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心意気
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「西の靖国神社」「朕」「爾臣民」「国家神道」

2023年08月23日 | 政治
🌸三韓征伐を再現せよ(神裔たちの日清・日露戦争)7

⛳「西の靖国神社」の存在
 ☆「西の靖国神社」が発見された
 *大阪府藤井寺市にある伴林氏神社である
 *祭神はすべて大伴氏の祖先にあたる
 ☆「軍人の祖神」を祀る神社として再発見された
 *「西の靖国神社」「関西の靖国神社」と大いに喧伝された
 *広大な社域を誇る府社に昇格した

明治政府は、臣下と皇族はわけるべしとした
 ☆「古事記」等より臣下と皇族はわけるべしを図式化すると
 *明治天皇=神武天皇
 *皇后美子=神功皇后
 *北白川宮能久親王=ヤマトタケル
 *日本軍将兵=アメノオシヒ(大伴氏)
 *古代(神話)と近代を等式化できる
 ☆日本では易姓革命が起こらなかった理由
 *万世一系の皇統が保たれてきたからだ
 *こういう物語を維持するためには
 *能久親王や永久王は靖国神社に合祀されるわけにはいかない
 ☆戦後になって能久親王や永久王が合祀された理由
 *台湾神宮や蒙彊神社など外地の神社
 *靖国神社に特別に合祀されることになった
 *臣下と一緒くたにならないように、特別な配慮がなされた
 ☆靖国神社は、現在臣下の祭神の一座、皇族の祭神の一座の二座がある
 ☆教育勅語でも「朕」と「爾臣民」区別されている
 *「皇祖皇宗」と「爾祖先」
 *これこそ、大日本帝国の価値観だったのである
 *戦意高揚になればなんでもいいというわけではなかった

「爾臣民(なんじしんみん)」の意味
 ☆「臣民」は旧憲法で天皇・皇族以外の者を指す
 ☆ 終戦の詔書には、天皇が国民に直接語りかけることを意識したためか  
 ☆「爾臣民」という言葉が5回使われている
 ☆難しい漢語や文語体のため
 *全体として意味が分かった人は少なかった

「下からの参加」としてのプロパガンダ
 ☆「祖先より代々」の物語は、政府や軍部から強制されただけではない
 ☆戦前の神道はしばしば国家神道と呼ばれる
 *政府が神社を管理して、国民を教化・煽動する
 *プロパガンダをほしいままにしていたといぅイメージがある
 ☆最近ではそのイメージは一面的と指摘されるようになっている
 *神道行政もけっして一貫性をもっていなかった
 ☆神社を監督する官庁は明治時代だけで
 *神祗官、神祗省、教部省、内務省社寺局、内務省神社局と変化した
 ☆神職も明治なかばまでに、ほとんど官吏ではなくなってしまった
 *府県社以下の諸社には、国家の保護はなきに等しい状態だった
 *国家神道ということばも、戦前ほとんど使われていなかった
 ☆「国家神道」の言葉、大東亜戦争の敗戦後
 *GHQが発した神道指令によって広まったものだった
 ☆神功皇后をうたった軍歌やヤマトタケルとの比較は
 *民間から率先して出されてきた
 ☆「上からの統制」だけではなく「下からの参加」にも注目も必要だ
 *プロパガンダは、政府や軍部が発するだけでは十分な効果を発揮できない
 *そこに便乗する企業や、軍国美談を消費する民衆の自発性を必要とする
 *神話に関しても同様の事が言える
                   (敬称略)
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⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『「戦前」の正体』





                          (国家神道)
「西の靖国神社」「朕」「爾臣民」「国家神道」
ネットより画像引用)

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