江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

東京の縄文遺跡 展を見る

2021年10月12日 16時52分00秒 | Weblog
  東京都内でも縄文式遺跡が結構多くある。
それは昭和40年代の多摩ニュータウン建築を初め 横浜の港北ニュータウンの建築 さらに千葉ニュータウンの建築に伴う土地掘り起こしに伴う遺跡発掘の結果実に多くの縄文式遺跡が発見されている。これらの学術的知見の結集の結果 すごい数がある。

  江戸東京博物館で 2021縄文展をやっていた。














四谷界隈の 谷 を求めて散歩

2021年10月09日 17時28分00秒 | Weblog
 緊急事態宣言がなくなって多くの人が出歩くようになった


 土日は人の集まる所の繁華街ではなく人のいないところを散歩するのが良い。
 大人の休日倶楽部のパンフレットに 四谷界隈「谷」めぐり なる文章が載っていた。これはちょうど散歩にイイねと出かけました。
 以前 四谷は室町時代から谷があったんだと聞いたことがある。今回スリバチ学会の写真付き案内で 現地をなぞることをやってみました。

1、まず荒木町。ここは飲屋街で何度もお世話になっているところだが 谷底であったとは知らなかった。
 江戸時代美濃の国高須藩主松平摂津の守の上屋敷があった。ここは盆地になっており北側に人口の土手が築かれ 紅葉川の支流と湧水をせき止めた回遊式庭園が造営されていたようだ。池には鷹狩りに訪れた徳川家康が馬の策(むちと読む)を洗ったところから策の池と言われる。明治になるとこの池は一般に解放され観光地となりさらに料亭や待合が生まれた。それがなくなった後今では荒木町の歓楽街であり四谷の谷の谷底なのである。




谷の上の方には金丸稲荷神社がある。これは高須藩主の守護神として建立されたもの。


   ちなみに大人の休日倶楽部のパンフを持ってるおばさんたちが二組と夫婦連れが1組計3組に出くわした。同じような発想の人がウロウロしているんだ。吾輩もそういう類いだな。
2、荒木町出て新宿通り昔の甲州街道に出た。ここは四谷の谷の間の背の部分である。そんな事は今まで全然気がつかなかったが、言われてみると昔の街道の道は多くが山の背を通っている。
 新宿通り・昔の甲州街道から円通寺坂を降ると なるほど大きな谷底である。この先に須賀神社がありこれはこの谷の縁の一番高いところに設けられている。諏訪神社は江戸時代にいろんな理由で移ってきたような神社で室町時代とかもの古いものではなさそうである。


いずれにせよこの谷底の真ん中を赤坂川が流れていたようで(もちろん今は暗渠で全然見えない)現在の中央線総武線の下を潜って南元町公園まで出る。ここが鮫川橋で 池波正太郎の鬼平犯科帖にも出てくる悪人たちの住む場所であったような?



今日はここまで。東京スリバチ学会の皆川典久会長の 東京の魅力は世界でも珍しい凸凹の地形にあります。今回は東京を代表するスリバチがある四谷界隈を歩いてみましょう と言うキャッチフレーズに乗ってしまいました。 お互い健康と好奇心のために。 パチパチ。




ローカル鉄道の体験 千葉いすみ鉄道に乗ってみる

2021年10月06日 22時09分00秒 | Weblog
 今日は比較的涼しいので以前から思っていた千葉県を横断するいすみ鉄道に乗ってみることにした。東京駅から京葉線に乗り外房大原まで行きました。
 旧国鉄の時代から何度も廃線の危機を乗り越えて いすみ鉄道 として存続しており、田園風景を楽しむ人が多い。









途中 大多喜駅で降りて 小江戸大多喜 を散策した。



本田正純100,000石の領地。
 今は時代の流れから取り残されて昔の空気の中に生きてるような感じがする。

 この後 上総中野 まで行って小湊線に乗り五井まで行くつもりであった。
 しかし上総中野&小湊線というのが大変なローカル線で一日数本しか電車がない、さらに先年の風水害のおかげで小湊線の途中が中断 バス代替運転の状況であった。

