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正義のかたち  死刑:日米家族の選択 ⑤

2009-02-19 22:41:07 | 活字の海(新聞記事編)
2009年2月19日(水) 毎日新聞 朝刊社会面 記者:小倉孝保

サブタイトル:遺族、死刑囚、文集作り遺族に償い
       購読料生かし奨学金

※ このコラムの元記事は、こちらで読めます


 この連載記事に関するコラムは、恐らくこれで最後となる。
 理由は何度と無く言及しているとおり、これまでどおり情景描写が
続くだけであれば、そこから発展できる議論は出来ないからである。


 今回は、遺族のために奨学金活動を続ける死刑囚と、家族を殺され、
その奨学金を受注する遺族が描かれる。


 殺す側にも、殺される側にも。
 様々な事情が存在する。
 そのことは、昨日も書いた。

 死刑に関する問題をもう一度整理すると、大きく二つのテーマが有る
と僕は考えている。

 一つは、死刑を含む刑罰を、教育刑と考えるか、はたまた応報刑と
考えるか?という問題。

 もう一つは、量刑裁定はどのように行われるべきか?という問題。

 前者については、それぞれの国家の国民性等にも由来して決められる
べき問題であり、他国が言及すべきものではないと考えている。

 アムネスティ等の団体が、今だ死刑制度を保持する国家に対して
不快感を表明することは自由だが、だからといってそれを見直させる
権利は、ひとえに当事国の国民にのみ存する。

 そこを履き違えると、それこそ一面的な正義の押し売りになってしまう。

 フランスのように、世論調査では国民の過半数が死刑制度の廃止に
反対しながら、政府が押し切ったような事例もある。

 しかしながら、その政府を選んだのは国民なのだから、致し方ない。
 国民に不満が高ければ、次の選挙で政権を交代させるような選択を
すれば良い訳だから。

#勿論これは、あくまで合法的に死刑廃止の手続きが踏まれた、という
 ことが前提での話しであるが。


 もう一つの問題。
 これは、非常に難しい。
 
 現在の日本の裁判制度では、地裁による一審から最高裁による控訴審
まで、複数のプロセスが存在する。

 そのプロセスの多段構造により、万一の誤審が混入しても、見直しを
する機会を最大限設けようというものであるが、それでも誤審を全く
無くすことは、確率論的にも不可能である。

 まして、過去何度かあったように、警察その他の組織による恣意的な
情報や証拠の操作が有った場合には、尚更である。

 今回、裁判員制度が設けられたことは、誤審の解消というよりは、
裁判の結果である判決を、少しでも国民感情と接近させることがその
目的である。

 確かに、複数の目線が裁判の吟味を行うことにより、裁判の精度は
多少向上するかもしれない。

 が一方、感情論的な意見が議論を先導してしまう可能性も十分にある。
 
 裁判員のメンバー構成(年齢、性別、職業、経歴、経済状態、その他の
要素を考えたとき、全ての裁判に同じようなレベルのメンバーを揃える
ことは、不可能である)によっても、当然判決の方向性は異なってくる
だろう。

 それを是正するために裁判官2名も加わる訳だが、どこまでレベルの
均質を担保出来るものなのか…。

 いずれにしても、裁判員制度の導入が誤審の混入を防ぐ決定打とは
なり得ないことは明白であろう。


 この事実を前にしたときの、死刑反対論者の代表的な主張は…。

 万が一の確率でも、無実の罪に着せられた人を殺してしまう可能性が
有る限りは、死刑制度には反対だ。

 生きていさえいれば。

 いつか再審請求が通って、それがきっかけで事件の再検証が為される
かもしれない。

 あるいは、別の事件で逮捕されたものが、自分が真犯人だと名乗り出る
かもしれない。

 はっきりしているのは、いくら無実と判っても、死刑になってしまった
後では、取り返しがつかないということである…。



 それもまた、正しいものの見方である。

 だが。
 そもそも、人の営みに完璧な無謬性など、存在し得ない。
 更に、死刑の廃絶によって、社会的な負担はどんどんと増大していく。

 それは、仮釈放なしの無期懲役囚の増加による維持費の増加であったり、
あるいは犯罪再犯率の数字が示すとおり、世に出てくる元囚人の増加に伴い
犯罪発生率も増加することによる負担かもしれない。

 そうしたリスクの増加も全て俎上に載せて議論した上でないと、軽々しく
死刑廃止なんぞと声を上げて欲しくはない。

 感情論だけの議論には、もう辟易だから。

 この、毎日新聞の連載に対しても、個々の事例だけを取り上げた感傷的な
事例紹介の羅列を続けるのではなく、きちんとしたデータに基づく議論が
出来るような切り口からのオピニオンを、切に願うものである。

 もし、そうした意見定義が為されるようであれば。
 また、このコラムで取り上げたいと思う。

 この問題について、定期的に取り上げ続けている毎日新聞だからこそ、
期待していう苦言である。

(この稿、了)



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