彦根城は数少ない現存天守が存在する城で国宝に指定されています。
国宝に指定される立派な城ですが、寄せ集めの城だったりします。
江戸幕府を開き天下統一を果たした徳川家康ですが、豊臣家が残る大阪城に備えた“豊臣包囲網”の一環として廃城にした琵琶湖周辺の城から使えるパーツを取り寄せて作った城なのです。
佐和口多聞櫓は佐和山城から流用。
建築当初の櫓は火災により焼失しており明和8年頃に再建されています。
鉄砲や弓で敵を狙う狭間があります。
馬屋は元禄時代に建てられたものなので寄せ集めの部材ではありません。
天秤櫓は長浜城の大手門を流用したと伝えられています。
櫓に架かる橋は敵が攻めて来た際には橋を落して防備を固めることが出来ます。
窓の格子がひし形になっているのも特徴。◇(菱形)のため、鉄砲で狙える角度が広がり広範囲の敵を狙う事が出来ます。
太鼓門櫓も他の城から流用したものだが、どの城かは不明。
東側は高欄付の廊下になっています、ここに登城用合図の太鼓を吊るしたのでないかと推測されています。
いよいよ天守です。
天守は大津城の天守を流用しています。
天守は千鳥破風、切妻破風、唐破風、入母屋破風と多様な屋根様式を取り入れた美しいデザインですが、他の城と比べるとバランスがちょっと悪い?と感じるのは、元々は4重だったのを3重に縮めたからではないでしょうか。
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