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壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「俳句は心敬」 (52)幽玄体④

2011年03月23日 14時59分27秒 | Weblog
 では、心敬の幽玄の歌とは、どのようなものでしょうか。その例歌で検討してみましょう。

        秋の田のかりほの庵の苫をあらみ
          わが衣手は露にぬれつつ     天智天皇

 天智天皇の歌は、『百人一首』にもある有名な歌ですが、天智の作ではありません。しかし、天智作ということに、かなり古い時代からなっていたのは、この歌を、天智が農民の労苦を思いやってうたった歌と見なしたからでしょう。心敬もそこに感動を覚え、幽玄と見たのです。

        ささの葉はみやまもそよに乱るなり
          われは妹おもふ別れきぬれば     人 丸

 この歌は、人麿が妻に別れて石見国より上るときの歌で、妻と別れて旅立つ直後の、心の奥にわき起こる、やるせない恋慕の情を幽玄と見たのでしょう。

        わびぬれば今はた同じ難波なる
           みを尽くしても逢はんとぞ思ふ    元良親王

 これも『百人一首』所収の歌で、激しい恋の思いを歌いあげた一首ですが、背後には自分の恋を、いわば客観的に眺め、悲壮感をいっそう鮮やかに定着しようという心の動きも感じられます。このあたりを心敬は幽玄と見たのでしょう。

        わすれなむ世にも越路のかへる山
          いつはた人に逢はんとすらん     伊 勢

 伊勢の歌は、遠くへ旅立つ者が、離別に際していだく都恋しさと、別れた都人に自分が忘れられたくないという、切実な情を幽玄と見たものと思います。

        山里を霧のまがきのへだてずは
          をちかた人の袖は見てまし     曽禰好忠

 人の来ない山里。せめて遠くを行く旅人でも見て慰もうものを、それさえも霧が無常に隠してしまう。それを嘆く、愛惜の情を幽玄と見たのでしょう。

 幽玄体の例歌をあげたあとで、心敬は、「心・言葉すくなく寒くやせたる句のうちに、秀逸はあるべし」と述べています。
 つまり、「句の内容が盛りだくさんではなく、言葉も簡潔で、寒いような感じのする、ひきしまった句の中に、秀逸な句がある」というのです。
 心敬の理想とした歌は、しみじみとした情趣が、人間の精神の中核に染み入るような趣を持っているような歌と考えてよいと思います。それは同時に、心敬の理想とした句が、いかにあるべきかをも示しているわけです。

 ちなみに、「しみじみとした情趣が、人間の精神の中核に染み入るような趣を持っている」作品を生み出す画家は、菅原智子さんだと思います。
 先日、東京銀座の「画廊宮坂」で開かれた『菅原智子個展』で、「幽玄」の世界にどっぷりとつからせていただきました。その中で特に三点の小品に、強く幽玄を感じ、手元に置くことにしました。菅原さんの作品には、心敬のいう幽玄、「おもいやる心・恋慕の情・悲壮感・切実な情・無常・愛惜の情」などが感じられ、惹きつけられずにはおられません。


      芽吹かんとする心あり地震(なゐ)つづく     季 己