壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

氷室

2009年07月31日 20時50分28秒 | Weblog
          風流亭
        水の奥氷室尋ぬる柳かな     芭 蕉

 芭蕉は、「おくのほそ道」の旅の途中、大石田から出羽の最上の庄、つまり新庄に出た。そこの風流(ふりゅう)の宅で詠じたもので、主人風流に対する挨拶の意を含んでいる。

 「氷室尋ぬる」は、眼前の流れが非常に清冽だったので、この源に氷室でもあるのだろうと想像し、さらに一ひねりして「尋ぬる」(尋ねてゆく、の意)と仮構したものであろう。謡曲の「氷室」を心に置いた発想かも知れない。
 謡曲「氷室」は、亀山の院に仕える臣下が、丹波の氷室に着き、氷室守(ひむろもり)に会って氷室の謂われを問い尋ね、氷調(ひつき)の祭を見るという構成である。
 芭蕉は、風流を由緒ある氷室守と見立て、氷室についての謂われを問う体になぞらえて、謡曲的口調を生かして発想したもので、それが風流への挨拶になっているのである。

 「風流亭」は、風流の家で詠んだ句、の意。風流は、新庄の俳人で、本名は渋谷甚兵衛。
 「水の奥」は、水の流れ湧く奥、の意で、水の湧き出る源のこと。
 「氷室」が夏の季語、「柳」は春の季語である。この句の詠まれたのが、元禄二年六月三日前後と考えられるので、「氷室」が季語であろう。
 ただ現代では、「氷室」が仮構のもので、「柳」が眼前のもの、そのうえ「柳かな」と切字を伴っているので、「柳」が季語、といわれても仕方なかろう。
 「氷室」は、古くは山陰の日の当たらぬ所に穴を掘り、蕨のほどろなどで氷をかこったもので、夏まで雪や氷を保存する設備である。

    「この柳かげを清らかな水が流れていて、なんとまあ涼しいことだろう。
     清冽な水の流れくる源に、さだめし氷室でもあるのだろう。なんとなく
     訪れてみたい気がしてくる」


      向かひあひ氷苺の午後三時     季 己