エスプリ・ドゥ・パリ
武蔵野市の中町の3丁目にあるケーキ屋さんです。並びに市の文化会館があります。
社長の鈴木俊行さん昭和30年(1955)4月19日山形県米沢市生まれ。私も同じく4月生まれ、両親は山形県長井市の出身です。私との共通点が多く、話が弾みました。
仙台の「ラ・セーヌ洋菓子店」に弟子入りし24歳で上京、テレビで見た東京の洋菓子にあこがれ、仙台から1年間入門を希望して、毎月訪問したそうです。念願が叶い、都内の洋菓子店で修行を重ねました。しかし、見ると聞くではかなり違い。先輩方の賄を作る日々に明け暮れたそうです。半年もすると先輩方の全員がいなくなり、後ろを見ると後輩ばかり、今度は、慣れない後輩の面倒を見ることになったそうです。
その後、フランスのバールデュックにある「オーパレドール」のアンドレコルデル氏に出会い、その後毎年渡仏するようになる。
1990年、35歳で「有限会社 おかし倶楽部」を設立、同年、吉祥寺に「エスプリ・ドゥ・パリ」を開店しました。昨年までは、9店舗を展開していましたが、ショッピングセンターのテナント軽視、金もうけ主義に怒り心頭、6店舗を閉店しました。現在中町の「エスプリ・ドゥ・パリ」と吉祥寺と川崎ラゾーナで「オー・ファン・パレ」の二つのブランドを展開中
です。
武蔵野市の中町の3丁目にあるケーキ屋さんです。並びに市の文化会館があります。
社長の鈴木俊行さん昭和30年(1955)4月19日山形県米沢市生まれ。私も同じく4月生まれ、両親は山形県長井市の出身です。私との共通点が多く、話が弾みました。
仙台の「ラ・セーヌ洋菓子店」に弟子入りし24歳で上京、テレビで見た東京の洋菓子にあこがれ、仙台から1年間入門を希望して、毎月訪問したそうです。念願が叶い、都内の洋菓子店で修行を重ねました。しかし、見ると聞くではかなり違い。先輩方の賄を作る日々に明け暮れたそうです。半年もすると先輩方の全員がいなくなり、後ろを見ると後輩ばかり、今度は、慣れない後輩の面倒を見ることになったそうです。
その後、フランスのバールデュックにある「オーパレドール」のアンドレコルデル氏に出会い、その後毎年渡仏するようになる。
1990年、35歳で「有限会社 おかし倶楽部」を設立、同年、吉祥寺に「エスプリ・ドゥ・パリ」を開店しました。昨年までは、9店舗を展開していましたが、ショッピングセンターのテナント軽視、金もうけ主義に怒り心頭、6店舗を閉店しました。現在中町の「エスプリ・ドゥ・パリ」と吉祥寺と川崎ラゾーナで「オー・ファン・パレ」の二つのブランドを展開中
です。