花の命は短し、かな 2010年08月03日 22時54分40秒 | 雑感、雑記 こんにちは。 今日もありがとうございます。 数週間前に撮った代々木公園のバラ。 もう散ってしまったでしょうか。 バラも秋までおあずけですね。 どんな花も後悔しないように、 咲いているうちに愛でておきたいものです。
借りっ放し… 2010年08月03日 21時03分05秒 | 雑感、雑記 こんにちは。 今日もありがとうございます。 最近の投稿で 「解決したいです」 「困ってます」 こんな文言をよく挟んでしまっていますよね。 弱音…とは違うんですが、 実は、文字通り自分をどうするか毎日考えている感じで、 率直に書きすぎていたなあ、そんな気持ちになってしまいます。 先輩や友達、よくしてもらっている人達に甘える一方だと、 そのときはよくても、かなりの重荷になってしまうんですよね。 「気にしないで溜め込まないで、なんでも話してね」とは言ってもらうものの、 お世話になった分、逆にこちらから何か出来ているのかな、 「give&take」の「take」しか、本当はないんじゃないかな、 こう思うと、なんか歯痒いです。 もう少し人を頼らないようにならなければ…
理念。 2010年08月03日 18時37分07秒 | 青裸々日記。 百日紅(さるすべり、神奈川県海老名市) こんにちは。 今日もありがとうございます。 理念や信念。 こういったものは、より良いものを持っている人ほど、 魅力的に見えるものです。 理念や信念というのは、 現状がどんなものであれ、そこに輝かしい希望を見出だし、 その実現へ向けて行動するところに顕れるからです。 別な言葉で言えば、理念や信念は口で語るのではなく、 体で語ることで伝わるわけです。 ここを勘違いしてしまうと、 どんなに理想を描いても役に立たないどころか、 逆効果になってしまう場合もあるのです。 例を出しましょう。 「私は人に優しくしていたいです」、 こんなことを口にする人が、残念ながら大勢います。 なにが「残念ながら」なのかと言うと、 その実は、自分が理想から離れているからこそ言ってしまう、 こんな場合があるからです。 「優しくしたいです」 「大切にします」 こんなことを口にするのは簡単です。 しかし、「自分は普段から出来ていない」という現実が重くのしかかっているということで、 自分の勝手な理念や信念を達成するために、相手を実験台に使ってしまうことがままあります。 憧れめいたものがあるのはよいことですが、 それを表明するかどうかは、また別な問題です。 理念や信念は、実現したいならそうなるように黙々と行動していればよいだけのことです。 そこを、わざわざ口にした瞬間から、必ず責任が発生してしまいます。 言い換えれば、「憧れ」だからこそ、現状はまだそこに至っていない、 そしてまた、それが自分を縛る重荷になってしまう、 理念や信念を口にする場合、こんな図式が出来上がってしまうという認識が必要なのです。 最近、「マニフェスト」というのが流行っています。 言うまでもなく元々は政治用語で「政権公約」、 つまり「私達に政権を任せてくれたらこんなことをします」という意味ですよね。 それが一部では「約束事」のように使う人もいるあたり、 いわば「理念」や「信念」の変形版に近いものを私は感じるわけです。 しかし、マニフェストを履行しない政権が支持されないのと同様、 好き勝手な理想を語ることで気を持たせ、そして裏切る人、 こんなことをする人が信頼されるわけがありません。 「理想」や「信念」はこっそり胸に秘めて、 その胸から全身を伝って体現するものです。 どんなものでもどうせ持つなら、 説得力があるほうがよいに決まってますよね。
山奥での囲碁合宿 2010年08月03日 07時53分06秒 | 雑感、雑記 こんにちは。 今日もありがとうございます。 先日、山奥にある旅館に、 囲碁合宿に行ってきました。 私の出身中学がOB会をやっていて、 これまで毎年、人数が集まれば開催をしているんですね。 連日、公私共にどうも浮かばれず、 結局始終グダーッとしていて元気に参加したりは出来なかったばかりか、 逆に後輩達に構ってもらったという始末。 先輩として情けないです、ホントに。 肝心の囲碁も、まだまだこれから。 「先に打った手を尊重する」 「攻撃は最大の防御」 など、囲碁の格言には人生訓とも言うべきもの、 あるいは、実際に人生訓になったものが、たくさんあったりします。 せっかく囲碁をやっているので、 人生にも活かせればと思った囲碁合宿でした