江戸の退屈御家人

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ローマの休日 6 ヴィッラ・アドリアーナ

2017年06月05日 10時36分29秒 | Weblog

ローマから東へ約30kmの山のふもとにチボリがある。チボリには、地下鉄PonteMnmora駅からバス行きました。イタリアの田舎にバスで行くのは大変だッた。チボリとい田舎町はまったく観光なれしていないの、分かりよくない。イタリ語がまったく通じない。その代わりに住人は大変親切で、身振り手振りで教えてもらって、やっとたどり着いた。大仕事だ。

ハドリアヌス皇帝の宮殿は見る価値がある。ハドリアヌスは、トラヤヌス皇帝までのローマ拡張政策=帝国最大の版図を現状維持に変更する政策変更をやった人であり、1つはイギリスのハドリアヌス・wallを、もうひとつは、ライン川からドナウ川を連なる リメス 防衛線を築いたのである。そうして辺境安全のため、在任中12年間にもわたり帝国領土を東西南北視察力をしてまわったのである。 そのハドリアヌスが晩年、広大な別荘を作り、旅行で思い出に残った属州や都市の名前を付けたのである。 後世の皇帝はこれにあまり興味を示さず、蛮族の襲撃以来長い間廃墟になっていたのを、1999年ユネスコの世界遺産に指定され、脚光をあびつつあるのだ。

 皇帝の別荘というより巨大な宮殿跡だ。ローマから30km離れているため、蛮族の襲撃やキリスト教徒の跡地材料利用で地上部分は消滅しても土台部分は当時そのままで残っているのが強みだ。

カノプス と言われるエジプトの神殿を模せられた人工池があり、絵家の周辺には優美なアーチやギリシャ風彫像が並べられていたとか。

大浴場の跡地。強大な天井屋根がとうかいせずに残っている。

ギリシャ語で ポイキレ と言われ彩色回廊のあった232m×97mの人工池。この周辺にも柱廊や100の小部屋という倉庫か警備兵の寝所があったと。

まだまだあるが、きりがない。広大な跡地を見て回って、余裕ができたので、次に  ヴィッラ・デステ (エステ家の別荘)にもよってみるとする。

チボリ市内へのバスに乗って、運転手に聞けば、運転手の仲間らしい男が、よく分からないが、途中で降りろといい、その右だと指さすので行ってみたら。正解であった。 ここも世界遺産で、エステの噴水は、一度は見ておいてもいい。何十年か前に来たような気がするが・・・

 

 

 

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