江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

漱石山房

2014年12月07日 20時30分25秒 | Weblog

7日日曜日は天気清朗なれど、温度低し。昨日は義弟六四歳で死去の一周忌。その後大学同期生の忘年会。いろいろの多種多様の人がいて、感心したよ。画家、劇場演出家etc

今日、皇居乾通り一般開放は今日が最後とかで、例によって大量の行列。早朝三時とか、五時とかから並んでいる人が多いとか。入り口の坂下門から出口の乾門まで700mぐらいだが、出口の乾門の先に国立公文書館がある。ここの公開展示展を見ようと出たが、今日は日曜日。現役の公務員諸君はきっと休みだと思い、方向転換。

靖国神社境内の日曜のみの市を抜け、飯田橋から神楽坂を抜ける。神楽坂は最近、とみに近代化・現代化して客寄せの視点を大事にして大きく変化している。ラテンやシャンソンを流しているゼ。色街に新しい色とつけようとしているのかも。夏には神楽坂盆踊りをやっているし。

そういう神楽坂を通り抜け、早稲田通りに入り、外苑東通りを越えたところで、「漱石山房通り」に出くわした。その先に、「漱石山房」と言って、明治40年から漱石死去の大正5年まで、ここで過ごし多くの作品を書いたところとか。昔、このベランダで漱石がくつろいでいたようだ。

この漱石山房には、高浜虚子、阿部次郎、安部能成、小宮豊隆、鈴木三恵吉、内田百聞、森田草平、寺田寅彦等の早々たる人材が集まっている。

早稲田辺りは夏目漱石の誕生と死去の地ということが分かったよ。

市ヶ谷の土手には、秋の日を浴びて現代が走っている。

 

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