランス人はエゴイズムの発達した人間で、他人事に首を突っ込まないところはさっぱりしていていいが、血の気の多い日本人には、もの足りない。」

「パリが今日のように程よく繁栄して生きるためには、われらいっさいのエトランジェはその栄誉のために身銭を切らねばならないし、血税をささげなければならない。その矜持において、パリ人は、フランスばかりでなく、ヨーロッパといういなか者の根性を代表しているようにおもえる。控えた方がいいものを控えず、ゆずるべき筈のことを強引に言いはってなにものにもゆずらない国柄だからである。」

「男、女のあいだとおなじに、惚れ込んでいるあいだは、世界の花の都であるが、嫌気がさしたら、売色の巷であり、目先の流行を作り出すだけの浅墓な、そのうえ、吝嗇で勘定だかい、どこまでも小理屈で利害をまもろうとする、似而非才子佳人の腹ぎたない、見かけだけ華美な人間たちのうようよしている偽善の街に面変りする。」