北国にて
海に降る雨や恋しき浮身宿 芭 蕉
『曾良随行日記』によれば、七月二日新潟へ着く前日は雨で、特に夜は「甚強雨ス」というような天候であり、着いたその日は「一宿ト云(いう)、追込宿之外は不借(かさず)。大工源七母、有情(なさけあり)、借(かす)。甚持賞ス」という情況であった。
海の面に降りそそぐ雨は、見も心も滅入るようにわびしく、旅の辛さが身に沁みたにちがいない。その夜、大工源七の母あたりから、浮身宿(うきみやど)の話を聞いたのであろう。
旅中、女性のやさしさに接することもなく来て、いつしかきざしはじめていた一種の飢餓感に、越(こし)にあると聞いていた浮身宿のさまが偲ばれたのであろう。
旅商人と遊女との一月(ひとつき)ほどの語らい、そういう仮の語らいが短ければ短いだけ、あわれ深く芭蕉には感じられたに違いない。
『おくのほそ道』では、芭蕉のこのような心の傾きは、やがて市振の章で一つのかたちを与えられるのである。
「浮身宿」については、『藻塩草』に「越前・越後の海辺にて、布綿等の旅商人、逗留の中女をまうけ、衣の洗ひ濯ぎなどさせて、ただ夫婦のごとし。一月妻といふ類ひなり。此の家を浮身宿といふなり」とある。
この句は、季語がなくて「雑」の句である。『去来抄』の「恋・旅・名所・離別等、無季の句ありたきものなり」ということばからすれば、恋の句となろう。ただよう情感は、秋を感じさせるようなしみじみした趣である。
「海に雨が降りそそいでいる。この雨のわびしさを見ていると、伝え聞く
浮身宿での女の生き方が今さら哀しく、何か心ひかれる気持で、しきり
に思い出されてくる」
日光の人より賜ふ自然生 季 己
海に降る雨や恋しき浮身宿 芭 蕉
『曾良随行日記』によれば、七月二日新潟へ着く前日は雨で、特に夜は「甚強雨ス」というような天候であり、着いたその日は「一宿ト云(いう)、追込宿之外は不借(かさず)。大工源七母、有情(なさけあり)、借(かす)。甚持賞ス」という情況であった。
海の面に降りそそぐ雨は、見も心も滅入るようにわびしく、旅の辛さが身に沁みたにちがいない。その夜、大工源七の母あたりから、浮身宿(うきみやど)の話を聞いたのであろう。
旅中、女性のやさしさに接することもなく来て、いつしかきざしはじめていた一種の飢餓感に、越(こし)にあると聞いていた浮身宿のさまが偲ばれたのであろう。
旅商人と遊女との一月(ひとつき)ほどの語らい、そういう仮の語らいが短ければ短いだけ、あわれ深く芭蕉には感じられたに違いない。
『おくのほそ道』では、芭蕉のこのような心の傾きは、やがて市振の章で一つのかたちを与えられるのである。
「浮身宿」については、『藻塩草』に「越前・越後の海辺にて、布綿等の旅商人、逗留の中女をまうけ、衣の洗ひ濯ぎなどさせて、ただ夫婦のごとし。一月妻といふ類ひなり。此の家を浮身宿といふなり」とある。
この句は、季語がなくて「雑」の句である。『去来抄』の「恋・旅・名所・離別等、無季の句ありたきものなり」ということばからすれば、恋の句となろう。ただよう情感は、秋を感じさせるようなしみじみした趣である。
「海に雨が降りそそいでいる。この雨のわびしさを見ていると、伝え聞く
浮身宿での女の生き方が今さら哀しく、何か心ひかれる気持で、しきり
に思い出されてくる」
日光の人より賜ふ自然生 季 己