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青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

HSP

2010年08月28日 07時30分58秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 「HSP」という言葉、ご存じでしょうか!?!?
 「HSP」とは「Highly Sensitive Person」のことで、
 つまり「繊細で感受性の強い人」のことを指します。
 私は昨日知ったばかりなので、
 復習の意味でお話しさせて下さい。

 感受性が強いということは、当然、喜怒哀楽も人一倍で、
 これにはメリットもデメリットもあります。
 まず、傷つきやすく、厳しい社会生活への適応は難しいでしょう。
 その感情の波に、疲れてしまう人ももちろんいます。
 その半面、感受性が強いということは、
 人には優しく、気配りも上手に出来るという特徴も持ち合わせています。


 実は、私自身がかなり思い当たる節があるのです。

 そんな一人としてお話しすると、
 こういう言葉の出現って、かなり複雑な気分になるんですよ。
 HSPというのはある性格の特徴を纏めたもので、
 特定の疾患、というわけではありません。
 だから自分を持て余している人には、対策や自分への向き合い方を纏めたものがあれば、
 それはガイドラインとして有効に働くでしょう。
 しかし、他人に主張する場合が難しいのです。
 感受性が強いかどうかという基準なんて、
 一定のテストはあるにせよ、結局は正確な判断が難しいわけです。
 また、社会生活に困難をきたすという側面があるので、
 それを分類する言葉があると、言い訳に使われたり、また差別の意味で使われてしまうのではないか、という恐れもあります。
 さらに、自分の感受性が強いかどうかなんて、
 比較対象がないので、
 自分から言い出す時点で甘ったれと言われること請け合いです。
 まだ問題があります。
 自分から「感受性が強い」とやってみたところで、
 心ない人からは
 「だったらもっと気配りできるよね!?」
 などと言葉を投げつけられて終了です。


 …というわけで、とりあえず自覚があっても、
 この分類は対自身で考えたほうが無難なようです。
 参考になれば幸いです。

幸せへの資格。

2010年08月28日 07時09分07秒 | 青裸々日記。
隅田川と東京スカイツリー(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 今日は簡潔に。

 「私には~する資格はあるでしょうか!?」
 「幸せになってよいのでしょうか??」
 という場合、必ず「ない」という結論が導き出されてしまいます。
 なぜなら、抽象的なものに対して「資格」という考えを持ち出している時点で、
 「自分にはそれを受け取るだけのものがない」と宣言しているようなものだからです。

 ただし、その裏に「~~したい」という欲求があること、
 これに対しては素直になってみてもよいのではないか、と思うのです。
 資格があるかはもういい。
 純粋に「~~」に向かっていく行為こそが大切で、
 たとえ不完全でも、幸せに向かって自分のベストを尽くしていくことこそが、最も大切なのではないでしょうか


 資格、資格と言って、線引きのラインがハッキリとしないものでバッサバッサと斬っていくと、
 本当の意味で幸せになる人は誰もいなくなってしまいます。
 もう少し素直になって、自分の希望、欲求を恥ずかしがらないこと。
 そうすれば前を向いて、他人に対しても、もっと力を使えます。
 ありもしない基準から自由でいるほうが、
 ずっと他人にも自分にもよいと思うのです。

ネガティブ発言の源。

2010年08月27日 18時51分39秒 | 青裸々日記。
水上バス(東京都中央区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 一般に、ネガティブな言葉は嫌われ、
 ポジティブな発言をよしとする風潮があります。
 それはそうです。
 ネガティブとポジティブ、どちらが心によい影響があるかと言えば、
 間違いなく後者だからです。
 またあるいは、ポジティブな言葉、態度、空気を発信していたいというのが、
 人間に共通した、偽らざる本音だと思います。

 …では、どうして歓迎されず不要とも思われるネガティブな発言を発信する人が、後を絶たないのでしょうか!?


