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その他、音楽編、自然編も有り。

正義のかたち  死刑:日米家族の選択 ④

2009-02-18 23:05:08 | 活字の海(新聞記事編)
2009年2月18日(水) 毎日新聞 朝刊社会面 記者:小倉孝保

サブタイトル:遺族、許し、慰問する被害者の母
       憎しみの人生に疑問

※ このコラムの元記事は、こちらで読めます


今回、舞台をアメリカに移して登場するのは二人の遺族。

一人目は、娘を殺された母親。
恩讐の彼方に被告を許すまでに至った12年間の心の軌跡の概略が
まず紹介される。

もう一人は真逆で、州法の改正により死刑制度が無くなったため、
犯人の死という法の名の下の”正義”の遂行が出来なくなったことに、
憤りというよりも絶望を隠しえない、両親を強盗に殺害された娘。


異なる二つの意見が紹介されたことは、アプローチとしては常道ながら
好感できる。

一度は止まった針が動き出した前者と、時計が止まったままの後者。
#という表現も、十分に作為的なのだが。

どちらが前向きか?という点については、サブタイトルにも有るように、
毎日新聞のスタンスとしては、やはり前者を支持していることが明白に
見て取れる。


それでは、人はすべからく皆、赦し合うべきであり、赦し合えるもの
なのだろうか?

この答えの問いは、無きに等しい。

事件の数だけ存在すると言っても良い多様性が、一律的な答えの存在を
否定する。

それは、やむを得ないであろう。

昨日のコラムにも書いたが、被害者にも加害者にも、様々な可能性が
有ったことと同様に、事件が発生する理由もまた様々なのだから。

で、あれば。
個々の事件を忖度し、その内容を吟味した上で、もっともふさわしい
刑罰を定めることが裁判の目的の筈であるならば。

その選択肢から、敢えて死刑を除くことの必要性は有るのか?

それは、人が人の命を奪うことの是非論に行き着かざるを得ない。

勿論、殺人は罪である。
問題は、その規範の適用範囲が、当の殺人を犯したものにも適用され
得るか? ということだ。

適用するとした場合には、人を殺めても自らは殺められることは無い
ことになり、適用外とする場合には、殺人犯は社会的規範(基本的人権の
生存権)の適用外であることとなる。

ただ、本来刑罰そのものが、その理念が犯人の更正を目指す目的刑であれ、
犯人が犯した罪と同じ負荷を担わせる応報刑であれ、基本的人権を侵害
するものであれば、命のみを別枠とすることの理屈をどうつけるのか?

大きな、大きな命題ではある。

(この稿、了)


(付記)
それにしても、この連載。気を持たせすぎる。
いつになったら、明白な主張の方向性を提示するのだろう?

このまま、情景描写に徹して、婉曲な意向の表明のままに連載を終える
のであれば、それはそれで問題だと思うのだが…。

少なくとも、こうした連載は事件記事と異なり、社説と同様に記者の、
あるいは社の方針なり意見(オピニオン)を明示すべきだと思うから
である。

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