壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

『去来抄』12 続・振舞や

2011年12月01日 16時10分40秒 | Weblog
        振舞や下座になほる去年の雛     去 来

 ――芭蕉はじめ一門の連中は、上五を非常に重視した。そのため、あらかじめ思いつかれた七・五について、どんな上五を置いたらよいか、と俳人たちが議論する場面が、『去来抄』にしばしば出てくる。上五を誤れば、いくらいい七・五を思いついても、句は死んでしまうことが多い。
 
 しかし、この一条の眼目は、「私に思うところがあって作ったものである」の言葉に尽きる。つまり、「思うところ」の形象化である。
 『三冊子』(服部土芳著・俳論書)に、
        「常風雅にあるものは、思ふ心の色物となりて、句姿定まるものなれば、
         取物自然にして子細なし。心の色うるはしからざれば、外に言葉を工む。  
         是すなはち常に誠を勤めざる心の俗なり」
        (常に俳諧に心をひたしている者は、内なる情と外なる物とが一体となっ
         て、句姿が定まるから、対象はありのままに捉えられ、私意を加えたも
         のとはならない。心が純粋でないと私意がはたらくから、言葉を工みに
         飾ろうとする。これはつまり常に風雅の誠を求めない心の俗によるもの
         である)
との一節が見える。この「思ふ心の色」は、「思うところ」につながるものであろう。
 同じ『三冊子』には、
        「物に入りて、その微の顕れて情感ずるや、句と成る」
        (物の中へはいってゆき、物の本質に触れることによって作者の感動が
         生起し、それが句の実体となる)
との一節も見える。
 土芳の二つの言説は、正反対の作句の姿勢を示していよう。
 一つは、「思うところ」が対象を見出す場合であり、もう一つは、「物=対象」によって「情」が感動させられる場合である。両者に共通して庶幾されているのは、「自然(じねん)」すなわち、作為排除の姿勢である。
 この二つの作句姿勢は、今日の作者においても、そのまま当てはまろう。内面を対象によって形象化する場合と、対象から誘発された感動を形象化する場合とである。
 いずれの作句姿勢も認められるわけである。作者によって、自らの資質に従って作句すればよいのであるが、同一作者においても、ケース・バイ・ケースということもあろう。

 では、『去来抄』のこの一条における「思うところ」の、具体的な内容は如何なるものであろうか。それは不玉宛の手紙で知ることが出来る。次のように記されている。
        「家ニ久シキ人ノ衰(おとろえ)テ、時メク人ノ出来(いでく)
         ルハ、古今ノ習ナリ。今日、雛ニ依(より)テ感吟ス」
 「思うところ」の具体的な内容は、このようなものであったのである。
 「栄枯盛衰」の観の形象化である。それを「雛ニ依テ感吟」したわけである。土芳流に言えば、
「思ふ心の色」が「雛」、つまり、物を見出したのである。
 ただ、去来は、上五の決定で悩んでいる。去来がねらっていたのは、ただ雛やその時季の季節感を詠むことではなく、そこに世の流れにともなう人の盛衰を、二重写しに描き出すことだった。
 こうした句は、うまくゆけば深い句が生まれるが、やりそこなうと観念的な理屈に落ちてしまうのがオチである。下にある作者の意図が見え見えでもいけないし、見えなければ、読み手に理解されない。置き方次第で、句の味わいや奥行きが左右される。その兼ね合いが難しいのだ。去来が、あれこれと頭を悩ませたのも無理もない。

 芭蕉が、「それでは信徳のような句になってしまうよ」と言っているのは、
        人の代や懐にます若ゑびす     信 徳
という句が、人がみな福の神の徳にあずかりたいと思っているのを、「人の代や」と置いて、とかく人の代とはそんなもの、といった通念で説明したようになってしまっているからだろう。
 当時の芭蕉は、そのような持って廻った理屈をこねて句を作るのを抜け出そうとしていたのだ。去来の上五「振舞や」は、そのすれすれくらいのところにあると思う。
        「新しい雛人形が上座、去年の雛人形が下座に着座しているよ。
         これがまあ、分を心得た雛人形の振る舞というものか」
というのが一句の意であろう。


      ことごとく身体髪膚 冬に入る     季 己