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目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

聖地日和 異境・異形 1 和歌山県・補陀洛山寺

2009-07-22 00:00:08 | 活字の海(新聞記事編)
毎日新聞 2009年7月19日(日) 日曜くらぶ2面
異境・異形 1 和歌山県・補陀洛山寺
筆者:伊藤和史 写真:荒牧万佐行
サブタイトル:補陀落渡海 ヨロリ



生きながら死を選ぶ人の心中とは、如何なるものなのだろう。
勿論、その行為が厭世によるものである場合は別として。

修験道においては、捨身行(しゃしんぎょう)がその修行の
頂点だ、と言う。

現世の身を捨てて、その先にある浄土へ行き着くという発想は、
様々な形を持って今の世にも言い伝えられている。

有名なものでは、山形県を中心に多く現存する即身仏も、その
一つであろう。

即身仏の場合は土の中に入って浄土を目指すが、補陀落渡海の
場合は、その名のとおり海に入り、海の彼方の浄土を目指す、
というものである。

沖縄にあるニライカナイ信仰の例に漏れず、海上浄土という
ものは、殆どが南の海に在るとされる。

その意味では、この記事で取り上げられた和歌山県那智勝浦町の
補陀洛山寺の辺りから、いや、黒潮が北上してくる日本の太平洋岸
の場合には、どうやったって南になど行ける筈も無い。

となれば、この業は。
現世での即身成仏を期したものでないことは、明確である。

死して、即身仏となることでしか、浄土への道は開けない。

その人々の思いが、自らを、あるいは他者を。
補堕落渡海へと掻き立てていく。

その悲劇は、井上靖の「補陀落渡海記」にも、よく取り上げ
られている。

この記事の中にも、その渡海の仕方が述べられているが。

小舟の上には、小さな屋形が設けられている。
その四方は、まるで封じ込めるように鳥居が取り囲む。

そして、更に。
渡海せんとする人が屋形に入ると、その入り口を表から釘で
塞いでしまうのだ。

村人達に見送られて、渡海船は曳航されて港を出る。
そして、外洋に出れば、舫(もやい)を外され、正に大へと
帆も舵も無い状態で、放り出されるのだ。
#勿論、そのようなものがあったとしても、屋形に閉じ込め
 られている人が、どうこう出来る筈も無いが。


記事によれば、こうした渡海は、日本の各地で記録されており、
全部合わせると56回にも及ぶ。
しかも、そのうちの28回程度が、この補陀洛山寺からの出立
だというから、凄まじい。

その中には、自ら求道して臨んだ者もいただろう。

あるいは、井上靖が描いた金光坊(こんこぶ)上人のように、
周囲からの思いを受けて、抜き差しなら無い状況に陥って
出立したような事例もあっただろう。


前者はともかくとして、後者はまるで人柱である。
それだけ、人々が時代の安寧を願う気持ちと、それが人智を
超えたものでしか制御できないとする畏敬の思いが強かった。
ということだろう。

ちなみに、半ば人身御供のようにして、海へと送り出された
金光坊上人は。

一度、自力で屋形から脱出し、漂着したところを発見され、
再度別の舟に乗せられて、送り出されたとされる。

逃げる上人、それを捕まえ、舟に放り込む村人。
その双方の営みに、人の生きることの哀しさが凝縮されている。

更に、この上人。
死して尚、死に切れなかったと見えて、ヨロリという魚に生まれ
変わったと言い伝えられている。

真っ黒な魚であり、その骨の多さや歯の鋭さも相俟って、
食用とするには色々と手をかけてやる必要がある。

が、鱧のようにしっかりと骨切りをしてやれば、刺身や煮付け等、
美味しく食べることが出来るそうだ。

なんだか、正にこの上人の人生を象徴するような魚である。

美味らしいが、正直、箸を伸ばすには少し勇気が入用だろう。


さて。
あなたは、箸を付ける方ですか?
それとも、付けられる方ですか?


(この稿、了)


(付記)
ちょうど、少し前の「美味しんぼ」(ビッグコミックスピリッツ
不定期連載中)に、このヨロリが取り上げられていた。
別にそれをもって、シンクロニティとも思わないが、まあそうした
偶然も在る、ということで。



言わずと知れた、文章の達人の手になる補陀落渡海の記。
上人が、如何に思い悩み、あるときは悟りを得、またその翌日には
それが覆り…と、七転八倒した魂の叫びの記。
補陀落渡海記―井上靖短篇名作集 (講談社文芸文庫)
井上 靖
講談社

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補陀落について、もっと詳しく知りたい方は…。
観音浄土に船出した人びと―熊野と補陀落渡海 (歴史文化ライブラリー)
根井 浄
吉川弘文館

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