1949(昭和24)年6月、九州・延岡の海岸から小さな漁船が夜陰にまぎれて静かに離れていった。 船が目指すのは、真っ黒な海原のはるか彼方にある台湾。その船には、日本陸軍の元・北支那方面軍司令官、根本博中将が乗っていた。 傍らには、「俺の骨を拾え」と言われて随行を命じられた通訳が一人。 この時、蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる中国共産党との「国共内戦」が、まさに決着を迎えようとしていた。 共産軍の攻勢によって、大陸から撤退し、いよいよ金門島まで追い込まれた蒋介石。根本は蒋介石を助けるために「密航」を敢行したのである。 「義には義をもって返す」。根本には、終戦時、蒋介石に言葉では表せぬほどの恩義があった。 昭和20年8月15日、終戦の詔勅が下された時、根本は駐蒙軍司令官として、内蒙古の張家口にいた。 陛下の武装解除命令は、アジア各地で戦う全軍に指令され、ただちに実行に移された。 満州全土を守っていた関東軍も山田乙三司令官がこの武装解除命令に応じ、そのため全満州で関東軍の庇護を失った邦人が、虐殺、レイプ、掠奪……等々、 あらゆる苦難に直面することになる。 しかし、満州に隣接する内蒙古では、根本司令官による「武装解除命令には従わない。責任は私一人にある。全軍は命に代えても邦人を守り抜け」 という絶対命令によって、激戦の末、4万人もの邦人が、ソ連軍の蛮行から守られ、北京、そして内地まで奇跡的な脱出・帰還に成功する。 ソ連軍だけでなく共産軍の圧迫をも凌いで「4万人の脱出」が成功した時、これを戦勝国側で守ってくれたのが、蒋介石率いる国民政府軍にほかならなかった。 根本中将に、その「恩義」はどう映ったのか。 密航の途中、座礁や船の故障で、九死に一生を得ながら、根本は台湾に辿り着く。感激した蒋介石から根本は「林保源」という中国名を与えられ、金門島に赴く。 そして、林保源将軍こと根本博は次々に作戦を立案し、押し寄せる共産軍に立ち向かった――。 「台湾」と「台湾海峡」は誰によって守られ、なぜ今も存在しているのか。 本書は、その謎に挑み、「義」のために生きた一人の日本人と、国境を越えてそれを支えた人たちの姿を「現代」に蘇らせたスクープ歴史ノンフィクションである。 内容(「BOOK」データベースより) 在留邦人4万人、無事日本に帰還!その恩義を返すため、将軍は、漁船で台湾へ向かった…。60年の歳月を経て今、明かされる日本人司令官の知られざる生涯。
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あらすじだけで映画が出来そうな良く出来た実話だけども、気になる点が2つほど。。
1.蔣介石は、別に内蒙古部隊を善意で助けた訳ではなく、単にソ連&毛沢東の共産軍への牽制に利用するため、あえて手を出さなかっただけ、と見るべき。。その証拠に、台湾に無事逃げた国民党軍は、日本統治下時代の台湾人の指導階級や知識層の虐殺など、共産国なみの蛮行を普通にやっている。
それはそれ、しかし義は義、ということで行動した御本人の行為は、やはり立派な侍精神だとは思う。
2.勝ってるときには「我こそが大陸の英雄に。本国から命令は無視だ無視!軍法会議上等!!」だった満州国の関東軍のお偉方が、いざ敗戦となったら、こういう時だけ律儀に武装解除命令を遵守したおかげで、多くの部下と在留邦人の悲劇が生じた(全てではないが、そういう風にもとれる)。というくだりには、憤懣やるかたなし。