旅にしあれば

人生の長い旅、お気に入りの歌でも口ずさみながら、
気ままに歩くとしましょうか…

20240421 北海道晩春編③ 昭和ニューミュージックの1980年代 上士幌町

2024-04-21 04:21:01 | 旅鴉の唄




4月21日(日) 曇り時々晴れ


新聞を読み終え、続いて新刊本コーナーで気になって手にとったのがこの
「「昭和ニューミュージック」の1980年代~あの人はあの頃、どう生きて
いたのか/富澤一誠著」だ。80年代当時最前線にいたアーティストたちへの
インタビュー記事を年代順に記録した内容で、その時代の生々しい肉声が
甦る一方、歌い手たちのその後現在に至るまでの追跡取材などは網羅されて
おらず、「記録集」「歴史遺産」的な内容にとどまっているのがやや惜しい。

80年代がまんま青春期と重なる私などは、登場するアーティストすべて
認知でき、読み通したいところだが、時間の関係ですべて閲覧するのは難しく、
「NSP」「谷山浩子」「五十嵐浩晃/天野滋」の項目だけしか読めなかった。

NSPへの取材は80年代初頭、シングル曲『見上げれば雲か』を発表した頃で、
「ポスト・アリス」「ポスト・オフコース」の最右翼として期待されていた
時期でもあり、この曲で大ヒットを!と相当意気込んでいたことが伝わる
(しかし結果それは叶わず、代わって「アルフィー」「チャゲ&飛鳥」らが
その役目を担ったのが歴史的衆目な事実)。この曲のスポットCMがラジオで
頻繁に流れていたことを私も鮮明に覚えている。しかし、肩に力が入りすぎた
のか、この歌はまったく売れず、NSP史上否が応でも転換期を迎えざるを得ない
逆エポックメーキングな一曲となってしまった。その後NSPはよりポップな
方向へとシフトし、やがて打ち込みを多用、試行錯誤を繰り返すことになる。

天野滋さんへのインタビューは80年代の終わり、すでにNSPは活動停止し、
2年後レコード会社を移籍、ソロアルバム発売にこぎ着けた頃にあたる。
路線変更を余儀なくされ、それを引き金にNSPは空中分解してしまったが、
それでも天野さんは自分のやりたい音楽にこだわると宣言、コンピューター
を駆使した音作りに磨きをかけると力強く語っている。が、結果的にこれも
空回り、ソロアルバムはこの一枚限りしか発表されず、このあとアーティスト
としては、長い沈黙を続けることになる。

谷山さんへのインタビューは、彼女がデビュー後10年してこれが最初で、
正直、富澤さんは谷山さんの描く「不思議メルヘン世界」にはそれまで
まったく興味がなかったと打ち明けている。シングル『てんぷら・さんらいず』
アルバムでは「水の中のライオン」らを題材に、メルヘンと普通のラブソングの
使い分けできる理由を、谷山さんに迫っている。


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