江の島 2
平安時代には空海・円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられている。寿永元年(1182年)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝したといわれる。鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきた。弁才天は水の神という性格を有し、歌舞音曲の守護神とされたため、歌舞伎役者や音楽家なども数多く参拝した。ことに音曲に関連する職業に多い視覚障害者の参拝も見られ、中でも関東総検校となる杉山和一の存在は特筆すべきである。参拝者のための宿坊も門前に軒を連ね、関東一円に出開帳を行うなどの活動も見られた。
1923年(大正12年)9月1日 - 大正関東地震により島全体が2メートル近く隆起し、海蝕台が海面上に現れる。東岸の津波被害は著しく、島内のほとんどの建物は倒壊した。江の島桟橋は津波で流失する。震災の復興が進む中、1929年(昭和4年)には小田急江ノ島線が開通し、観光地発展のきっかけを与えた。









平安時代には空海・円仁が、鎌倉時代には良信(慈悲上人)、一遍が、江戸時代には木喰が参篭して修行に励んだと伝えられている。寿永元年(1182年)に源頼朝の祈願により文覚が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに、代々の将軍や御家人が参拝したといわれる。鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきた。弁才天は水の神という性格を有し、歌舞音曲の守護神とされたため、歌舞伎役者や音楽家なども数多く参拝した。ことに音曲に関連する職業に多い視覚障害者の参拝も見られ、中でも関東総検校となる杉山和一の存在は特筆すべきである。参拝者のための宿坊も門前に軒を連ね、関東一円に出開帳を行うなどの活動も見られた。
1923年(大正12年)9月1日 - 大正関東地震により島全体が2メートル近く隆起し、海蝕台が海面上に現れる。東岸の津波被害は著しく、島内のほとんどの建物は倒壊した。江の島桟橋は津波で流失する。震災の復興が進む中、1929年(昭和4年)には小田急江ノ島線が開通し、観光地発展のきっかけを与えた。








