水上バス(東京都中央区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
一般に、ネガティブな言葉は嫌われ、
ポジティブな発言をよしとする風潮があります。
それはそうです。
ネガティブとポジティブ、どちらが心によい影響があるかと言えば、
間違いなく後者だからです。
またあるいは、ポジティブな言葉、態度、空気を発信していたいというのが、
人間に共通した、偽らざる本音だと思います。
…では、どうして歓迎されず不要とも思われるネガティブな発言を発信する人が、後を絶たないのでしょうか!?
私が思うに、ネガティブな発言をする人は、必ず「疲れ切っている」という特徴があると踏んでいます。
ここでいう「疲れ」は心理的な疲れも含みますし、
むしろそっちの意味の方が強いかもしれません。
誰だって、可能なら自分を向上させたいし、
前向きでありたいという思いを、心のどこかに秘めているハズです。
しかし、それでもあえてネガティブなこと口にしてしまうという場合、
必ずなんらかの無力感が心を支配しているという側面があるのです。
「もう打つ手が無い」
「私はダメだ」
「お先真っ暗だ」
こんなことを言う人は、敬遠というか、
人が近寄らないものです。
しかし、ネガティブな発言をするからには、
その裏には必ず輝かしい努力や挑戦、ビジョンが隠れているものです。
いい加減に生きていれば努力をすることもなく、傷もつきません。
なるほど適当に生きている人、
生き方がどこか誠実ではない人は、
ポジティブな言葉を発信するのが得意だし、
ネガティブな人間だというだけで簡単に軽蔑するものです。
しかし、理想を抱き、それに向けて心を擦り減らすからこそ、現実のトゲが痛く感じるわけです。
だからネガティブな発言にも源があるとわからない人など、
別に気に留める必要などないわけです。
ネガティブの裏に努力あり。
上を目指してがんばって、でも報われなかった場合、
「もうがんばれないよ」
「ビジョンが描けない」
などと、心を限界まで振り絞って、
その最後に出てくるのがネガティブな言葉なのです。
余裕があればポジティブでいられるのは当たり前だし、
せめて口にしない位のことは出来ます。
しかし、いつも順風満帆とはいきません。
不調な時や不遇な時、あるいはどん底と思わずにいられない時、
心が弱り、手を尽くしても万事休すとなることだって、
生きていればいくらでもあります。
もちろん程度の問題で、精神的に弱い人ほどすぐに心が擦り減ってしまい、
そしてネガティブな発言が多くなりがちなのは事実でしょう。
しかし、ネガティブな発言の裏をよく覗いて見れば、
等しく本人なりの限界に挑んだ形跡を探れるハズ。
そこを感じ取れる人こそが、真にポジティブな人、
つまり、ネガティブをポジティブに転じることが出来る人なのです。
上っ面だけの言葉や、
ポジティブだからと軽い言葉だけを受け入れていれば、
楽は楽でしょう。
しかし、言葉が存在するからには、必ずなんらかの発生源があると踏み、
言葉そのものの意味だけでなく、しっかり心に含んで背景を考える習慣を付けることが大切です。
ネガティブな発言をする人こそ、
誠実な努力家です。
しかし、誠実な努力家であればこそネガティブな傾向にあることも、
これでおわかりになったと思います。
本来は褒められるべき資質がマイナスに作用してしまうのは、残念なこと。
ネガティブな人ほど、本当は自信を持つべき人なのかもしれません。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
一般に、ネガティブな言葉は嫌われ、
ポジティブな発言をよしとする風潮があります。
それはそうです。
ネガティブとポジティブ、どちらが心によい影響があるかと言えば、
間違いなく後者だからです。
またあるいは、ポジティブな言葉、態度、空気を発信していたいというのが、
人間に共通した、偽らざる本音だと思います。
…では、どうして歓迎されず不要とも思われるネガティブな発言を発信する人が、後を絶たないのでしょうか!?
私が思うに、ネガティブな発言をする人は、必ず「疲れ切っている」という特徴があると踏んでいます。
ここでいう「疲れ」は心理的な疲れも含みますし、
むしろそっちの意味の方が強いかもしれません。
誰だって、可能なら自分を向上させたいし、
前向きでありたいという思いを、心のどこかに秘めているハズです。
しかし、それでもあえてネガティブなこと口にしてしまうという場合、
必ずなんらかの無力感が心を支配しているという側面があるのです。
「もう打つ手が無い」
「私はダメだ」
「お先真っ暗だ」
こんなことを言う人は、敬遠というか、
人が近寄らないものです。
しかし、ネガティブな発言をするからには、
その裏には必ず輝かしい努力や挑戦、ビジョンが隠れているものです。
いい加減に生きていれば努力をすることもなく、傷もつきません。
なるほど適当に生きている人、
生き方がどこか誠実ではない人は、
ポジティブな言葉を発信するのが得意だし、
ネガティブな人間だというだけで簡単に軽蔑するものです。
しかし、理想を抱き、それに向けて心を擦り減らすからこそ、現実のトゲが痛く感じるわけです。
だからネガティブな発言にも源があるとわからない人など、
別に気に留める必要などないわけです。
ネガティブの裏に努力あり。
上を目指してがんばって、でも報われなかった場合、
「もうがんばれないよ」
「ビジョンが描けない」
などと、心を限界まで振り絞って、
その最後に出てくるのがネガティブな言葉なのです。
余裕があればポジティブでいられるのは当たり前だし、
せめて口にしない位のことは出来ます。
しかし、いつも順風満帆とはいきません。
不調な時や不遇な時、あるいはどん底と思わずにいられない時、
心が弱り、手を尽くしても万事休すとなることだって、
生きていればいくらでもあります。
もちろん程度の問題で、精神的に弱い人ほどすぐに心が擦り減ってしまい、
そしてネガティブな発言が多くなりがちなのは事実でしょう。
しかし、ネガティブな発言の裏をよく覗いて見れば、
等しく本人なりの限界に挑んだ形跡を探れるハズ。
そこを感じ取れる人こそが、真にポジティブな人、
つまり、ネガティブをポジティブに転じることが出来る人なのです。
上っ面だけの言葉や、
ポジティブだからと軽い言葉だけを受け入れていれば、
楽は楽でしょう。
しかし、言葉が存在するからには、必ずなんらかの発生源があると踏み、
言葉そのものの意味だけでなく、しっかり心に含んで背景を考える習慣を付けることが大切です。
ネガティブな発言をする人こそ、
誠実な努力家です。
しかし、誠実な努力家であればこそネガティブな傾向にあることも、
これでおわかりになったと思います。
本来は褒められるべき資質がマイナスに作用してしまうのは、残念なこと。
ネガティブな人ほど、本当は自信を持つべき人なのかもしれません。