壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

夜鷹蕎麦

2008年12月18日 20時34分07秒 | Weblog
 近頃、聞かれなくなった音の一つに、チャルメラの音がある。
 星の光も凍るかと思われる冬の夜に、胸を締め付けられるような哀調を帯びて、“夜鷹蕎麦”のチャルメラの音が響いてくる。
 町の家並みの窓や戸の隙間からは、暖かそうな灯の光がもれている。なかには、もうすっかり寝静まった家さえあるようだ。
 人通りも絶えた冬の夜の町を、屋台を引きながら行く夜鷹蕎麦のチャルメラの音は、商う人の生業の辛さそのまま訴えるかのように侘びしく切ないものである。

 夜鷹蕎麦を歳時記で見ると、次のようにある。
  日本人が一日二食からようやく三食になりはじめた元禄以降、荷台をかつい
 で夜にそばを売る商売ができた。ゴザ一枚抱えて夜の商売をする夜鷹と呼ばれ
 た娼婦に由来を求めた説と、鷹匠が右手で食べ、左手には鷹をつかまらせた説
 とがある。夜鷹蕎麦に対する夜鳴うどんは関西のもの。
                  (角川春樹編『現代俳句歳時記』より)

 冬の夜なべや受験勉強などに夜更かしをしている時、このチャルメラの音を聞くと、つい窓をあけて、一杯の熱いうどん(いや、ラーメンだったかもしれない)を呼びたくなるものであった。「あった」と過去形で書いたのは、今はカップ麵などの簡単なインスタント食品が手元にあり、夜鷹そばの用がなくなり、屋台を引いて歩く夜鷹蕎麦そのものを見かけなくなったからである。

        みちのくの雪降る町の夜鷹蕎麦      青 邨
        灯のもとに霧のたまるや夜泣蕎麦     鴻 村

 しかし、その昔を思うと、夜鷹蕎麦の本当の味は、取り寄せた暖かい家の中では味わえないものであった。
 カンカンに凍てついた夜道の、用事で遅くなった帰り道など、夜鷹蕎麦の行燈の灯というよりは、コンロをパタパタ煽いで散らしている火の粉の暖かさを目当てに、屋台に首を突っ込み、もうもうと上がる湯気の中で、出来立ての熱い奴をふうふう吹きながら啜り上げる味、これが本物であった。

        女患らの夜泣うどんにさざめくも     波 郷

 落語に「刻(とき)蕎麦」という面白いネタがあるが、関西の夜鳴うどんに相当するのが夜鷹蕎麦であった。夜鷹という娼婦が、夜道で客待ちをしているところから付けられた名と言われるが、夜鳴いや、夜泣そば・夜泣うどんの方が人情味が感じられる。


      星の降る面影橋の夜泣そば     季 己