 私が思うに、ネガティブな発言をする人は、必ず「疲れ切っている」という特徴があると踏んでいます。
 ここでいう「疲れ」は心理的な疲れも含みますし、
 むしろそっちの意味の方が強いかもしれません。

 誰だって、可能なら自分を向上させたいし、
 前向きでありたいという思いを、心のどこかに秘めているハズです。
 しかし、それでもあえてネガティブなこと口にしてしまうという場合、
 必ずなんらかの無力感が心を支配しているという側面があるのです。

 「もう打つ手が無い」
 「私はダメだ」
 「お先真っ暗だ」
 こんなことを言う人は、敬遠というか、
 人が近寄らないものです。
 しかし、ネガティブな発言をするからには、
 その裏には必ず輝かしい努力や挑戦、ビジョンが隠れているものです

 いい加減に生きていれば努力をすることもなく、傷もつきません。
 なるほど適当に生きている人、
 生き方がどこか誠実ではない人は、
 ポジティブな言葉を発信するのが得意だし、
 ネガティブな人間だというだけで簡単に軽蔑するものです。
 しかし、理想を抱き、それに向けて心を擦り減らすからこそ、現実のトゲが痛く感じるわけです。
 だからネガティブな発言にも源があるとわからない人など、
 別に気に留める必要などないわけです。

 ネガティブの裏に努力あり。
 上を目指してがんばって、でも報われなかった場合、
 「もうがんばれないよ」
 「ビジョンが描けない」
 などと、心を限界まで振り絞って、
 その最後に出てくるのがネガティブな言葉なのです

 余裕があればポジティブでいられるのは当たり前だし、
 せめて口にしない位のことは出来ます。
 しかし、いつも順風満帆とはいきません。
 不調な時や不遇な時、あるいはどん底と思わずにいられない時、
 心が弱り、手を尽くしても万事休すとなることだって、
 生きていればいくらでもあります。

 もちろん程度の問題で、精神的に弱い人ほどすぐに心が擦り減ってしまい、
 そしてネガティブな発言が多くなりがちなのは事実でしょう。
 しかし、ネガティブな発言の裏をよく覗いて見れば、
 等しく本人なりの限界に挑んだ形跡を探れるハズ
 そこを感じ取れる人こそが、真にポジティブな人、
 つまり、ネガティブをポジティブに転じることが出来る人なのです。


 上っ面だけの言葉や、
 ポジティブだからと軽い言葉だけを受け入れていれば、
 楽は楽でしょう。
 しかし、言葉が存在するからには、必ずなんらかの発生源があると踏み、
 言葉そのものの意味だけでなく、しっかり心に含んで背景を考える習慣を付けることが大切です


 ネガティブな発言をする人こそ、
 誠実な努力家です。
 しかし、誠実な努力家であればこそネガティブな傾向にあることも、
 これでおわかりになったと思います。
 本来は褒められるべき資質がマイナスに作用してしまうのは、残念なこと。
 ネガティブな人ほど、本当は自信を持つべき人なのかもしれません。

夢占いの根拠

2010年08月27日 07時14分55秒 | 雑感、雑記
↑国道58号線から撮った仲泊ビーチ、また行きたいな…

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 夢占い、夢分析って、
 いつの時代もある程度の支持を得るものですよね。
 それでは、支持を得られる要因って、
 一体なんなのでしょうか。

 世の中、理屈だけで動いているわけではありません。
 駆け引きや力関係、相性、さらには運といった、
 努力だけではいかんともしがたいこともあるわけで、
 当然、その中には理不尽さや不条理さを感じて止まず、
 処理しきれない感情も出てきます。
 そのオーバーフローした分の処理をするのが、
 寝ている間というわけです。

 その処理を自覚する手掛かりとして、
 夢を分析するという方法があります。
 夢の中って、ホントに無茶苦茶な世界が繰り広げられるんですよね。
 時系列がズレていたり、いきなり場面が飛んだり、
 はたまた余計な人物がどうでもよいタイミングで出てきたり。
 これが心の「おり」の処理そのものだとするなら、
 夢そのものではなく、その夢で出る人物の裏にはどんな心理が潜んでいるかを探れば、
 それは立派な心理分析に繋がるのです。
 予知夢や正夢だって、「これこれこういうことが起きても大丈夫なように、心の準備が整いました」という解釈をすれば、
 いざ夢と同じになるような状況になった場合、
 構えずに現実に出来るようになる、という結論を導き出せるわけです。


