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その他、音楽編、自然編も有り。

’09 シリーズ危機 この国はどこへ行こうとしているのか 政権選択

2009-07-23 00:00:27 | 活字の海(新聞記事編)
毎日新聞 2009年7月13日(月) 夕刊6面 夕刊ワイド
「探りたい」 政権選択
インタビュイー:柄谷行人(評論家)  記者:中山裕司 
サブタイトル:「米中にくみせず 先端いこう」


ふう。
と、嘆息する。

この手の意見を読む度、思わず口から漏れる吐息は、何に
起因するものなのか。

紡ぎ出された意見に、なのか。
あるいは、その意見に対する自分自身の思いに対してなのか。

いずれにせよ、とても重い命題を孕んでいることは、間違いない。


その、紡ぎ出された意見とは。

『米中二大国、いずれにもくみせず、独立独歩で行こう。』

これは、いい。
別に異論は無い。

元より、米中いずれとも、国民性も国家としての成り立ちも
異なる日本である。
協調は出来ても、融和は無理だろう。

その後の氏の論旨の展開が、よく理解できなくなる。

『太平洋戦争を起こした反省から、両国のどちらも取らない
 選択が出てくる』

太平洋戦争は、乱暴に言ってしまえば帝国主義の覇権戦争である。

連合国側は、既得権益の維持・拡大を。
枢軸国側は、出遅れの解消のための挽回策を。

それぞれ賭けて争った結果である。

覇権争いの標的となっていた発展途上国は、全く以って蚊帳の外
である。

あの当時、それら途上国は、まだ国力的にも国民意識的にも
そこまで成熟しておらず、第二次大戦を経て、ようやくそれらの
隆盛と共に、各国における独立運動の活性化をみることとなる。

あの時代に、日本の選択として、どちらの陣営にも属さずに
ほどよい距離感を維持しながら政局を乗り切ることの可能性は、
果たしてどれほどあるのだろうか?

いや、そもそも、そのための具体的な処方箋を氏は示すことが
出来るのだろうか?


この僕の内面の問いに答えるように、氏は言葉を吐く。
しかもそれは、記者によれば、氏は「初めて大きな声を出し、
空気が動いた」と語るくらい、力の篭った発言であった。

その発言とは…。

少し長くなるが、引用しよう。

「軍備増強を続ける中国には『あなたがたが戦争をやるかも
 しれないが、われわれは過去の反省に立った証拠である
 憲法第9条のもとで戦争はやらないんだと言えばいい』と。

 オバマ大統領が核廃絶を打ち出した米国には『日本は戦争
 放棄なのだから、核廃絶に決まっているじゃないか』と。

 最後は『われわれの方が世界の先端に立っていて、世界は
 結局その方向に向かうほかないんです』と力を込めた。」


これを読んで、どのように思われるだろうか。

哀しいかな、僕には氏が主張する程の覚悟を持つことは出来ない。

中国に対する発言から紐解こう。

「あなたがたは戦争をやるかもしれないが」

ここには、日本がその戦争の当事者になるという視点が、完璧に
抜け落ちていないか?

日本だけは安全地帯に有ると、もし氏が想定しているのであれば、
その根拠をお教え願いたいものだ。

中国の過去の政治的スタンスを見れば、そんなことは鴻毛よりも
軽い空論に過ぎない。

百歩譲って、そうしたことも当然考えている、としよう。

腕まくりをして、中国が攻めてきたらどうするのか?

「憲法第9条のもとで戦争はやらないんだと言えばいい」のか?

そうすれば、なるほど、了解したと、彼の国は大陸へ帰っていく
のか?

とても、そんな幻想を抱くことは僕には出来ないし、氏がそこまで
夢想を広げているとも思わない。

であれば。
残る道は、唯一つ。
例え攻めてこられても、無条件にそれを受け入れること。
武器を持って闘うよりは、非暴力を貫いた結果としての被支配民族と
なることを、誇りを持って受け入れる、ということである。

そこまで氏が覚悟を決めてこの発言をされているのであれば、
もう僕には何も言うことはない。

そこまでの覚悟も出来ない僕は、その意思に尊敬の念を表しつつも、
同意はしないだろう。

だが、もし氏がそうした主張をしているとすれば。

氏は、自宅の玄関に鍵はかけていないのか?

万一、泥棒が侵入してきたら。
私は犯罪に対して暴力で抗することはしない、と言って、なすが
ままとなるのか?


国際政治レベルと、卑近な市民生活レベルを同列に扱うことは、
無理が有るか?

では、両者も人間の営みの結果であり、単にそれが個体レベルか
集積された国家レベルかという違いでしかないのではないのか?
という僕の疑問に、答えて欲しいのだ。


最後の一文も、また然りである。

紛争の解決の手段としての戦争を、永遠に放棄する。
その理念が尊いことは僕も、理解できる。
それが実現できる世の中であればどんなによいか、ということも。
それが、人類が到達すべき地点としては究極のポイントであろうと
いうことも。

だが。
現実は哀しいかな、例え我々がそうした主張をしたとして。
それに感じ入って他の国々が賛同し、大きなウネリとなっていく
といった時代は、当分の間訪れそうも無い。

そうしたことが起こり得るならば。
チベットにおいて、あるいはウイグルにおいて。
なぜ中国はああした醜い占領政策を取り続け、人々を抑圧し続ける
のか?
そして、それに対して、国際世論はなんら実効的な手立てを行使
出来ないのか?


そこに、全てのリアルが有る。


それすらも、全て乗り越えて。
上述したように、非暴力の道を貫くことが、人としての尊厳だと
氏が主張するならば。

今、正に中国により抑圧されているチベットやウイグルの人々の
前に行って、その主張をしてきてほしい。


理念は、剣よりも強い。
是非、それを体現してほしいものだ。


(この稿、了)






アメリカから距離を置く、となると、どうしてもこの本が
まっ先に脳裏に浮かぶ。
それくらい、出たときのインパクトは強かった本である。
「NO(ノー)」と言える日本―新日米関係の方策(カード) (カッパ・ホームス)
盛田 昭夫,石原 慎太郎
光文社

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あの太平洋戦争を、本当に回避することができるのか?
最初にこの本を読んだとき(もう随分昔だが)、
その発想のユニークさが好きだった。

大逆転!太平洋戦争を阻止せよ (光文社文庫)
檜山 良昭
光文社

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非暴力による抵抗を唱えるならば、せめてこの方くらいのことを
語って欲しい。
読むと、人間の残酷さと、その究極の尊厳と、両方を痛感出来る本。
雪の下の炎
パルデン ギャツォ
新潮社

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