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松平郷周辺FW -8-

2024-05-13 07:25:23 | 取材・旅行

松平郷周辺FW -8-

令和6年5月5日、いつものメンバー(積知積徳会)で、松平郷周辺へFW(フィールド・ワーク)に行ってきました。その様子を10回にわたってお知らせしています。

今回の訪問地です。

第8回 高月院 です。

松平氏の菩提寺です。

家光が寄進した山門。高麗門です。

高月院の住職は、寛永寺や増上寺の住職と同格で、大きな大名並だったそうです。

 

 

 

 

仏足石がここにもありました。

十八代恒孝(慶喜が十五代)お手植えの松

家康公お手植え???

家光が寄進した本堂。

浄土宗なので、阿弥陀様が祀ってあります。

何回目でしょうか。

幼少期の家康の筆です。「竹(千代)」が見えますね。

阿弥陀様の左右が、初代親氏と家康です。

欄間がすばらしい

歴代住職の位牌

歴代将軍の位牌

寄付者の名前です。金二万疋を寄付したのは、徳川家達(いえさと)宗家第十六代です。

「疋」はもとは布地二反の単位ですが、中世にはお金の単位としても使われました。

あるサイトによれば、「嘉永年間の百川の1人分の食事代金は、上が200疋、中が150疋、下が100疋だったそうで、100疋は1,000文、現在の金額でおよそ10,000円」に相当するそうです。これによると二万疋は、200万円です。

家康のお母さんです。

文字起こししてみましょう


国指定文化財 (史跡)
 松平氏墓所
        国指定 平成一二年二月四日

徳川家康(松平氏九代)の祖先である松平氏の墓所です。歴代住職の墓地より一段高い石垣上にあり、中央に松平氏の始祖である親氏(ちかうじ)の墓塔、右に二代泰親(やすちか)、左に四代親忠(ちかただ)夫人の墓塔が配されています。

墓塔は三基とも花崗岩(かこうがん)製の宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、室町時代中期から後期のものと思われますが、いずれも一部が欠損しています。四代親忠夫人の墓があるのは、親忠の第四子超誉存牛上人(ちょう よ ぞん ぎゅうしょうにん)が高月院第七代住職(一五七五年入山)であるため、母を祖先の陵墓の地に葬ったものと思われます。

墓域は五〇平方メートルあり、文政年間に一一代将軍徳川家斉(いえなり)、明治二三年に旧大和郡山藩主(やまと こおりやま)柳沢保申(やなぎさわやすのぶ)がそれぞれ修築して現在に至っています。


この画像出典 https://kazusa.jpn.org/b/archives/4556

松平郷館です。

殿様作曲家 松平信博が大きく紹介されていました。

その作品をお聞きください。

松平信博作曲編・旅は青空・侍ニッポン・天国に結ぶ恋400UP記念

侍 ニッポン(徳山 璉)

昭和06年(1931年) 日本ビクター 日活映画主題歌  作詞:西條八十 作曲:松平信博  獨唱:徳山 璉  伴奏:日本ビクター管絃樂団

松平郷館の出展物は次の動画でご覧ください

徳川家 発祥の地 “松平郷館・高月院” 豊田市

明日へ続きます。

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