 こういうわけで。

 最初のほうで「夢占い」と書きましたが、
 正確にはそんなにオカルト的なものではなく、
 夢を分析すれば、自分のコンディションを知る有力な手掛かりになる、
 こんな解釈があっても、よいのではないでしょうか。


 ちなみに。

 今日は「いじめられる夢」を見ました。
 対人関係が好転、あるいは深化する兆しなんですって。
 もしホントになにかあったらご報告します。

VILLAGEVANGUARDに行きました!!

2010年08月26日 22時48分44秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 ついさっき、外食したついでにVILLAGEVANGUARDに行ってきました。
 相変わらずテンションが高く、バラエティー豊かな店内で、
 アレもコレも欲しくなってしまいます。
 まあ、もっともテンションが低かったのでかえってついていかれずに出たわけですが(笑)
 やはり遊びの合間に、友達と行くもんですね。


 ちなみに手は出さなかったんですが、
 ピンク色が好きなのは相変わらずでした。
 次に入ったら買いあさるぞー!!

ふっかーつ!!

2010年08月26日 19時32分44秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 うわあい、ついに、ついに来ました!
 2週間以上の時間、待ちに待ったケータイの新しい電池パックが届きました!!
 ホントに待ちくたびれましたよ、ふう。
 なんでも、私の機種(ソフトバンクの935SH)の電池パックって、
 6機種で共通の設計らしく、
 同世代の電池パックが同時期に限界に来たのが原因で、
 2週間もかかってしまったらしいのです。

 やっと元通りの馴染んだボタン配置、画質、
 そして安心して使えるんだという一体感がうれしいです。
 機種変のトキに誓った「このケータイとはよい思い出を」との思いを、
 あらためて大切にしたいと思いました。

浴衣の理由

2010年08月26日 07時09分41秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私も曲がりなりにも働いている身なので、
 毎日オフというわけにはいかないんですが…。
 夏というか暑いうちは、
 出来る限り体を拘束するような格好はしないようにしています。
 部屋ではバスローブ、
 外では浴衣姿でいることが主です。

 なぜかと言うと、単純にタイトな格好が嫌いなのもありますが、
 もうひとつあります。
 それは、「汗」です。

 ズボンは脚に纏わり付くじゃないですか。
 そんで、汗をかくと、必ずズボンに染みてしまうじゃないですか。
 しかも不快感も抜群だし、
 ズボンもダメになってしまうし、
 だから嫌いなんです。
 先日、久しぶりにズボンを履いて、
 浴衣姿のほうが100倍よいと再認識しました。


 ちなみに。

 私が愛用しているのはcomme ca ismのもので、
 ちょっとよい値段しました。
 お察しの方、いらっしゃいましたかな!?!?
 コレに派手な扇子を携えるのが大好きなスタイルです(笑)

作用と副作用

2010年08月25日 23時36分47秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 昨日、怖くて躊躇っていたある薬をエイヤッと飲みました。
 もちろんそんなヤバいものではなく、
 お医者さんから処方された、一般にもたまに見る薬です。
 すると、みるみる眠くなるわ、体調は悪くなるわ、
 おまけに倦怠感にハイジャックされるわで、
 ノックアウト状態でした
 (そのわりには早起き出来たのか奇跡!ありがたや)。

 ここでちょっとトリビア。
 副作用って悪いものだと思われがちなのですが、
 薬の効能のうち、最も強く出る効能が作用、
 それ以外は全て副作用と呼ばれます。
 だから本来の目的以外によい効能がたくさんあっても、
 それは「副作用」と呼ばれるわけです。


