活字の海で、アップップ

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その他、音楽編、自然編も有り。

マダム貞奴 世界に舞った芸者

2007-10-21 20:58:05 | 活字の海(書評の書評編)
書評 小西聖子(たかこ)  集英社 レズリー・ダイナー著 木村英明訳


この本の面白さを評して、小西氏は入れ子構造の妙にある、と言う。

① 川上音二郎/貞奴が海外で日本語にて演じる舞台
      ↓
② 言葉も分からないままそれを楽しむ欧米人が、欧米人の文化観で批評
      ↓
③ その批評をダウナーが蒐集し、欧米人のために出版
      ↓
④ それを日本人が日本語に翻訳し、出版
      ↓         
⑤ それを日本人が読む


ただ、残念なのは、この本が書評のコピーにもあるように、

「『西洋人の日本イメージ』を演じた女性」

という観点で、日本人と異なる文化観を持つ西洋人の目で貞奴を見つめ直す
という目論見で記されたのであれば、集められた日本人/西洋人の貞奴評から、
貞奴の魅力がどこにあるのか、当時の欧米人は貞奴の何に惹かれて行ったのか

(何せ、貞奴ファンとされる人の中には、ドビュッシーやピカソ、ロダン
 (ロダンは彼女の彫刻を造りたいと申し出たが、時間が無いとの理由で
  貞奴に断られたという逸話が残っている)
 という早々たる当時の文化人が名を連ねているのだから)

を明らかにして欲しかった、と思う。

この書評からは、本書が貞奴を主題に挙げながら、ページが進むにつれて
貞奴が奥に引っ込み、音二郎が強力なパーソナリティーで輝いてくる、と
記されている。

結局、原著者にとって、貞奴は音二郎、もしくはステレオタイプとしての
日本の風俗や文化を知るための切り口でしかなかった、ということなのか。

もっとも、評者も記しているように、原著者がそもそも人間としての
貞奴への関心と言うよりは、芸者や歌舞伎と言った日本の風俗にこそ
関心があり、それを知るための一つの道標としてしか貞奴を捕らえて
いないのであれば、貞奴像の分析をこの原著者に望むべくもないのかも
しれないが。

とすれば、この作品の捉え方として、

 当時の欧米での貞奴評の集大成という資料集か、
 或いは貞奴をフィルターにした当時の日本文化考か、
 はたまた貞奴像を浮き彫りにしようとして焦点がぼやけてしまった失敗作か、

そうした評者の意見を言い切って欲しかったところではある。

もっとも評者にすれば、この本に対する自分の考えのヒントはちりばめたので、
原著作に当たるかどうかは読者が自分で判断してね、というところなのかと思うが…。
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