 上総中野駅でさぁどうするか
と考えていると 駅舎の小屋で油を売っている 在のおじいさんが寄ってきて 五位に行くなら 途中 上総牛久 まで車で送ってあげようと言ってきた。
 暇なじいさんが 退職後やることがないので毎日ぼーっとしていながら 週に1回か2回牛久まで買い物に行くんだって。上総牛久には人が集まっているからお店もあるとか。上総中野は全く田舎で人もあまりいないそうだ。
 私と同じかもしくはそれより少し上の退職した老人の申し出に乗った。そして若干危なっかしい運転に乗せられて上総牛久まで行きました。
 有名企業の子会社の下請けで掃除をしていた と自称していたがそれなりに知的な会話ができるおじいさんであった。こういう生き方もあるな。

 かずさ中野から上総牛久駅で代替バスに乗りを国府台まで。ここまでが小湊線ストップ の代わりに大体バスであった。
 いずれにせよ小湊線はいすみ鉄道よりずいぶん不便で商売気がないと感じました。

 こうして長い間の夢であった房総半島南部を いすみ鉄道と小湊鉄道で 横断旅行を実現しました。
 いろいろあったけれどハッピーハッピーパチパチです。




緊急事態終了につき日比谷公園でテニス

2021年10月04日 18時41分00秒 | Weblog
今日はwith コロナで日比谷公園でテニスを楽しみました。多くの人が楽しんでいました。老人は老人の楽しみを。






アフターテニス は 深川は森下の 魚三  に久しぶりに魚お酒解禁 を楽しみに行きました。孤独のグルメだ。

昔ほどではないが 昼間から結構お客さんがいました。
 瓶ビールに ハゼの天ぷら マグロのぶつ切り&熱燗を楽しみました。
 
 やっと平常な生活に戻ったのかと 懐かしさいっぱい。でも周辺はみんなマスクマスクの防御体制。



お台場でマダムタッソーのマリーアントワネットを見る

2021年10月02日 18時28分00秒 | Weblog
 最近何かの機会でフランス革命の本を読み始めた。そうするとかなりいろんな方面の問題があったことがわかってきた。そういう中でマリーアントワネットの役割というか運命というかいろいろ考えさせられることが多い。そういう時 マリーアントワネットのフィギアが東京にもあると言う話があったので お台場にマダムタッソー東京を見に行ったと言うわけである。
 ちなみにお台場公園はまだオリンピックパラリンピックの後が完全には終わっていない。
 それはそれとして

これが処刑された後のマリーアントワネットの顔だと思わせるがどうも後世の作品のような気がする。





マダムタッソーはもともとストラスブール生まれ。医者の娘で仕事としてフィギアを作る工房にいたようである。そしてそれなりの実力と人気がありフランス王室の美術教師として生前のルイ16世夫妻のフィギアも作ってるようだ。
1793年フランス革命の後の混乱の中でルイ16世処刑。そのデスマスクを取るよう革命側から要求されるが 反対勢力により投獄される。その後フィギュア作成の技術を買われてギロチンを免れた。その理由は反対派に対する反対派の頭目 ロベスピエールの処刑とそのデスマスクを作るためにとか。大変な混乱の中に幸運にも命を落とさなかった。
 革命後はナポレオン一世のフィギアの型をとったようだ。
 こうしてマダムタッソーはフィギア作りをなりわいとするようになり、タッソー氏と結婚、その後イギリスに渡り フィギア作りを事業としてこれを成功させた。
 そういう意味では大変なやり手の美術家であり事業家である。その事業をその子供が引き継いで現在も続いていると言うことだ。
 時代性のある出来事や有名人や俳優などをうまく使って人気が出るようにした本当の事業家である。
 だからその主な対象の人たちには

レオナルドダヴィンチ

ニュートン

アインシュタイン

スティーブジョブズ


マリリン・モンロー


オードリー・ヘプバーン


ついでに勝手に記念撮影した。



草間弥生もいたよ。





お彼岸に国立博物館を見る

2021年09月23日 16時28分00秒 | Weblog
今日23日お彼岸の中日。
 博物館をのぞいて見る。いろいろがあって ほんと感心する。
 そのうち 中国 ガンダーラ エジプトの ほんの一部。