 ただ、まぁ…。

 なんでこんな薬を飲んでしまったんだという位にダルいです。
 本来の効能なんてなくて、
 まるで毒キノコでも食べたかのような、
 微妙におかしい感じがします。

 ちょっとお医者さんに行って、
 相談してきますね。

騙し騙し、使ってます…

2010年08月25日 10時51分19秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 見事に裏切られた…。

 先日、電池の持ちが悪い!とか、書いたじゃないですか。
 それで泣く泣く旧機種(913SH)を使っていたんですが、
 アドレス帳に関しては両方で共有していないので、
 ぶーたれながらも現行機種(935SH)に戻しています。
 …ってか、最初は1週間で届く(17日)とかいう予定だったのに、
 延びに延びて、まだ届きません。
 満タンに充電しても、メールなんか3通で見事に1桁になりますもん、うん。
 電話はもちろんNGなのでメール中心の使い方をしているのですが、
 充電器をさしながらメールしないとすぐに尽きちゃうんですよ。


 やっぱりケータイって私の生活には必要です(笑)

バラ形のイヤホン

2010年08月25日 10時34分49秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私はジャンク品を見るのが好きなのですが、
 先日、その中から見つけだしたのがコチラです。
 音質が気になるので一辺にガバッと複数の色を…とは出来なかったんですが、
 可もなく不可もなく、というのが私の感想。
 ちなみに1,000円しませんでした。


 イヤホンにもオシャレの要素は、あったほうがよいですよね。

補償行為の恐ろしさ。

2010年08月24日 22時37分52秒 | 青裸々日記。
百日紅(さるすべり、東京都三鷹市)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 心理学用語に、「補償行為」という言葉があります。
 漢字で書くといかついしむずかそうなのですが、
 なんのことはない、「「埋め合わせ」と言い換えれば説明がつく行動」のことを指すのです。

 人間には自立心や自尊心、良心というものがあります。
 悪いことをしたら、その過失や損害をなかったことにしようと、
 あるいは、相手になんとか勘弁してもらおうと、
 自らも血を流すことで、なんとかイーブンに持ち込もうとするものです。
 ただし、どこまでがイーブンなのか、それは個人の裁量によるところが大きいのです。
 つまり、イーブンに持ち込もうとするあまりにゴールが見えなくなり、
 奥歯に物が詰まったような感覚になったり、
 どうも理不尽さや不公平感が拭えなくなった場合、
 イーブンに持ち込もうとする行為自体が、実はどこまでがイーブンなのかをわからなくしてしまうことがあります。
 ここが問題なのです。


 ☆ ☆ ☆

 「あの人には借りがあるから」
 「立場が立場なんだし」
 「そうとは言えど、我慢しなければ…」

 こんな経験、皆さんしたことがあると思うんです。
 そう、「我慢」と呼ばれるものです。

 「補償行為」に関して言うと、
 「その場では負い目なりがあるから耐える」わけですが、
 結果、ストレスなりトラウマなりが残るわけです。

 それくらい、どこにでもある話ではないかと言うと、
 積み重ねるとそうでもなく、かなり問題なのです。
 なぜなら、自分が「埋め合わせ」をする理由に関しては、
 本人なりには納得している「つもり」になっている、
 つまり、本人に自覚がないままに、ストレスやトラウマを抱えてしまうからです。

 ストレスやトラウマを抱えやすい人は、
 普段から当たり前のように
 「これは自分がしたことだから」
 「相手にも迷惑をかけたし」
 などと折れていて、その場では平気でいたりします。
 しかし、自分が借りのない分野、あるいは借りのない相手を目の前にしたた途端に、
 相手に対して、それまでの我慢を返すような、信じられない行為に出てしまう場合がある
のです。
 先程「イーブン」と書きましたが、
 悪い意味のイーブンに持ち込んでしまう恐れがある心理、
 それが「補償行為」の恐ろしさなのです。


