慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

共産主義(社会主義)

2016年09月16日 | 知識取得
各派の共産主義(社会主義)

資本主義の弊害を克服した「社会主義」という社会体制をめざす運動です
資本主義社会で、協同組合のような共同体実験モデルを作る社会主義
 (マルクスはこの人たちを「空想的社会主義派」とよびました)
国家権力の「廃止」をめざす無政府主義
キリスト教の愛にもとづく共同体をめざすキリスト教社会主義
資本主義の改良をつみかさねて社会主義をめざす社会民主主義
出典、ネットより、曖昧な点多々ありますので、詳細確認ください










共産主義(社会主義)(ネットより画像引用)

共産主義(マルクス主義)とは
社会には発展法則があり、人工的な理想社会ではなく、社会の必然によって資本主義の次には社会主義がくる
社会は、階級と階級の争いであり、愛や話し合いが解決しないので、革命が必要になる
資本主義の改良を重ねるのではなく、革命によって政治権力を獲得して実現
階級対立が消えれば、他の階級を抑圧する国家権力は、自然に必要なくなる

日本の戦後教育の問題点
ドイツ「ナチスは右翼」との教育?
ナチスは、「国家社会主義ドイツ労働者党」です
イタリアムッソリーニもマルクス主義者です
ヨーロッパの多くの国で「マルクス主義者」が警戒されるのは当然です

東アジアで共産党を合法している国家
共産党政権でない国で、共産党を合法化しているのは日本だけです
韓国、フィリピン、シンガポール、タイなど東アジア各国で共産党は非合法です
反体制派に「共産主義者」のレッテルを貼って虐殺する事件もしばしば起きています
フィリピン共産党のように、反体制ゲリラ活動を行っている非合法共産党もあります
イスラム圏諸国では殆ど共産党は非合法です


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宗教の歴史2(他界観・来世観)

2016年09月16日 | 宗教
各宗教が示した死後の世界観

旧人も何らかの来世観をもっていた
宗教にとっての理想や最終日標(天国、極楽浄土)
前世(今生)の生き方、過ごし方で、死後の世界は変わる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆出典、『宗教史(成美堂出版)』詳細本で確認ください










宗教史(ネットより画像引用)


死後の世界を想定することで死の恐怖をやわらげた宗教
人はなぜ死ぬのか、死んだらどこへ行くのか
根源的な疑間に答え、死に対する不安や恐怖をやわらげるのが、宗教が果たす役割のひとつです
多くの宗教では、死んだ後にも何らかの世界(他界。来世)があると考える
『死』とは単なる通過点、あるいは新たな生への出発点と考えられてきた

来世観の起源
旧人の埋葬跡が出土したことは、旧人も何らかの来世観をもっていた
古代文明(エジプト)でも、ファラオ(王)の墳墓からはミイラや豪華な副葬品、殉死者の遺骨などが発掘される
次の世界でも王は王として生きる、という来世観に基づくものです
キリスト教など「幸せな天国」と「業火で焼かれる地獄」と、具体的なイメージの来世観が導入される
今生の行いが死後の行き先に影響を与えるとすることで、現世における人々の宗教的倫理観を醸成した

宗教にとっての理想や最終日標
仏教における「輪廻転生からの解脱」という来世観
キリスト教、イスラーム教における「最後の審判ののちに天国に行く」という来世観
教義などを理解するうえでも重要な思想です

イスラム教他界観・来世観
非イスラーム教徒(墓の中で天使から罰を受け続ける)
イスラーム教徒(天国の記録簿に名前を書いたのち、墓の中で復活を待つ)
殉教者(ジェハード(聖戦)での死者には天国が約束されている)

キリスト教他界観・来世観
地獄(非キリスト教徒と完全な悪人が送られる)
天国(キリスト教徒が送られる)
煉獄(キリスト教徒のなかで小罪を犯した者が送られ、魂を浄化する場所)

仏教の他界観・来世観
輪廻思想(前世の生き方で次の生まれ先が決まる)
六道輪廻(「天道」「人道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」)の何れかに生まれ変わる
解脱=涅槃(真理を悟ることで解脱し、涅槃にいたる)
極楽浄土(あらゆる苦しみから解放された世界)
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源頼朝の大の浮気好き?

2016年09月16日 | 歴史上の人物
源頼朝が開いた日本初の武家政権・鎌倉幕府

武士による幕府を鎌倉で初めて作った初代鎌倉幕府将軍
ゼロから建設した都市・鎌倉には様々な工夫があり、政治の中心地として発展した街
鎌倉時代は、日宋貿易や貨幣経済の普及など、経済の転換期でした
700年続く武家政権の礎となった鎌倉幕府
神奈川県茅ケ崎付近には、源頼朝浮気相手の碑遺産等がひっそりとあります
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
 ☆番組の画面引用
出典、番組、BS11『せいこうの歴史再考』(経済と歴史を結び付ける番組)
















源頼朝(番組画面引用)

源頼朝結婚まで
源氏の棟梁源義朝の三男として熱田神宮近くで誕生
義朝の三男として生まれたが、源氏の嫡流として育てられた
平治の乱に敗れた父義朝は、鎌倉に落ち延びる途中で殺された
頼朝は捕らえられ、伊豆の蛭ヶ小島に島流しとなった
伊豆の土豪・北条時政の娘・政子と結婚

源頼朝は鎌倉幕府設立
平家打倒の旗を掲げ、武家政権樹立へのスタートをきった
後白河法皇との確執などがあったが、平家を打倒し全国を制覇した
征夷大将軍に任じられ、史上初の武家政権を樹立した
落馬がもとで亡くなる
源頼朝が亡くなった後は、源氏の運命は悲惨(源実朝の非業の死)
その後の政治を継いだのは、妻政子とその一族の北条氏です

源頼朝は浮気者だった
浮気性が妻・北条政子を激怒させ、政子は浮気相手の家を破壊してした
末は離婚と思われていた?
頼朝他界後、政子は頼朝に捧げるために、自分の頭髪を編み込んだ曼荼羅を作らせた
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