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震災の歴史に学ぶ(4)(明応の大地震&津波)

2021年04月09日 | 歴史
🌸震災の歴史に学ぶ(4)(明応の大地震&津波)

地震の揺れ時間
 ☆300年前の公家に恐ろしいことを教わった
 ☆江戸人はこの元禄の関東地震の揺れをどの様に記録していたのか
 *神職や公家の日記は現代人を守る地震計になる
 ☆元禄中大地震大火の覚という記録がある
 *京都の賀茂社の神職が東海道の戸塚宿で就寝中、地震に遭遇
 *文章からして、最低でも45秒以上の揺れた
 ☆近衛基熙の日記「基熙公記」の地震記述
 *元禄中大地震は、3分間近くも揺れたらしい
 *4年後の宝永地震が起きた日の「基熙公記」もみた
 *連動型地震は10分間揺れる可能性がある
 *基熙は、元禄関東地震は、静岡県の新居宿を壊滅させたと記す
 ☆新居宿付近の「津波波高は3メートル程度」とされている
 *「基熙公記」の記述をみると津波は新居宿を壊滅させている
 ☆新居宿のある浜名湖口付近は日本の弱点だ
 ☆東海・東南海・南海の連動地震がおきれば、巨大な津波に襲われる
 *震度6以上の揺れが、長時間続けば、動けないさなかに津波がくる
 *新幹線が低くここを通っており、早急な対策が必要だ

⛳津波と新幹線(1)
 ☆自然ほど伝統に忠実なものはない
 ☆この国には「文化伝統」があるが、更に強固な「日本の自然伝統」
 ☆自然伝統は、南海トラフが正確な周期で動き東海・南海地震をおこす
 *この周期的地震は、 100年に1度は、大地震、大津波をおこす
 *500年に1度は、超巨大地震をおこし、超巨大津波をもたらす
 ☆500年に1度の強い東海大地震がこの国を襲ったのは
 *室町時代、明応大地震・明応大津波
 *鎌倉の大仏の大仏殿を押し流し、大仏殿を裸にした可能性が高い
 *砂丘を破壊し淡水湖の浜名湖を海とつなげた
 ☆運の悪いことに、現在はこの明応地震から500年後の世界
 *人口集中地に、強いほうの東海大地震、15mの巨大津波が来る時期
 *明応津波は中世のことなので、文献史料は少ない
 ☆現在残っている地震の古文書
 *安政地震の後で庄屋が領主に提出した被害届が多い
 ☆500年前の明応津波が再来すると
 *砂丘・新幹線をこえ、浜松市の中心市街地まで達するのでは
 ☆東日本大震災では、津波到達まで1数時間の余裕があった
 *東海地震はさらに過酷な状況下で津波を迎えるはず
 *太平洋沿岸は、揺れる中、高台をさがし駆けあがらないと助からない
 (これほどの地震だと揺れと同時に停電も生じる)

⛳津波と新幹線(2)
 ☆国鉄は新幹線のルートを決める時、津波のことを全く考えなかった
 *大津波がくると新幹線は、浜名湖付近と焼津付近が津波にやられる
 *新幹線は、過密時には3分間隔で発車している
 *浜名湖付近では高架も低く海面に近いところを走行している
 ☆震度6~7では新幹線は脱線に耐えるのがせいいっばい
 *地震後、曲がった線路を走るのは絶望的
 *15m近い津波がくれば、水没する可能性がある
 ☆新幹線以外にも東海道線も走行している
 *阪神大震災に相当する死者をここだけで生じさせるかもしれない
 ☆国土交通省の方々に対策の必要性を認識してほしい
 *JR東海だけでは、どうにも対策のしようがない
 ☆国民一般も政府の当局者も問題にしていない事実
 *これが人間界の自然方則であるように見える
                       (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『歴史の愉しみ方』より




震災の歴史に学ぶ(4)(明応の大地震&津波)
(ネットより画像引用)

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