「生きとったんかい!ローラン・ボック!!」 久々に書店に寄り、久々にプロレス雑誌を手に取って見た第一感想がこれ。 この雑誌自体、オールドプロレスのファン向けだけど、まさかまさかボックのインタビューを読める日が来るとは思わなかった。 言ってる自分も、この本人の試合、実は生で一度も見たことない。最近は動画サイトでボチボチと拝めるようになって有難く思ってたところだった。 しかし、ホントに健在だったんだな . . . 本文を読む
新日本プロレスの”突貫小僧”こと、星野勘太郎。全日本プロレスの名物レフリー・ジョー樋口。
2人ともつい最近亡くなっていた。あんまりプロレスの記事をチェックしてないから、全然知らなかったなあ。。
星野は自分が知る現役時代でも相当ベテランだったはずなのに、いつもパンパンに張った体で年齢を感じさせないファイトをしてた。一旦引退後に再度マネージャーとして復帰した写真を見たとき、かなりやせ細っていたので . . . 本文を読む
元プロレスラーの山本小鉄さんが28日午前6時42分、低酸素性脳症のため亡くなった。68歳だった。顧問を務める新日本プロレスリングが29日、公式サイトで発表した。 山本さんは1963年、日本プロレスに入門。星野勘太郎とのタッグ「ヤマハブラザーズ」として日本だけでなく全米マットでも活躍し、1972年にアントニオ猪木と共に新日本プロレスを旗揚げした。現役引退後は解説者、レフェリーとしても活躍した。 . . . 本文を読む
「テキサス・スーパー・ロデオマシーン」(BY 古館)の愛称で新日本の常連だった外国人レスラーです。
全日本からA・T・ブッチャーと共に引き抜かれてきたんだが、その後も全日本の会場にたびたび遊びに行って、馬場に「ビール奢ってくれや」といって飲ませてもらったという稀有なエピソードもある人。なぜなら馬場は裏切り者はとことん許さない性格で有名でしたから。憎めないタ . . . 本文を読む
久々に更新しようと思ったカテゴリー、だが何を書く?。悩むのも面倒なので、とりあえず当時の一大イベントだった「IWGP(インターナショナル・レスリング・GP)」についてまとめてみようと思う。
その「IWGP構想」の大まかな話はこうだ。
・・・当時のA猪木率いる新日本プロレスが「真の世界統一王者を決めよう」とぶち上げて、世界の6地域(アジア、中近東、アメリカ、カナダ、メキシコ、欧州)で予選トー . . . 本文を読む
このカテの更新する時は、訃報ばっかりだなあ・・・
引退後はまったく公の場に姿を見せなかったので、「相当体調は悪いんだ」と、うすうす感じていたけども、
やっぱりこういうニュースを聞くことになると寂しい。
国際プロレスが倒産して、新日本に「はぐれ国際軍団」として転戦したときのヒール役のイメージが、自分の中では一番強い。ピーク時には、彼の実家に新日本ファンによる投石が相次ぎ、飼い犬 . . . 本文を読む
久々の更新、今回は昭和のプロレス史を彩った(?)この外国人選手。
ちなみに前評判はすごぶる良かった。インターネットが発達した現代と違い「昭和のプロレス」時代は、海外の情報など何一つ日本のガキが知るすべはなく、月一回刊行のプロレス雑誌の情報が全て。
その雑誌に掲載されてた写真は、マッチョな体にアフロヘアーの精悍な黒人の姿。その煽り文句は、
「まだ見ぬ幻の強豪、遂に来る!。坂口のパワーに藤波のバ . . . 本文を読む
かつての新日本プロの常連バイプレイヤー(脇役)だったアメリカのマスクマン。ちなみにマスクを脱ぐとイケメンです。
傍目からみてもプロレス技術は巧みで、体格的にもリング映えする上背もあり、リングネームも”スーパースター”なのに、「スター」に成り切れなかったイメージが強い。
それとも、「No.1よりNo.2、それが俺の人生哲学よッ、文句あるかッ!」的な考えがあったのか?
ナチュラルな才能に恵まれて . . . 本文を読む
物凄く久々な書庫の更新、更にその上「誰だぁ?」的な人選をする。これが本来のマイナー志向な自分
(前置きは無視して貰って)
かつての新日本プロの若手レスラーで、当時”若手の登竜門”的なイベント「ヤングライオン杯」の第1回大会で優勝。
ちなみに2位は現在のマスクマン・サンダーライガーとして活躍中の山田恵一。
ところが優勝のご褒美のはずの海外遠征には、後輩の武藤(現在、グレートムタで活躍中な、全 . . . 本文を読む
試合中の事故で6月に亡くなったプロレスラー・三沢光晴さん(享年46)のお別れ会が4日、東京都江東区のディファ有明で開かれた。全国各地から1万人を超えるファンが参加。祭壇にはチャンピオンベルト姿の遺影が飾られ、ファンの手向けた花束でリングはあふれかえった。
式典は2部構成で行われた。レスラーら関係者によるお別れ会では、友人でアナウンサーの徳光和夫さんらが弔辞を送り、追悼のテンカウントゴングが打ち鳴らされた。続いてファンが献花した。
会場の外には、1キロ以上の行列ができた。最前列は東京都西東京市の会社員男性(34)で、前日午後4時すぎから並んだという。三沢さんと親交があったといい「父が病気の時には激励の色紙をいただいた。本当に感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。
対戦経験のあるレスラーの佐々木健介選手は「すごい男気のある人だった。(得意技の)エルボーの痛さは一生忘れないでしょう」と語った。 . . . 本文を読む