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可児四城巡り -12-

2025-05-22 07:15:43 | 取材・旅行

可児四城巡り -12-

令和7年5月10日、いつものメンバー(積知積徳会)で、可児市四城巡りに行ってきました。その様子を数回にわたってお知らせします。

今回の訪問地周辺です。今城、久々利城、明智城、美濃金山城の4城の位置を確認してください。

今回は、美濃金山城Ⅰです。今シリーズのメインです。次の図は現地の看板です。

いつもの余湖くんのホームページより

画像出典 http://yogokun.my.coocan.jp/gihu/kanisi.htm

戦国山城ミュージアムの展示から、概略をとらえましょう。

文字起こししてみます。


必見その1! 二の丸の高い石垣
 石垣というと綺麗に石が加工され、隙間なく積まれたイメージを持つかもしれないが、 金山城の石垣は隙間が多く、自然の石が積まれている。このような石垣の積み方を「野面(のづら)積み」と呼ぶ。
 ほぼすべての石垣が崩れている。 これは、「破城(はじょう)」といって、この石垣を再利用できないように人の手によって壊されたことを意味している。
 石垣を高く積むことや、壊したもの残して見せるのは、どちらも権威を見せつけるための行為であったといえる。


必見その2! 守りに強い桝形虎口 (ますがたこぐち)
 城の出入り口のことを「虎口」と言う。 虎口は、敵の侵入を防ぐために狭くしたり、坂にしたり、壁を設け直進できないようにしたりといった工夫がなされた場所である。
 この場所には柱の土台石が残り、控え柱がある。 立体的な門が立っていて、敵が扉を開けて侵入してくると、両側から攻めることができた。守りに強いタイプの虎口であると言える。

必見その3! 本丸(ほんまる)と本丸からの眺望
 足元には礎石が並んでいおり、この場所には居住性のある建物があったことが判明している。 周辺からは、本丸建物に葺かれたと考えられる瓦も出土している。
 この時期の城には天守があったと想定されるが、まだ確認はされていない。 今後の発掘調査が進み、建物の実態が判明することが期待されている。
 標高276mの山頂から西方向に木曽川流域を見下ろせば、当時の武将も眺めたと思われる景色を楽しんでいただくことができる。

美濃金山城跡とは・・・
 美濃金山城跡は、平成25年に国史跡に指定された。
 建物礎石、 高石垣、瓦という三つの要素を併せ持った城であったことが発掘調査から判明している。
 この三つの要素は、織田信長や豊臣秀吉、 その家臣が造った城の特徴を物語っており、そういった城を織田の「織」と豊臣の「豊」の二文字で、「織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)」と呼んでいる。
 美濃金山城跡は織豊系城郭の特徴を色濃く残し、日本の歴史を語る上で重要な場所という、文化財的な評価を受けた城跡である。

美濃金山城跡の概略

 天文6年(1537) に斎藤大納言妙春(正義)により築城され、 「烏峰城」という名で呼ばれていた。

 天文17年(1548)、 斎藤大納言は久々利氏に討たれた。
 その後、永禄8年(1565) 織田信長の美濃侵攻により家臣である森可成が城主となり、「金山城」 と改称された。
 元亀元年(1570) 宇佐山の戦いで可成が死去し、 鬼武蔵の異名を持つほど勇ましい森長可が城主となった。 天正10年(1582) 長可が川中島に移り、弟の森蘭丸が城主となったが、6月に本能寺の変で蘭丸が死去し、再び長可が城主となった。
 その後、天正12年(1584) 小牧・長久手の戦いで長可が死去し、弟である忠政が城主となった。
 慶長6年(1601) には城が破却された(破城) と考えられている。

美濃金山城跡の特徴
 美濃金山城跡は、 木曽川中流域の左岸、 可児市兼山の古城山にある戦国期から織豊期にかけて営まれた山城。
 山上の最高所(標高276m) に主郭を設け、 その東、南西に続く尾根筋に曲輪群を配置し、北麓部には米蔵跡と伝承される曲輪が存在する。 発掘調査の結果、4棟の礎石建物が検出された主郭をはじめ、各曲輪にも礎石建物が存在することが明らかとなった。
 出土遺物には、 土師器 (かわらけ)、 瀬戸美濃産陶器 (碗 皿 鉢等)、 中国製磁器、 瓦等があり、 最盛期と考えられる16世紀後半には10の曲輪に礎石建物があり、主郭には瓦葺の建物が存在していたと考えられている。


模型です。この天守が、犬山城に移築されたというものです。(異説あり)

中央部のアップです。

出丸です。ここからスタートします。

現地の説明です。図入りでわかりやすく、ここまで丁寧なのは珍しいと思います。

こうして、現地に説明板が置かれています。

明智の町並みです。

立派な碑が建っています。

かなり大きな出丸です。

振り返ると・・・。

三の丸へ向かいます。石がごろごろ転がっています。

石垣らしいものがあります。

そう、これが、破城の跡なのです。

三の丸の門に来ました。

門の礎石?が残っています。

これも、元石垣か…

説明がありました。

三の丸の石垣です。破城の跡が残っています。

動画をご覧ください。

美濃金山城 天守はあの国宝犬山城の天守だった

【城めぐり】森蘭丸ゆかりの 美濃金山城 岐阜県【攻略ルート】

続日本100名城 美濃金山城 岐阜県 Mino Kaneyama Castle


次回に続きます。明日はいよいよ美濃金山城Ⅱです。次回が最終回です。

可児四城巡り -1- -2- -3- -4- -5- -6- -7- -8- -9- -10- -11- -12- -13-


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