平成舘で日本の古代からのいろいろ博物を見たが 多くて 見るだけで疲れてしまった。


大相撲6日目 照の富士を見る

2021年09月17日 20時07分00秒 | Weblog
 今日9月17日ご縁があって両国国技館で大相撲を観戦した。
 
 コロナ対策で桝席が従来の4人一桝から2人で一桝に変わっていた。おかげで相撲を見る方から見れば楽ちんでありがたい。
 ただ飲み食いができないのは大変寂しい。
 いずれにせよ久しぶりの相撲見物。大学の仲間20人と一緒に みんなコロナの閉塞状況に苦労していた。たまにはこういう息抜きも必要だ。








照の富士の 不知火型土俵入り。




照の富士は今日 辛うじて若隆景に勝って 全勝をキープ。


今日も1日 これ好日であった。



多摩湖自転車&歩道 を歩く

2021年09月16日 20時51分00秒 | Weblog
 青梅街道 を都バスが結んでいる。
花小金井駅から青梅駅まで 都バスの最長区間である。
 青梅街道はご承知の通り 徳川家康の江戸入府以来 江戸城を始め公共の建物の漆喰等を得るため青梅の成木地域の石灰を採取しこれを江戸に送るため作った街道である。
 青梅から四谷大木戸まで約43キロ。途中 箱根ケ崎 田無 の2つの宿場を経て馬の背中に荷をのせて四谷まで運んだ。その後今の小平市の西武線青梅街道駅あたりに新しい宿場を作ったようだ。

 当時は人も住まない武蔵野の荒地を江戸まで一直線に街道を作ったのであろう。
 
 たまたま小平市の青梅街道駅で 近くにある小平市役所へいって 青梅街道の歴史を読むつもりでいたが 小平の歴史を書いた資料本を読んだ。 

 おかげで多摩地方の歴史の一端を垣間見る機会に恵まれた。

 小平市は玉川上水の完成とそのご褒美による松平氏への野火止用水の分岐の中で 小川1族が開拓した歴史であるようです。その小川の1文字と四方 平 の地域を願って 小平と言う地名を作ったようだ。田無と保谷を合併して西東京市とか
何かと比べればなんと格調の高いことであろう。

いずれにせよ小川1族の開拓は 徳川吉宗将軍の享保の改革の時代の 新田開発の波に乗り成果を上げたようである。これを嚆矢として 野火止の用水を利用した武蔵野の開拓が進んできたようである。

 江戸260年間いろいろ開拓が進んだが明治以降はもっと東京の人口集中による開発があったようだ。江戸の 小金井の桜など。

現在の西武鉄道は東京郊外の人口集中に対処するため 過去いろんな鉄道会社の多摩開発の思惑などを集大成した現在の路線となっている。

そういう中で花小金井駅を作ったわけ。 
 
 その前を 自転車道路&歩行者道路が走っているのを発見。これは昔 大正12年から14年にかけて作られた 武蔵野市 の境浄水場までの水道施設の跡地を 自転車歩行者専用道路として作ったものである。

 それで退屈御家人は歩きました。

花小金井駅をスタートし 八坂駅まで直進。ここで 九道の辻(鎌倉から 前橋までそれぞれ18里 中間地)を左折し 野火止用水に沿って東大和駅まで行きました。ここは元は青梅橋と言う駅を改名したようである。









頭からつくつくぼうしが聞こえる。地べたから秋の虫が鳴いている。彼岸花とコスモスと 季節のミックス。今日は暑くもなく非常に良いお天気。散歩日和。
 この辺は吾輩のような老人がたくさん歩いている。日本は老人多量生産国であるようだ。

野火止用水

朝顔がまだ咲いている


今日はこうして14,000歩ほど歩いたわけだが大変疲れた。体力が劣化している。だがしかし 多摩地域は懐が深い。もっともっとみる価値がある。


 





オリパラの 宴の後

2021年09月12日 16時51分00秒 | Weblog
オリパラの熱狂が終わって1週間。まさに宴の後だ。1種の喪失感。


まだまだおりパラを懐かしむ人々がいるネ。

パラのマラソンや車いすマラソンのメインフィールド出入り口。今頃やっと一般にオープンしている。

正面の千駄ヶ谷門。宴の後に開くとは。

いずれにせよ時の流れは早い。
ちなみに今日テレビを見ていたらモントリオールでトライアスロンの大会をやっていた。これじゃぁもう無茶苦茶だ。

重陽の節句が終わり天候の変動が激しい。暑かったり寒かったり。
昨9月11日土曜日に下落合に散歩に行った。ここで
 中村彝 アトリエ記念館を見ました。
文化の香りと歴史の厚みを感じました。

