寒い一日だった。きょうも師走の寒さだったという。
芭蕉が亡くなった元禄七年(1694)十月十二日も、こんな寒さであったのだろうか。今日は、旧暦の十月十五日……。
うづくまる薬の下の寒さかな 丈 草
これは、元禄七年十月、「師の病 篤し」との知らせに、大津から大坂に駆けつけた丈草が、芭蕉の臨終前夜につくった夜伽の句である。「夜伽の句」は、寝ずの看護をテーマとした句、ということ。
『去来抄』には、
芭蕉先生は、難波の病床で弟子たちに夜伽の句を作るようすすめて、
「今日からは、わしが死んだつもりで自力で句を作ってみよ。一字たり
とも相談してはならぬ」とおっしゃった。
弟子たちは、ああだこうだといろいろ考えて、多くの句を詠んだが、
ただ、丈草のこの句だけ、「丈草、できているぞ」とおっしゃった。
とあり、ひとり丈草のこの句だけが、芭蕉の賞賛を得たことを伝えている。
「わしが死んだつもりでつくってみよ」と、臨終の床にある当人が言う。これには、弟子たちも鬼気迫るものを感じ、緊張もしたことだろう。
類ない天賦の才に恵まれた実作者と同時に、指導者としても最後まで、芭蕉は、執念を燃やし続けていたのである。
ことに、「一字たりとも相談してはならぬ」との言からは、日ごろから、一字一句、かなり木目細かな指導が行なわれていたことが、窺い知れる。まさに理想的な主宰者ということができる。
このとき詠まれた句は、元禄七年に刊行された其角の『枯尾花』によって知ることが出来る。次の七句である。
うづくまる薬の下の寒さかな 丈 草
病中のあまりすするや冬ごもり 去 来
引張てふとんぞ寒き笑ひ声 惟 然
しかられて次の間へ出る寒さかな 支 考
おもひ寄夜伽もしたし冬ごもり 正 秀
くじとりて菜飯たかする夜伽かな 木 節
皆子なりみのむし寒く鳴き尽す 乙 州
この中で、丈草の「うずくまる」の一句を「丈草、できているぞ」と評したというのである。この言葉は何を意味するのか。丈草の句と他の句とでは、どこが違うのか。芭蕉の病状からいって、去来をはじめ一座の人々は、質問することを控えざるを得なかったであろう。
「うづくまる」のは、ただ寒さのためばかりではなかろう。むしろ思い屈するゆえの姿勢にほかならない。薬香のただよう傍らを、身をかがめて、非常に恐れおののくおのれの姿に、うちひしがれた思いに沈みながらも、ひたすら師の回復を祈る真情を托したもので、去来も「死の床にある先生を看病するという緊急のときには、まさにこのような感情が起こるものだ。よい景をさがすいとまなどあるはずがない。なるほど、こういう場における句というのは、こうあるべきものだ」と嘆賞している。
この句にいう「薬」は、『去来抄』には「薬缶」となっているが、いずれにしても句意は変わらない。薬は、芭蕉が飲む煎じ薬のこと。
当番になった丈草は、煎じ薬が火鉢か土間の火にでもかけてあるのを、師の床の近くにいる弟子たちとは少し離れて、じっとしゃがんで見ていたのであろう。
身体をかがめ、煎じ薬の入った薬缶を見つめていると、じわじわと寒気が身にしみこんでくる。この「寒さ」は、気候とも師を失う悲しみともつかない、言うに言われぬ寒さであったろう。
ひたすら師を案じながら薬を煮る自分をそのまま詠んで、百の説明にもまさるしみじみとした情感がある。ここに余分の技巧を介在させたら、かえって素直な心情が濁ってしまう。夜伽の姿そのままなるがゆえに、句が生きている。
丈草の句以外は、一様に、形象化するための何らかの工夫がある。丈草の句は、まさしく“その時、その場”に臨んでの真情吐露の作品なのである。
芭蕉の「丈草、出来たり」は、このような意味での、生前最後の、弟子の句への讃辞だったと思いたい。
