明るいときに見えないものが暗闇では見える。

映画を消費モノにさせないための咀嚼用ブログ。自己満足風。
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【いのちの食べかた】 いただきます

2009年08月22日 | 映画


私達が普段なにげなく口にしている食物(野菜・肉)が、実際にどのような過程を経て食卓に届いているかを描いたドキュメンタリー。効率を極めた大量生産の現場で何が行われているかを、ナレーションもBGMもなく定点カメラまたはレールカメラの映像で淡々と第三者目線で見せる。

農薬まみれで機械的に生産・収穫される野菜。既に生き物とは認められずただのモノとして処理されていく豚や牛。そしてその中で淡々と働く人々。その編集スタンスには批判も賞賛もなくただありのままを流し続ける。

この映画を観る人のほとんどは "かのシーン" を期待しているのだと思う。多分に漏れずボクもそのクチだった。そして鶏、豚、牛と普段は観られないものをこれでもかというほどじっくりと見せられた。ただそれを期待通りに見世物小屋的に楽しめたかというとそんなことはなく「食べ物が作られていく様」を純粋に学べたという感じ。また肉食をやめようと思うこともなく、その夜は何も考えず鶏のから揚げを食べた。

ところで今でこそマトモなものを食えるような身分になったが、学生の頃のボクの体の三分のニは「から揚げ弁当(340円)」で出来ていたと言っても過言ではない。お金のない身分においてそれは最も味と量で満足できる貴重な食だった。昼にから揚げ弁当を買って大学の研究室へ行き、夜のバイト後にから揚げ弁当を食いながらマージャンをする毎日。完全に生活ルーティンに組み込まれていた。そうなってくると別のものを食べよう/買おうとする時でも、から揚げ弁当より高いか安いかが基準となり、もはや "1から揚げ弁当" という通貨単位のようになっていたものだ。

閑話休題。付録の監督のインタビューにもあったが、ヨーロッパでは場で働く人たちに対する差別はないそうだ。欧米の肉食文化では一般家庭でも食用家畜の処理は行われており、大量生産の現代になってたまたま専門職が行うこととなっただけで日本のような "不浄のモノ" 的な感覚はないらしい。逆に皆のやりたくないそんな仕事を引き受けてくれている人たちには感謝しているぐらいとのこと。ボクが "かのシーン" を観たときに感じたのも、これと同じ感覚だった。日本人なのにね。

正直決して楽しい映画ではないと思う。かと言ってショッキングシーンを見せたいがためのモンド映画でもない。大量生産の食材を食べなければならないルーティンに組み込まれている現代人としては一度観ておくべき映画だとは思う。

この映画を観ることで三者三様な感情が湧き出てくることと思う。人の罪深さを感じる部分もあったが、かといってそれをどうこうしようというワケでもない。今後は単純に食べ物に感謝して「いただきます」と言おうと思う。

評価:特になし

牛の精子採るシーンにはワロタ。


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