昔のアトリエはなんか住み良い感じだ。



短命だった芸術家のアトリエ は大正5年豊玉郡落合村下落合464番地に作ったよし。
 今は新宿区下落合3-5-7です。

オリパラも終わり 処暑から白露へ

2021年09月06日 20時07分00秒 | Weblog
大きな感動を残してパラリンピックが終わった。
 マイナーなスポーツも含めてパラリンピックの選手たちの活動に涙を流した人も多かろう。
 いろんな意義付けは今後いろいろなされるであろうがいずれにせよ 1つの時代を画した。国や社会や個人においても。

 その終了日がちょうど表題の季節の変わり目。
5日の最終日は朝6時半からテレビにかじりついて12時過ぎまで見ていた。外堀通りの市ヶ谷見附に応援に行こうかと思っていたが雨が降って降ったのでテレビの方がいいと判断。ベストポジションはこの先の神保町の交差点で 行きも帰りも全てがここを通るベストポイントらしい。
 空気感染の可能性が強いコロナデルタ株に対応するにはひたすら家にこもるのが良い。












テレビの画面だが感動感動。

いずれにせよ 大変なイベントであった。いろいろ批判の中 針の筵の中で オリンピック開会を決定した菅総理大臣の評価は後世に残るであろう。今は最悪だが。
 ボッカチオやマキュアベリの言葉のように  やらないで後悔するより やって後悔する方がいい。
 日本の政治文化の中で 前例踏襲主義 リスクを取らない ガラパゴス的孤立主義の心情が 世界情勢と時代とともに変わらざるを得ないと考える。
 小泉元総理大臣の言うように 「人生いろいろ」賛成半分反対半分これが世の中の実態であろう。みんな自分の都合の良いように文句を言う。どっちもどっち。それで飯を食ってる人も多い。それに金を払う人は大馬鹿者か?

 それにしても寒暖の温度差は激しかったね。地球温暖化とみんな騒いでいるが 一方で太陽活動の弱化つまり太陽黒点の減少が2030年ごろから始まる 地球寒冷化へと言う懸念も一方ではある。言う人はあまりないが。
 素人にはわかるはずがないが 一寸先は闇。

 こういう中9月4日の土曜日は皇居東御苑を散歩。

江戸時代最初の60年間ぐらいは天守閣があったのだが 明暦の大火で焼けて以来 その後200年間は、天守閣なしでやった。徳川幕府の政権を担った 中堅の譜代大名と言うのは 実に賢明な判断をする偉い人たちだったのだ。












吾輩は 最近は 歩行禅 と言う言葉を味わっている。





パラリンピックに感激したが… .

2021年08月30日 19時06分00秒 | Weblog
 8月30日 パラリンピックの素晴らしさと涙涙のテレビを見ながら 我輩も ではないが 
 デルタの感染性拡大から コロナを避けながら  なにがしの運動を と日比谷公園に参りました。
 しかし今日東京地方は34度c と言うむちゃくちゃ暑い。我輩も今日はやめようと思ったが 私が辞めると 仲間のセットが成立しないので申し訳ない から
顔を出すことにした。

 しかし今日は東京34歳めっちゃ暑い。13時から15時までのテニスである。クレイジーだ。
 しばらくして吾輩の腹から腰にかけて 足がつる と言う状況が 生じた。これはどうも熱中症と一緒ではないか。
 巷では熱中症警戒アラートが出ている。

そこへ 年寄り爺さんが行く事は無い。
 急遽 わしゃやめ! と言ってベンチの椅子に横たわって休憩。
 









ここでベンチに横たわって休んでいると お釈迦様の涅槃の心境 が見えるような感じがした。このまま命を終えるのもいいもんだと言う豊かな気持ちが出てきた。

 しかしそのあと 家に帰って風呂に入りビールを飲み 枝豆を茹で 馬刺しを味わい ついで 親子どんぶりを作ってご飯なしで
 ワインを味わっている。
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パラリンピックは本当に素晴らしい。涙涙涙で老人は見ている。




パラリンピック を期する

2021年08月20日 22時09分00秒 | Weblog
 来週8月24日にパラリンピックの開会式で9月5日まで13日間の また手に汗を握るパラリンピックが始まる。