日輪の水をはなるる寒さかな 季 己
芭蕉が亡くなった元禄七年(1694)十月十二日も、こんな寒さであったのだろうか。今日は、旧暦の十月十五日……。
うづくまる薬の下の寒さかな 丈 草
これは、元禄七年十月、「師の病 篤し」との知らせに、大津から大坂に駆けつけた丈草が、芭蕉の臨終前夜につくった夜伽の句である。「夜伽の句」は、寝ずの看護をテーマとした句、ということ。
『去来抄』には、
芭蕉先生は、難波の病床で弟子たちに夜伽の句を作るようすすめて、
「今日からは、わしが死んだつもりで自力で句を作ってみよ。一字たり
とも相談してはならぬ」とおっしゃった。
弟子たちは、ああだこうだといろいろ考えて、多くの句を詠んだが、
ただ、丈草のこの句だけ、「丈草、できているぞ」とおっしゃった。
とあり、ひとり丈草のこの句だけが、芭蕉の賞賛を得たことを伝えている。
「わしが死んだつもりでつくってみよ」と、臨終の床にある当人が言う。これには、弟子たちも鬼気迫るものを感じ、緊張もしたことだろう。
類ない天賦の才に恵まれた実作者と同時に、指導者としても最後まで、芭蕉は、執念を燃やし続けていたのである。
ことに、「一字たりとも相談してはならぬ」との言からは、日ごろから、一字一句、かなり木目細かな指導が行なわれていたことが、窺い知れる。まさに理想的な主宰者ということができる。
このとき詠まれた句は、元禄七年に刊行された其角の『枯尾花』によって知ることが出来る。次の七句である。
うづくまる薬の下の寒さかな 丈 草
病中のあまりすするや冬ごもり 去 来
引張てふとんぞ寒き笑ひ声 惟 然
しかられて次の間へ出る寒さかな 支 考
おもひ寄夜伽もしたし冬ごもり 正 秀
くじとりて菜飯たかする夜伽かな 木 節
皆子なりみのむし寒く鳴き尽す 乙 州
この中で、丈草の「うずくまる」の一句を「丈草、できているぞ」と評したというのである。この言葉は何を意味するのか。丈草の句と他の句とでは、どこが違うのか。芭蕉の病状からいって、去来をはじめ一座の人々は、質問することを控えざるを得なかったであろう。
「うづくまる」のは、ただ寒さのためばかりではなかろう。むしろ思い屈するゆえの姿勢にほかならない。薬香のただよう傍らを、身をかがめて、非常に恐れおののくおのれの姿に、うちひしがれた思いに沈みながらも、ひたすら師の回復を祈る真情を托したもので、去来も「死の床にある先生を看病するという緊急のときには、まさにこのような感情が起こるものだ。よい景をさがすいとまなどあるはずがない。なるほど、こういう場における句というのは、こうあるべきものだ」と嘆賞している。
この句にいう「薬」は、『去来抄』には「薬缶」となっているが、いずれにしても句意は変わらない。薬は、芭蕉が飲む煎じ薬のこと。
当番になった丈草は、煎じ薬が火鉢か土間の火にでもかけてあるのを、師の床の近くにいる弟子たちとは少し離れて、じっとしゃがんで見ていたのであろう。
身体をかがめ、煎じ薬の入った薬缶を見つめていると、じわじわと寒気が身にしみこんでくる。この「寒さ」は、気候とも師を失う悲しみともつかない、言うに言われぬ寒さであったろう。
ひたすら師を案じながら薬を煮る自分をそのまま詠んで、百の説明にもまさるしみじみとした情感がある。ここに余分の技巧を介在させたら、かえって素直な心情が濁ってしまう。夜伽の姿そのままなるがゆえに、句が生きている。
丈草の句以外は、一様に、形象化するための何らかの工夫がある。丈草の句は、まさしく“その時、その場”に臨んでの真情吐露の作品なのである。
芭蕉の「丈草、出来たり」は、このような意味での、生前最後の、弟子の句への讃辞だったと思いたい。
日輪の水をはなるる寒さかな 季 己