大歳をおもへばとしの敵哉 凡 兆
――このエピソードも、上五の置き方が問題になっている。
この句、最初は、
恋すてふおもへば年の敵かな
の句形で、去来の句であったという。
この一句で理解に苦しむのが、一句の眼目である「とし(年)の敵(かたき)」という言葉の意味内容である。
従来は、「年の」の「の」は、所属を示す格助詞の「の」、つまり、「私の本」の「の」と同様と考える説がほとんどであった。では「年」とは何か。最も多いのが「命の敵」説。これはおそらく去来自身の言葉、「いまだ身命のさたに及ばず」に着眼したものであろう。
また、「年来の宿敵」などという解釈もある。これは、芭蕉の「誠に、この一日千年の敵なり」との言に注目してのものであろう。このように「としの敵」、何とも解釈しにくい措辞である。
変人は、「年の」の「の」を、主格を示す格助詞の「の」、すなわち「…ガ(年が)」と考える。そう訳さないと一句としての文章構成上、不自然だと思う。つまり、「年」を「年齢(老齢)」と解している。
では次に、「年齢(老齢)」と解して、去来の原句、信徳および凡兆の置いた上五で、それぞれの句の解釈を記しておく。
恋すてふおもへばとしの敵哉
「恋をしてしまった私にとって、わが身の老齢が、
敵のようにいとわしく思われてくる」
恋桜おもへばとしの敵哉
「桜が好きで好きでたまらないが、この老齢の身では
桜狩りもままならぬ。こんな我が老齢が、我が身な
がらも敵のように思われてくる」
大歳をおもへばとしの敵哉
「今日は大晦日。明日になるとまた一つ年齢を加える
ことになる。若い時はそうではなかったが、老齢と
なると、我が年齢ながら敵のようにいとわしく思わ
れてくる」
以上の三種類の上五の中で、信徳の置いた「恋桜」に対して、原句作者の去来は「あさま(あらわなこと・浅薄なこと)」との評価を下している。自句「恋すてふ」の「恋」は、想念の世界のものなので、老齢でも恋は可能である。事実、歌題にも「老恋」がある。しかし、「恋桜」となると「(山野を行き惑う)桜狩り」であり、肉体的な老いは、致命的となる。ストレートに過ぎ、オーバーでもあるので、それが「あさま」の評価となったものであろう。
芭蕉が「いしくも(よくもまあ)置きたるもの哉」と面白がったのは、凡兆の「大歳を」の上五であった。その結果、芭蕉は、一句を凡兆の句としてしまった。原句作者の去来としては、意外であり、釈然としないところがあったに違いない。
ちなみに、「大歳を」の句の一般的な解は、つぎのようなものである。
「大晦日にはいろいろなことが重なりあって、それを思うと、
命がちぢまる思いだ。まったく命にとっては、敵のような
ものだ」
極月の日を茫々と去来抄 季 己
――このエピソードも、上五の置き方が問題になっている。
この句、最初は、
恋すてふおもへば年の敵かな
の句形で、去来の句であったという。
この一句で理解に苦しむのが、一句の眼目である「とし(年)の敵(かたき)」という言葉の意味内容である。
従来は、「年の」の「の」は、所属を示す格助詞の「の」、つまり、「私の本」の「の」と同様と考える説がほとんどであった。では「年」とは何か。最も多いのが「命の敵」説。これはおそらく去来自身の言葉、「いまだ身命のさたに及ばず」に着眼したものであろう。
また、「年来の宿敵」などという解釈もある。これは、芭蕉の「誠に、この一日千年の敵なり」との言に注目してのものであろう。このように「としの敵」、何とも解釈しにくい措辞である。
変人は、「年の」の「の」を、主格を示す格助詞の「の」、すなわち「…ガ(年が)」と考える。そう訳さないと一句としての文章構成上、不自然だと思う。つまり、「年」を「年齢(老齢)」と解している。
では次に、「年齢(老齢)」と解して、去来の原句、信徳および凡兆の置いた上五で、それぞれの句の解釈を記しておく。
恋すてふおもへばとしの敵哉
「恋をしてしまった私にとって、わが身の老齢が、
敵のようにいとわしく思われてくる」
恋桜おもへばとしの敵哉
「桜が好きで好きでたまらないが、この老齢の身では
桜狩りもままならぬ。こんな我が老齢が、我が身な
がらも敵のように思われてくる」
大歳をおもへばとしの敵哉
「今日は大晦日。明日になるとまた一つ年齢を加える
ことになる。若い時はそうではなかったが、老齢と
なると、我が年齢ながら敵のようにいとわしく思わ
れてくる」
以上の三種類の上五の中で、信徳の置いた「恋桜」に対して、原句作者の去来は「あさま(あらわなこと・浅薄なこと)」との評価を下している。自句「恋すてふ」の「恋」は、想念の世界のものなので、老齢でも恋は可能である。事実、歌題にも「老恋」がある。しかし、「恋桜」となると「(山野を行き惑う)桜狩り」であり、肉体的な老いは、致命的となる。ストレートに過ぎ、オーバーでもあるので、それが「あさま」の評価となったものであろう。
芭蕉が「いしくも(よくもまあ)置きたるもの哉」と面白がったのは、凡兆の「大歳を」の上五であった。その結果、芭蕉は、一句を凡兆の句としてしまった。原句作者の去来としては、意外であり、釈然としないところがあったに違いない。
ちなみに、「大歳を」の句の一般的な解は、つぎのようなものである。
「大晦日にはいろいろなことが重なりあって、それを思うと、
命がちぢまる思いだ。まったく命にとっては、敵のような
ものだ」
極月の日を茫々と去来抄 季 己