 久しぶりに真夏の30度越えの東京で 夕方涼しくなった頃に オリンピックの国立競技場周辺を歩いた。


千駄ヶ谷門がオープンになって姿を初めて見たよ。

正面入り口の左のほうは閉鎖。

まだまだオリンピックのマークで記念撮影をするのが多くの人の夢のようだ。それはそれなりに意味がある。


長野オリンピックの聖火塔がここに置いてあった。


相変わらず5輪マークの撮影は人気のようだ。


神宮外苑の銀杏並木は戒厳令下みたい。
この先右に曲がって いつもの通り 東宮御所に沿って右側に行く途中 迎賓館の入り口で かなりのお巡りさんとか関係者が緊迫している。
 何かいなと思ったら 後で家に帰って 今日 パラリンピックの採火式の式典が行われるとか。なるほどとわかった。

いずれにせよ次のパラリンピックの感激を楽しもうではないか。




オリンピック ロス

2021年08月15日 14時05分00秒 | Weblog
オリンピックが終わった後 いろいろな珍しい運動を楽しみ充実した時間を過ごさせてもらった反動で 精神的空白 1種の鬱となり その後の暑い日中 長雨があったこともあり鬱であった。デルタ型コロナの感染力拡大により コロナ感染者の激増それに伴う外出自粛。これらもオリンピックロスの原因。

それはそれとして今回のオリンピックは大変良かった。反対する人も多かったが 

 塩野七海の書く マキアベリのセリフではないが ボッカチオがデカメロンの中で言ってるように 「やった後で後悔する方がやらないで後悔するよりもずっとマシだ」と。
 ボッカチオのデカメロンは14世紀のベストの大惨禍の時 都市の密での感染の恐れを逃れて田舎へ避難した友人が1つずつ文章を発表すると言う今と同じような状況下での作品であるそうな。


































輝いている17日間であった。
涙涙の感激の日々。ありがとう。


秘境 夏油温泉 を訪う

2021年08月03日 20時26分00秒 | Weblog
 コロナ緊急事態の拡大宣言と感染者の急拡大さらに東京オリンピック各種目での大活躍と応援の熱中の中で 不要不急の外出自粛要請。さらに地球温暖化による暑い暑いこの夏での閉塞状況。
 こういう中で退屈御家人は大人の休日倶楽部主催の団体旅行約20人の一員として秘境夏油温泉の三日間の湯治? 2泊3日で行って参りました。楽しいような一方で大変後ろめたい感じがいたしております。

 夏油温泉は栗駒国定公園の山の中にあり新幹線北上駅より公共交通機関がなく旅館が1日1便送迎する車で約40分かかる位置づけであります。そしてここは道路が山越えしておらずここで行き止まりあります。
 こういう秘湯への今回温泉旅は
無為 自然 行雲流水 避暑 湯治 山の端のガスと霧が晴れていく 水のせせらぎ 緑の風 緑の光 蝶々 蝉の声 トンボ いろいろな鳥 が飛んでいる。ここにはワンワン ニャンニャン 家畜がいない。人がいない。
 まさに深山幽谷 仙人の世界だ。  





河原の露天風呂 猛烈に熱い 入れない。




全部で7つの温泉があり地下から湧き出てぶくぶくをしている。










ここは本来 湯治の世界である。だから温泉につかるしかやることがない。本来食事も自分で賄うものである。そうはいっても今の時代ですから旅館としてある。

 いずれにせよ2泊3日やる事は何もない。テレビもない冷蔵庫もない。インターネットも通じない圏外である。そこで私は持っていたミステリー小説を1冊読んでしまった。後は湯につかる。避暑地の出来事は何もなかった。

でも冬は11月から4月の終わりまで閉鎖される雪国であるからやはり東京よりは涼しい。避暑としては絶好である。 

 名残惜しいが団体旅行であるのでそのまま東京駅まで帰ってきた。約20人の皆さんは半分が私位の年代の一人旅のおじさん。残り4組がやはり老人の夫婦の旅みたい。
お互い何も言わないのがこういう旅のマナーかもしれない。
東京駅は1時半に着く。ここで秘湯の何もない生活に反発して東京駅のレストランで沖縄料理を食べた。

これも大変おいしかった。

色々な意味で幸せ!