活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

譲れない思い■KAGAYA監督トークショーinわかやま館(その5)

2011-12-04 00:00:48 | 宇宙の海

日時:平成23年8月20日(土) 午後2時~
場所:わかやま館1Fイベントホール
主催:みさと天文台友の会
テーマ:「星への憧れ-宇宙と神話の世界-」
画像提供:@j_pegasus(わかやま館元シアターディレクター村田氏)

<Atention>
 このレポートは、KAGAYA監督のトークショー、ならびにその前後に
 監督に対してブログ主が行った質問等を再構築しております。
 内容に関して事実と齟齬等有った場合には、その責は当然ながら
 全てブログ主に帰します。



■譲れない思い

KAGAYA監督に、僕が不躾を承知の上でお伺いした、

「作品を創作する際に、どのようにして制作費を手当しているのか」

という質問の回答を書く前に。

なぜ、僕がその点について知りたかったのかについて、もう少し
きちんと言及しておきたいと思う。


先にも、軽く触れたが。
「HBTTE」を監督された上坂監督の場合。

「HBTTE」の製作に当たって、”ご自身でハヤブサを描いた映像
作品を創りたい”という思いを原動力にして、その実現に向けて
様々な取り組みを行なっていかれたが。

その道程は決して平坦ではなく、様々な障壁にぶつかっては、
それに対する対策を疾走しながら考えるといった状況だった。


その障壁の中でも最たるものの一つが、製作資金の確保である。

その問題をクリアすべく。
上坂監督は、大阪市立科学館やJAXAを加えた製作委員会の設立に
より出資者(社)を確保したのであるが…。

その代償として、自分の作りたい作品と、委員会に受け入れら
れる作品との間に発生するギャップ。その、両者の落とし所を
どうするのか?という問題に直面することとなった。

そもそも。
上坂監督率いる株式会社LiVEが事業として主に取り組んでいた
CMやゲームにおけるCG製作の場合には、こうした作品を作って
欲しいというスポンサーからのオーダーの中で、どれだけ自分の
オリジナリティをそこに入れ込ませることができるかが勝負だった
と思う。

それが、「HBTTE」の場合には真逆となる。
つまりは。
自分らしさを貫きながら、そこにどれだけ他者の思惑を共存させて
いくか。である。

でも、それは並大抵ではない。
迎合してしまう方がはるかに楽なことは、容易に想像がつく。
我を張り通した挙句、思惑が違うとしてスポンサーが出資を取り
下げてしまえば、元も子もないのだから。

そのリスクに配慮すれば、自己実現を主張する比率を少し落として
でも、まずは作品を完成させることに主眼を置くべきではないか。

クリエイターは、作品を創り上げてなんぼである。
だからこそ。
まず、どんな形であれ創り上げさえすれば。
その作品が多くの人の目に触れることにより、次の機会を得る
こともより容易となるかもしれない。

そのような”荒野の誘惑”に上坂監督も何度も乗りかかりそうに
なったかもしれない。

それでも。
LiVEという社名に篭められた思いのとおり、自分自身の中に
”今”ある思いを描ききるために、上坂監督は踏みとどまり。

その実現に向けた戦略を講じることは元より、なによりも上坂監督
ご自身が不偏の思惟を持ち続けることにより、やがて周囲の同意や
賛同を集めてゆき、最終的に意志を完貫する形で作品を完成させる
ことができたのである。

その道筋が、とてつもなく峻厳で、一歩足を踏み間違えればたちまち
奈落の底へ落ち込み二度と浮上できないような…そんな過酷なもので
あったことは、想像に固くない。

もちろん、上坂監督はそうした労苦を言葉には出されないけれども。

今年5月に行われた上坂監督の講演会では、監督のそうした思いや
自負の一端を伺いしることが出来たと、僕は思っている。

#もっとも。
 現在、週刊コミックモーニングで連載中の「デラシネマ」では、
 昭和二十年代の映画制作現場という邦画にとってはある意味
 もっとも活力に満ちていた時代を描いているが、そこに登場する
 映画監督はどれも一筋縄ではいかない、外圧等には簡単に屈し
 そうにもない偏屈者揃いである。

 自らの想像力を糧に作品を創造するクリエイターという存在は、
 本来がそうしたものなのだとも思う。
 (良い意味でも悪い意味でも、映像職人とも呼べる人がいる
  こともまた、事実であろうが) 


それでは。
同じCGクリエイターとして、KAGAYA監督の場合はどうなのだろう?

あの「銀河鉄道の夜」を創り上げるにあたっても、同様の葛藤や
相克がKAGAYA監督の中に渦巻いていたのだろうか?

そして、それらとKAGAYA監督はどう折り合いをつけ、作品を生み
出しているのだろう。

その思いは、ずっと疑問として僕の中にあった。

そして、この日。
ちょうどトークショーの中で、KAGAYA監督から作品創作に関する
様々な話を伺った、その高揚感もあって。

不躾であることは十分に承知しながらも、先述の質問を監督にぶつけ
させていただいた次第である。


無論、いきなりこのような話を振らせていただいた訳ではない。
というよりも、そうした突っ込んだ話をこの日に出来るなんて、
当初は思いもしていなかった。

トークショーとそれに続くサイン会の終了後に、KAGAYAグッズの販売
コーナーを寛いで散策されている監督にお声がけさせていただいて、
映像制作におけるPC環境(MACとWINDOWSの使い分け方等)のお話を
しているうちに、先の質問をどうしてもしてみたくなったのである。



果たして。
そこで、KAGAYA監督が僕に語っていただいたお話は、以下のような
切り出しで始まった…。


「僕は、作品を制作する際に、スポンサーは募(つの)らないのです。」

その理由は、それにより制約を受けることが嫌だから。というもの。
まさに、上述した上坂監督が「HBTTE」で直面した問題を回避するため
のものである。

「例えば、制作期日について」と、監督は言葉を続けた。

いつまでに作品を仕上げなければならないと、外堀から埋められるような
形で制約が生じることは、自分としては望ましくないのです。

いつもと同じく穏やかな表情で、KAGAYA監督は僕にそう語られた。
(表現は若干異なると思うが、趣意は上記の通りである)

たしかに。
劇場・ホールや配給サイドがスポンサーとなった場合には、出資を
受けて通常は期日を定めて作品を提供する義務が生じる。

金は出すが完成の期日は問わないので、よい作品が出来たと思った
時点で連絡しなさいというのであれば、それは既にスポンサーでは
なくパトロンであろう。

金も出さず、単に作品ができたら教えて欲しいというのであれば、
作品への関与の度合いにおいて、もはや一般のファンと何ら変わる
ところは無い。


上記の例では、完成のスケジュールを引き合いに出したが。
それ以外にも、作品の質や方向性。ビジネス展開。その他、様々な
面において、そうしたスポンサー(出資者)という存在が作品に
与える影響には、正負の両面があると思う。

そして、KAGAYA監督は。
その負の面により、作品が。引いては自分が影響を受けることを
極力回避したいという思いをお持ちなのだろう。


それにしても…。
スポンサーを持たないということは、作品が完成し、かつそれが
上映されるまで、無収入となることを意味する。
そうしたデメリットも、あえて享受するということになるが?

という、言わずもがなの僕の更問に対しても。

当然、そうしたリスクも踏まえた上で、今の自分のスタイルを選択
したのですと、こともなげに語る監督。


このやりとりには、本当に考えさせられた。

そうした、言わば自主映画のような制作を歴(へ)て、尚。
3年で観客動員数が百万人を超えるような作品を創り上げられた
ということが意味することについてである。

(この稿、続く)



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