 そうならないためにも。

 爆発をしないためには、
 鍋の蓋や醤油の瓶のように、
 小さな穴が必要になります。
 そして、自分がいかに我慢をしているかを自覚する必要があります
 それが、あらぬ爆発をしないための安全弁になるのです。

体は小さくても

2010年08月24日 21時19分31秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私はどちらかといえば身長は低いほうです。
 努力に努力を重ねて痩せ型にしたのはよいにしても、
 コレばかりはもう直せないものなのでどうしようもないのですが、
 ひとつだけ、うれしいことがあります。

 それは、意外性をもって見てもらえる、という点です。

 自分で言うのはナンですが、
 カラオケでここ3年はマイクを使わないくらい、結構声は大きいし、
 写真のためなら長距離の移動は厭わないし、
 特定の局面限定ながら、タフなところもあるし。


 そうすると、案外、実際以上にがんばっていると見てくれちゃう人とか、
 小さくて細いのにどこからエネルギーが出てくるの!?みたいに励みに思ってくれる人もいるので、
 今のところメリットが大きいのではないかと思っています。

 ものは見せ様です(笑)

「人に好かれたい」人の盲点。

2010年08月23日 23時14分54秒 | 青裸々日記。
環状八号線(東京都大田区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 人の信頼や気持ち、意気を勝ち取るには、
 どうしたらよいでしょうか!?
 自分で質問というか問い掛けをブチ上げておいてなんですが、
 私に言わせれば、具体的なHow toが存在するほうがおかしいと思うのです。
 なぜなら人の心は、掴もうとすればするほど擦り抜ける、という性質があるからです。


 ☆ ☆ ☆

 好かれたい、
 大切にされたい、
 よく評価してほしい、
 例えばこんな気持ちを持っているのが私達人間というものですが、
 人を目当てにする行為は、結局、何も生み出さないのです。

 例を挙げましょう。

 「お互いにお金や力関係が発生しない」という条件で、
 誰かに好かれようとして、一生懸命になったとしましょう。
 しかし、心の依り所の全てを求められた場合、
 普通であれば、人間、重く感じるものです。
 結局、好かれようという意図が強く存在する限り、
 どんなことを一生懸命されても、親切の皮をかぶっているだけで、
 相手にもたれ掛かっているという構図は覆えらない
のです。

 ここで、問題が出てきます。
 「心を掴みたいのにその方法がないというなら、一体どうすればいいんだ」ということです。

 私は「心の依り所の全て」と書きました。
 つまり、依り所を求めることが必ずしも悪いのではなく、
 相手に全てを委ねる姿勢が問題なのだ、と言いたいのです。
 相手にもたれかかるのではなく、無私の姿勢でいるほど、
 人に依存することはなくなります。
 言い換えれば、「人に好かれるため」などと変な意図を持つでもなく、
 自然な姿勢、もっと言えば無心な姿勢で、当たり前のようによい行いをすることが、
 結果的に人の心を掴み、動かすのです

 だから「具体的なHow toがあるほうがおかしい」という結論に至るということになるのです。

 どんなことに対しても、心を砕けば砕いただけ、
 自然と思い入れや愛情、魂がこもるものです。
 普段から心を砕く姿勢があればこそ、
 人に好かれたいと無理な言動を重ねなくとも、
 自然と人の心を掴むようになってくるものです。

 人に好かれるためなら最低限の気配りやコミュニケーション能力が不要だ、とは言いません。
 しかし、それだけではダメで、
 最終的にはどうしても無私の姿勢が必要になるのです。


 どんなに好かれたい気持ちがあっても、
 まずは下手に構えない人になる必要がありそうです。

涼を求めて! その2

2010年08月23日 22時28分34秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 昨日は友達といたんですが、
 目の前にソフトクリーム屋さんと31(サーティワン)があったので、
 結局、31に行きました。

 夏場に食べるアイスって、なんか思い出に残るんですよね。
 昨日は絶好のアイス日和でした。
 まだまだアイス日和は続くと思うので、
 皆さん、ぜひ一緒においしく食べましょう!!

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