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松平郷周辺FW -3-

2024-05-08 07:25:25 | 取材・旅行

松平郷周辺FW -3-

令和6年5月5日、いつものメンバー(積知積徳会)で、松平郷周辺へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を10回にわたってお知らせしています。

今回の訪問地です。

第3回 大給(おぎゅう)と荻生(おぎゅう)徂徠

松平家の系図を説明していました。

◎西村健二が作成した、親氏以降の系図を紹介します。出典 https://www.kuwana-shakyo.com/cmsfiles/contents/0000000/724/familytree-matudaira1.pdf

全体像がわかります。信光のすごいこと!

この動画がとても分かりやすくできています。

大給城の見学に戻りましょう。

土塁に見えても、やはり石垣が埋もれていました。

自然石も利用されています。

土塁(石塁)の高さがすごい!

いよいよ本丸です。

ガイドさんは健脚です。

崩れていないのがすごい!

曲輪です。

碑がありました。明治6年の文字が読み取れます。

本丸が近づいてきました。

着いた!

城の碑がありました。

物見岩です。

これなら、尾張から攻めてきても見えますね。

名古屋の構造ビルも見えます。

荻生徂徠と大給の関係は?

頂いた縄張り図を見て「あれっ?」と思いました。

左下に「徂徠屋敷」とあります。

荻生(おぎゅう)徂徠 大給 は関係があるかもしれない!? 

そこで調べてみました。

『姓氏解』 国立国会図書館サーチ https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000094-I216368?utm_source=pocket_saves より


○下巻四十七丁裏に、「一先生」が先祖は源氏で物部氏に養われ、その後、代々荻生氏で、荻生は本来大給であるのに、老中の大給松平氏を憚り、文事に物を姓とし、「大連苗裔」印を用いていることを批判する(荻生徂徠のこと)。


とあります。

老中の大給松平氏を憚り」とあるので、歴代老中を調べてみましょう。

私が一覧表をつくってみました。 参考 http://kitabatake.world.coocan.jp/rekishi10.html 間違っていたらごめんなさい。

松平氏は、26人が老中になっています。(乗全は2回やっている)

そのうちの、23人(1・10・3以外)が三河松平氏の系統なのです。

そのうち、大給系(黄色)が大河内系(薄黄緑)と並んで、7人を排出しています。徂徠の存命中までには2人が老中をしています。

老中の大給松平氏を憚り」はわかる気がします。

その他に、次の記事もありました。

松平大給と荻生徂徠https://matoguchi.main.jp/rensai/rensai5.html?utm_source=pocket_saves

他にもありましたが、ここでは、

徂徠と大給家は関係あり としておきます。

動画です。

明日へ続きます。

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