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青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

幸せは自分で掴む。

2010年08月04日 20時11分31秒 | 青裸々日記。
東陽検車区(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 とことんまでわがままになれるとしたら、
 皆さんはどんなことを想像するでしょうか!?

 具体的には、
 お金がたくさん手に入って、
 めんどくさいことは全て誰かがやってくれて、
 世界中の人達から、どんなに悪態をついても愛情を注いでもらって、
 欲しい才能や能力は化学技術か何かで頭にインストールしてもらって、
 自分の気持ちはなんでも察してもらえて、
 挙げ句は人間の生死まで思い通りになる、
 例えばこんな欲望がもれなく叶えてもらえるとしたら、
 その人は幸せでしょうか!?


 私は違うと思います。

 ☆ ☆ ☆

 人間の中には、自立心と依存心があります。
 どちらも大切なもので、
 両方がないと、他人の気持ちを知り、同情したり許し合う術がなくなってしまいます。
 …ということは、逆に言えばどちらが強くなりすぎるのも問題なのです。

 世の中では、不幸が拡大再生産されています。
 最初は小さなことでも一旦悪い流れに気持ちを奪われてしまうと、
 心を病みやすくなる、つまり自分の中で不幸の種が増え、さらには周りに不幸を撒き散らしてしまうからです。
 だからこそ、誰かに満たしてもらいたい、
 無条件で自分を受け入れて欲しいという人が後を絶たないわけです。

 しかし、考えてもみて下さい。
 どんなに人に幸せを差し出してもらったところで、
 「自分はそれに相応しい努力をしてこなかった」となれば、
 きっとその「幸せ」は受け取れないし、大切にも出来ないと思うのです
 もうひとつ言うと、自分が幸せだと思える状況を人に与えられたところで、
 自分でそれを勝ち取ったわけでも、創り上げたものでもない
のです。

 どんなに幸せそうな状況でも、
 そこに自分の力が関与していないのであれば、「自分はなにもしていない…」と、
 だんだんと途方もない無力感に襲われてしまうでしょう。
 そうしてこうして「人にしてもらう」一辺倒な人は、
 結果、自分の力や価値を見失い、
 人からどんなに幸せそうな状況を差し出されるほど、
 不幸になってしまうのです。



 「自分の価値」というと、大層な話に思えます。
 しかし、以上でお話ししたように、幸せを掴み取るには、
 「自分はここまでやった、だから幸せになっていい」、
 こうやって自分の価値やしてきたことを認めるというプロセスが、どうしたって不可欠になってきます。


 そのためにも。

 人に幸せを求める考えや他力本願な態度には限界がある、
 このことに誰もが気付く必要があると、私はどうしても思ってしまうのです。

朝バナナ!!

2010年08月04日 07時10分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 いやー、予想以上によいです。
 朝バナナの話です。

 栄養価は満点、カロリーは低め、
 さらに腹持ちも良いほうと、
 朝からバイタリティーに動き回るにはバナナって最適なのでは!?などと、
 最近思ってます。

 先日「朝バナナダイエット」をご紹介しましたが、
 引き締めはあくまで副目的です。
 ダイエットまで出来たら一石二鳥じゃないか?ぐらいに考えていて、
 でも、それが奏功したらステキですよね。


 皆さんも朝バナナ、オススメですょ。

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