松平郷周辺FW -3-
令和6年5月5日、いつものメンバー(積知積徳会)で、松平郷周辺へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を10回にわたってお知らせしています。
今回の訪問地です。
第3回 大給(おぎゅう)と荻生(おぎゅう)徂徠
松平家の系図を説明していました。
◎西村健二が作成した、親氏以降の系図を紹介します。出典 https://www.kuwana-shakyo.com/cmsfiles/contents/0000000/724/familytree-matudaira1.pdf
全体像がわかります。信光のすごいこと!
この動画がとても分かりやすくできています。
大給城の見学に戻りましょう。
土塁に見えても、やはり石垣が埋もれていました。
自然石も利用されています。
土塁(石塁)の高さがすごい!
いよいよ本丸です。
ガイドさんは健脚です。
崩れていないのがすごい!
曲輪です。
碑がありました。明治6年の文字が読み取れます。
本丸が近づいてきました。
着いた!
城の碑がありました。
物見岩です。
これなら、尾張から攻めてきても見えますね。
名古屋の構造ビルも見えます。
荻生徂徠と大給の関係は?
頂いた縄張り図を見て「あれっ?」と思いました。
左下に「徂徠屋敷」とあります。
荻生(おぎゅう)徂徠 と 大給 は関係があるかもしれない!?
そこで調べてみました。
『姓氏解』 国立国会図書館サーチ https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000094-I216368?utm_source=pocket_saves より
○下巻四十七丁裏に、「一先生」が先祖は源氏で物部氏に養われ、その後、代々荻生氏で、荻生は本来大給であるのに、老中の大給松平氏を憚り、文事に物を姓とし、「大連苗裔」印を用いていることを批判する(荻生徂徠のこと)。
とあります。
「老中の大給松平氏を憚り」とあるので、歴代老中を調べてみましょう。
私が一覧表をつくってみました。 参考 http://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi10.html 間違っていたらごめんなさい。
松平氏は、26人が老中になっています。(乗全は2回やっている)
そのうちの、23人(1・10・3以外)が三河松平氏の系統なのです。
そのうち、大給系(黄色)が大河内系(薄黄緑)と並んで、7人を排出しています。徂徠の存命中までには2人が老中をしています。
「老中の大給松平氏を憚り」はわかる気がします。
その他に、次の記事もありました。
「松平大給と荻生徂徠」https://matoguchi.main.jp/rensai/rensai5.html?utm_source=pocket_saves
他にもありましたが、ここでは、
徂徠と大給家は関係あり としておきます。
動画です。
明日へ続きます。
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