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中国古代王朝『殷』『周』は、美女が滅ぼす

2019年05月23日 | 歴史
中国の古代文明2

2つの大河が高度な文明をはぐくんだ
黄河文明と長江文明
 ☆北の黄河と南の長江は、中国を代表するこの2つの大河
 ☆古代文明を育み、様々な王朝が興亡する舞台となる
 ☆北部の黄河流域は降雨が少ない
 *米の生育に適さず、_麦やキビなど畑作が中心
 ☆南部の長江流域降水量が多い
 *温暖で稲作中心
北の黄河文明は、文化が2段階に分かれて発展
 ☆前半は、彩陶という赤っぱい素焼きの土器を使っていた仰詔文化
 *仰詔文化の頃は竪穴式住居が点在
 ☆後半は、黒っぱい黒陶という高温で焼いた土器を使っていた竜山文化
 *竜山文化の後半頃になると、集落が形成され始める
南の長江文明は、河ぼ渡文化や良渚文化といわれる文明が発展
 ☆土器や祭りごとを行った遺跡も出土されている
 *河ぼ渡文化「河に女に母」の文化
 *竜山文化「良いなぎさ」の文化
 ☆豊かな実りある土地だったことが推測できる

「美女に溺れて滅んだ!?」2つの王朝
暴君によつて滅びた殷王朝
 ☆黄河文明の後期に「邑」が中国国内に多数できる
 ☆「大規模な邑」が小規模な邑を従えたのが殷王組です
 ☆殷の都の跡には、未知の文字(甲骨文字)を発見されている
 ☆殷の時代、神への祭りは非常に熱心
 *亀の甲羅や、動物の骨を焼いて亀裂を入れる
 *そのヒビの入り方で吉凶占った
 *結果を「神権政治」の道具として使用さた
 ☆殷王朝の最後の王
 *「悪政を行った暴君の王」の代表格として扱われています
 *絶世の美女妲己に溺れてしまう
 ☆「酒池肉林」を楽しみ、政治をおろそかにして滅亡する
武王が、殷を滅ぼし出来た周王朝
 ☆周王朝は、隆盛を誇った前半の段階と、弱体化した後半の段階がある
 ☆前半を「西周」、後者を「東周」と区別している
 *封建制という支配体制をとる
 *土地を家臣に分け与え、地方の統治を任せる
 ☆周は血縁が仲立ちした
 *王は血縁者に地方の統治を任せ諸侯とする
 *諸侯も同じように与えられた領土を血縁者の家臣に分け与えて治める
 *国を共通の祖先をもつ「大きな家族」としておさめた
 *血縁集団を「宗族」といい、結束を強めるための「宗法」が重視された
 ☆西周も、美女に溺れた王により弱体化した
 *異民族の侵入によって都を奪われた
殷や周の故事
 ☆「傾国の美女」という言葉が生まれた
 ☆美女に溺れた統治者が、国政をおろそかにして、国を滅ぼす
 ☆このあとの中国史でも繰り返される

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出典、『世界史の教科書』


『殷』『周』は美女が滅ぼす
(『世界史の教科書』記事より画像引用)





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